8月19日付けの朝日新聞の13面の「アウシュビッツに遺品盗」と言う見出しが目に付き驚きました。
昨年秋にバルト三国とポーランドに行った時アウシュビッツにも行って来ました。
http://blog.goo.ne.jp/yamato-c481224/d/20131023 (アウシュビッツの様子)
アウシュビッツの事を載せるまでには心の葛藤があり中々UPすることが出来ませんでした。それと言うのも余りにも目にするものと聞くことの残酷さに酷いショックを受けて、アウシュビッツの事から逃げていました。
やっと心を少し取り戻した頃アウシュビッツの事を少し掻い摘んで載せたのでした。
沢山の遺品はその残酷さをいやと言う程伝えていたのです。
その遺品泥棒の事を今日の新聞は伝えていたのです。
盗難事件が起きている所は遺品を集めて置く倉庫の跡地だそうです。
その跡地には私達は行っていません。それは奥まった所にあり見学者は少ないのです。
跡地ですので古びた食器や陶器の一部が見えるのだそうです。それを無断で持ち去って仕舞うのです。
遺品はどんなものでも持ち出してはいけないのです。すべての遺品は歴史の証人だそうです。
アウシュビッツにはドイツ・ポーランドの沢山の子供達が先生に引率されてきています。
現に私達はドイツの子供達とポーランドの子供達が輪になって歴史の勉強をしている所を目にしています。
その引率の教師が何点もの遺品を持ち出し捕まっているのです。
朝日新聞記事より引用
倉庫は当時「カナダ」と呼ばれ収容者たちの遺品が保管されていた。大戦末期にナチスが証拠隠滅を図って火を放ち建物は焼失したが、戦後約70年も経た今も風雨で削られた地面から「遺品」が見つかると言う。収容所の広報官は「我々は収容所跡そのもを歴史の証人。と考えている。ので倉庫跡を掘り起こすことはしない。遺品を見つけたら必ず届ける様にお願い居ている。
2つの収容所合わせて東京ドームの40倍と言います。
2つは離れた場所にあります。押しつぶされるような締め付けられるような気持ちで見学をしました。
この様な「遺品盗」と言う事態の背景には見学者の急増、それに伴う監視の目が少なく広大な土地に目が届かないと言うのです。
他人に見られてなければ持ち出して良いものか、判断がつかないのでしょうか?
情けない事ですね。
収容所の入口に掲げられてる、門も2009年に盗まれて現在あるのは複製版だといいます。
「アルバイト・マハト・フライ」(働けば自由になる)しかしこの門を潜った収容者にこの門を再びくぐる事は無かったのです。
アルバイトの一文字Bが逆さになっています。
これはナチスに対するささやかな抵抗とアウシュビッツただ一人の日本青年のガイドさんが言っていました。
朝日新聞の記事を参考にしましたが、あの時感じた重い暗い気持ちが蘇ってきました。一度はこの収容所と真剣に向き合わなくては、人間は歳月が過ぎると全てを忘れ去り悪夢は又繰り返される気がします。世界に目を向ければこの様な事態が一杯起きていますね。皆もっと戦争の恐ろしさを知って欲しいです。
どんな残酷な事も忘れ去って仕舞う事は、とても恐ろしい事だと思います。
私には上手く言い表せませんが今の気持ちを精一杯書きました。
私はなんの取りえもない無色透明な人間です。
アウシュビッツを見て来て、少しでも良い誰かにあの時の残酷さを伝えることが出来たなら・・何の為に行って見て来たのだ、黙って自分だけに収めて置くのは罪だと思ったからです。
第一収容所
第二収容所
追伸
昨年10月23日のブログアドレスを張ったけどリンクされませんでした。あしからず!
コピーしてみて下さい!
昨年秋にバルト三国とポーランドに行った時アウシュビッツにも行って来ました。
http://blog.goo.ne.jp/yamato-c481224/d/20131023 (アウシュビッツの様子)
アウシュビッツの事を載せるまでには心の葛藤があり中々UPすることが出来ませんでした。それと言うのも余りにも目にするものと聞くことの残酷さに酷いショックを受けて、アウシュビッツの事から逃げていました。
やっと心を少し取り戻した頃アウシュビッツの事を少し掻い摘んで載せたのでした。
沢山の遺品はその残酷さをいやと言う程伝えていたのです。
その遺品泥棒の事を今日の新聞は伝えていたのです。
盗難事件が起きている所は遺品を集めて置く倉庫の跡地だそうです。
その跡地には私達は行っていません。それは奥まった所にあり見学者は少ないのです。
跡地ですので古びた食器や陶器の一部が見えるのだそうです。それを無断で持ち去って仕舞うのです。
遺品はどんなものでも持ち出してはいけないのです。すべての遺品は歴史の証人だそうです。
アウシュビッツにはドイツ・ポーランドの沢山の子供達が先生に引率されてきています。
現に私達はドイツの子供達とポーランドの子供達が輪になって歴史の勉強をしている所を目にしています。
その引率の教師が何点もの遺品を持ち出し捕まっているのです。
朝日新聞記事より引用
倉庫は当時「カナダ」と呼ばれ収容者たちの遺品が保管されていた。大戦末期にナチスが証拠隠滅を図って火を放ち建物は焼失したが、戦後約70年も経た今も風雨で削られた地面から「遺品」が見つかると言う。収容所の広報官は「我々は収容所跡そのもを歴史の証人。と考えている。ので倉庫跡を掘り起こすことはしない。遺品を見つけたら必ず届ける様にお願い居ている。
2つの収容所合わせて東京ドームの40倍と言います。
2つは離れた場所にあります。押しつぶされるような締め付けられるような気持ちで見学をしました。
この様な「遺品盗」と言う事態の背景には見学者の急増、それに伴う監視の目が少なく広大な土地に目が届かないと言うのです。
他人に見られてなければ持ち出して良いものか、判断がつかないのでしょうか?
情けない事ですね。
収容所の入口に掲げられてる、門も2009年に盗まれて現在あるのは複製版だといいます。
「アルバイト・マハト・フライ」(働けば自由になる)しかしこの門を潜った収容者にこの門を再びくぐる事は無かったのです。
アルバイトの一文字Bが逆さになっています。
これはナチスに対するささやかな抵抗とアウシュビッツただ一人の日本青年のガイドさんが言っていました。
朝日新聞の記事を参考にしましたが、あの時感じた重い暗い気持ちが蘇ってきました。一度はこの収容所と真剣に向き合わなくては、人間は歳月が過ぎると全てを忘れ去り悪夢は又繰り返される気がします。世界に目を向ければこの様な事態が一杯起きていますね。皆もっと戦争の恐ろしさを知って欲しいです。
どんな残酷な事も忘れ去って仕舞う事は、とても恐ろしい事だと思います。
私には上手く言い表せませんが今の気持ちを精一杯書きました。
私はなんの取りえもない無色透明な人間です。
アウシュビッツを見て来て、少しでも良い誰かにあの時の残酷さを伝えることが出来たなら・・何の為に行って見て来たのだ、黙って自分だけに収めて置くのは罪だと思ったからです。
第一収容所
第二収容所
追伸
昨年10月23日のブログアドレスを張ったけどリンクされませんでした。あしからず!
コピーしてみて下さい!