今回で最後となりました、と言うより最後としました。
アドリア海の真珠 と称えられる
ドゥブロヴニク です。
オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市内は高い城壁に囲まれています。
この街は大地震やヨーゴスラビア軍の攻撃を受けたりして大変な打撃を受け
危機遺産リスト に登録されてしまいましたが、市民たちの手によって再建され危機遺産リストからも外され、15・16世紀の面影を取戻し美しい街なみを見る事が出来ました。
城壁内に入るには
ビレ門 から入ります。
。
大噴水ですが、その前におる彼に見とれて噴水の全景を撮るのを忘れてしまいました。
この噴水は1438年に水道施設として造られたもので、現在でも天然の泉が湧き出しています。
ブラツァ通りです。
200m余りの目抜き通りで、通りの両側には銀行・旅行会社・ショップ・カフェ等が並んでいます。
ドミニコ会修道院・フラシスコ会修道院等ある中でこの
スポンザ宮殿 を載せました。
と言いますのも、17世紀の地震でも壊れずに残った建物だったからです!
旧市街を巡る城壁に登る前、添乗員さんから「○○さん息子さんの所に連絡を入れて下さい。家で大変な事が起きたみたいですよ」
添乗員さん・旅行会社の協力を得て知った状況は
留守宅に泥棒が入った と言う事でした。
最大の疫病神 はこれでした。
本当に大事なものは家には置いてありませんが、色々と気になる事は数々ありました。
息子夫婦(東京)・娘夫婦(横浜)が留守宅に飛んでくれました。
勝手口のガラスを破って侵入したとの事、息子夫婦は夜中までかかって警察と対応し、娘夫婦も翌日来て中の掃除をしたり「余り荒らされていないから旅行は続けて」と言ってくれました。
気になる一つの、貴金属類をみて貰ったら「無い!」と言う

うっかりアクセサリー箱に入れっぱなしにしてきたのでした。
その他にも気になるものがあるが、迷ったが予定通り観光を続けました。
城壁の上から見た旧市街はとっても美しいものでしたが
心ここにあらず でした。
思い心を引きずって行き着いた所は
モンテネグロ の
コトル です。
コトル湾いに面した街はは周囲を全て岩山で囲まれています。
こうした地形に堅く守られているため、トルコ軍や海賊を撃退してコトルは栄えることができたのだそうです。
コトルは教会が多いそうです、その中で一番有名な
トリフォン大聖堂 です。
此処からも添乗員さんが息子との連絡を取るよう試みてくれたのですが、電話はつながりませんでした。
やっとこの夜の宿泊地のホテルから、息子・娘・妹と連絡を取る事が出来ました。
現地通貨
クーナを少し余分に変えていた事が救いになりました。
翌日はボスニア・ヘルツェゴビナの
モスタル です。
ここは民族構成が複雑で、19世紀以降たびたび戦争の導火線となり「ヨーロッパの火薬庫」とも呼ばれているそうです。
1993年の内戦の跡も生々しく残っておりました。
これは砲弾の跡ですよ!何もこれほど打たなくても、この中に人は居なかったの?
いろんな思いがこみ上げてきました。
こんな建物がまだあちこち残っているんですよ!
イスラム教徒とクロアチア人の戦いは、このネレトヴァ川をはさんで行われ、
スタリ橋(石橋) はクロアチア人により1993年、補給路を断ち切るという理由で爆破されてしまいました。
16世紀に作られ20世紀末に破壊されたこの橋は、民間の人達や各機関の援助を受け2004年7月復元されました。橋は新しく作るのではなく壊れた破片を拾い集めて作られたのです。
帰国後のつい先だってNHK
世界遺産への招待 で放映されていました(再放送かも・・)
彼はこの橋の欄干から、下のエメラルドグリーンの川を目指して飛び込みます。
但し24ユーロ(1ユーロ=113円)2700円位出さないと飛び込みません。
ブリトヴィツェ湖群国立公園です。
この日も雨に合いました。
画像は雨で煙っているのばかりでしたので、殆ど補正修正してあります。
国立公園内は大小16の湖と、92ヶ所の滝があり世界的に貴重な湖群公園です。
天気が良ければ素晴らしい景色を楽しむ事が出来たでしょうが、これも疫病神のせいか広いコースを歩くのも大変でした。
とっても長くなって仕舞いました。最後はクロアチアの首都
ザグレブ です。
イェラチッチ広場です。
旧市街と新市街に挟まれている広場。
トラムが行き交い、ショップが並び絶えず賑っている広場です。
広場には
イェラチッチ総督 の青銅の騎馬像が建っています。
民族独立運動の英雄です。
聖母被昇天大聖堂です。
ザグレブのシンボルの一つで、1094年ザグレブに初めて教区が設立されるとすぐに大聖堂の建設が始まったと言われています。
聖マルコ教会です。
13世紀に建てられたゴシック様式で、青色と赤茶色のタイルで2つの紋章がデザインされている屋根が特徴的です。
向かって右側はザグレブ市の紋章、左側はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニア地方の紋章です。
最後の夕食は
フォルクロアディナーでした。
色々あった今回の旅行も此処で終わり、帰途に着きます。
ザグレブからイタリア・トリエステに、そしてローマにローマから成田と16時間ちょっとかかりました。
本来なら帰りだから早い筈が、何時になく帰路が長く感じました。
大分長くお付き合い下さり心から感謝致しまします。
これでも割愛の部分は多く4回で纏めるのはちょっと無理を感じました。
帰国後被害は私の指輪5個良いのだけ選んで持って行かれました。
主人は保険証・住基カード・銀行のキャッシュカード・クレジットの付いたカード・ネクタイピン2本等でした。
幸い今の所主人の方は実害はありません。
私の指輪は購入価格にしたらかなりの金額になります。
もう買う事は出来ないでしょう!
将来嫁と娘にあげるのが私の夢でした。
夢は夢で終わって仕舞ったのです。