ヤマト 

愛犬ヤマトは2014年5月24日永眠いたしました。
桃の里で2人で暮らしデジタルライフを楽しんでいます。

ベトナム&カンボジア(ベトナム編)

2014-12-03 15:15:08 | 旅行
「今年も元気に行って来ました」と言いたい所でしたが大変な9日間でした。
まず最初はホーチミン市 サイゴンと言えばお分かりの事と思います。


サイゴン大教会 と高級ホテル DIAMONDO PLZA 韓国系です。



統一会堂
此処正門に北ベトナム軍の戦車が突入して、ベトナム戦争は終りをつげたのです。




中央郵便局
フランスに統治されたいた時代の建物で、アーチを描いた天井が見ものです。




まずベトナムの地ホーチミンに着いて、驚いたのは並の数ではない オートバイ の多さです。
まるで洪水の如くオートバイが押し寄せてきます。
横断は怖いです。でも決して走って渡ってはいけないのだそうです。生きた心地はありません。
そのオートバイは決して決められた所は走りません。道路の真ん中を轟音を立てて、大水が押し寄せるが如く走るのです。
ベトナムではまだ車は少ないのです、交通手段は全てオートバイなのです。
2人乗りまではOK!でも殆どが家族全員で乗って居ます。
子供の数は数えないのだそうです。




ティエムー寺
天女の寺と呼ばる古寺、八角七層の塔で有名です。
住職がベトナム戦争中に、南ベトナム政府に抗議して焼身自殺をしたことでも有名です。




カイディン帝陵
12代皇帝の陵!フランスのバロック様式とベトナムの伝統的な意匠が融合した、他の陵とは異なる雰囲気を備えた建物が存在しています。



日本流に言えば門前町とでも言いましょうか、多くのお店が縦に横にとつながっています。



ベトナムは盆栽が盛んです。
然し日本の盆栽の大きさには比ではありません。
10倍以上に大きです。
ならば地に下ろせば良いのにな~と思いました。
そしてベトナムとと言えば、あの 戦争 が記憶にあたらしいですね。
戦後30年と言っていました。
ベトナムの平均年齢は29歳だそうです。
町は若い人ばかりです。私等の年齢の様な方は殆ど見かけません。
戦争の犠牲者になったり、生きていても五体不満足、後に生まれた子の障害者がとっても多いです。

その人達は北では暮らせず、都会の南に来て物乞いなどをしています。
今更ながらも戦争の無残を痛切に感じました。
その時使われた大砲です。




来遠橋

1593年当時ホイアンに住んでいた日本人が建造した橋です。 400年も前にこの地に日本人が居たと言う事だけでびっくりです。 ベトナムはこの時期婚礼真っ盛りでした。



ホイアンの街を シクロ と言う乗り物に1人1台(20台)ずつ乗り観光しました。
夫は一番前、私は恥ずかしいので後ろから2番目にのりました。




ホイアンの街角風景です。





3日目の夜この夕食からお腹の調子がおかしくなりだしました。


















最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さて・・・ (ごん魔女)
2014-12-07 09:01:16
相変わらず精力的にお出かけですね、羨ましい限りです。さてこの続き、気になりますね。
こんにちは (iwa_gonta)
2014-12-08 10:40:04
行き先ベトナムだったのですね、ベトナム戦争の
後こんなに変わったのですね。
日本は高齢社会ベトナムは若い人ばかりなんて驚き
テレビでバイクに子供5人も乗せているのを
観たことがあります、本当なんですね

お腹を壊したようですね、海外旅行で病気になるのは不安だったでしょ。
ごん魔女さんへ (ヤマト)
2014-12-10 08:48:16
今年は雨期乾期の都合上、押し迫った旅となりました。
帰国後は直ぐに雪害の修理工事はいり、いつ終わるとも分からず日々お茶入れに精出しています。
大変な旅行となりましたが、合間を見て続きを載せたいと思っております。
宜しくお願い致します!
iwa_gontaさんへ (ヤマト)
2014-12-10 08:58:40
今回は2人共酷い下痢に悩まされました。
少しベトナムを甘く見たようです。
ソロソロアジア廻りかなと思った第一歩、こんな目に合うとは思いませんでした。
水事情がとっても悪いんです。
何処の家もホテルも決められたタンクに決められた量の水が貯蔵されています。
シャワーを浴びるのも5星ホテルでも、何時お湯が切れるか分からないほどです。
野菜はホテルでもあまり食べない方が良いと言われたので、果物を食べていたんですが何が原因でしょうね?
良くなって食べて又ダメを繰り返していました。
2 K減ったのがまだ元に戻りません。

コメントを投稿