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ヤマト 

愛犬ヤマトは2014年5月24日永眠いたしました。
桃の里で2人で暮らしデジタルライフを楽しんでいます。

我が家は秋色!

2010-11-30 13:52:08 | デジカメ
我が家のモミジは中々綺麗な色になりませんでした。
これも今年の猛暑のせいかと半ば諦めていました。
所が最近になって日毎に綺麗になって来ましたので、驚いている所です。
縁側の前にある 古木のモミジ です。





部屋からから眺めると、一枝は後ろのチャボヒバをバックに一層色鮮やかに見えます。





もう一本は、塀の近くにあるモミジです。
色が深紅でこれも日毎に色鮮やかになって来ました。
青い空がとっても合います!






ウメモドキ も可愛い実をつけて青空に映えています。





通用門の入口にはこぼれる様に さざんか 咲いています。
その他我が家の周りは、遅い秋色で彩っています!





追  伸
防犯対策の一部です。
雨戸の無い所に 格子 を付けました。
こちらではあまり格子を付けた家は見られません。
外見はまぁまぁですが、中では牢屋の様に感じます。
しかし我が家では背に腹は代えられません。
思い切って雨戸の無い部分に付けました。
あともう少し防犯を施しましたが、誰が聞いているか見ているか分かりませんので口外出来ません。
大分人間不信、疑心暗鬼に陥っていますでしょ!





久し振りの晴太です!

2010-11-26 13:26:11 | 
今年は中々秋色になりませんでした、最近やっと綺麗な色が出てきました。
どれも私達2人と1匹の ウォーキングコース です。

2年程前の秋は、主人が突然の事故で動けなり、旅行もこのウォーキングも出来ませんでした。
こうして2人と1匹で歩ける事をとっても有難く感じている今日この頃です。
何気ない毎日を送れる事ってとっても幸せな事なんですよね!









今年の春 皇帝ダリア の小さな苗2本を、塀の外に植えました。
みるみる大きく育っていきました。
倒れやしないかと太い支えもしました。
台風の時期には大風の吹かない事を願いました。
幸い大風も吹かずホッとしていたのですが、もう一つ大敵が居たのです。
それはでした。
気が付いた時はもう葉が真っ黒になっていました。
3mはあるでしょう?上には蕾が一杯付いています。
でも蕾は開くことなく終わって仕舞ったのです!





過日重い腰の主人をせかして 晴太 に会いに行ってきました。
最近他人に対して顔を見るなり「いや!いやっ」と言って困る、と言われていましたので覚悟はしていました。
所が何と何と!それは全然なく、だっこも自分から来てじぃーちゃんはとっても気を良くし幸せ気分を味わったのでした。

晴太は車が大好きなんです
特に車輪が好きで良く回しています。





ホラこんな でんぐり返し も出来ます。
誉めると何時までも続け、終わりがありません。



ヨーグルト も上手に食べます。
ちょっとこぼれても気にして拾います。

晴太が座っている椅子ですが、これはは息子の子供たち2人も使ったものなんです。
息子の上の子は調度晴太とは一回り違う、子年の中学生です。
下の娘は5年生この2人が使ったものですが、頑丈な木で作られておりまだまだ十分使えます。
これは私達がプレゼントしたものです。
こうして3人の孫が使い、椅子も私達も本望です。

実は晴太の画像は 切り抜いて あります。
うしろがちょっと良くなかったので、エレメンツで白紙ファイルをだし塗りつぶしの色を パターンのまばらなベーシックノイズ にしました。





滞在時間はとっても短かったのですが、初め重い腰だった主人も来て良かったと満足感を得た様でした。
主人は夕方6時から寄り合いがあるし、ヤマトのトイレ散歩もしなくてはならない、こんな事情でゆっくり出来なかったのです。

帰り際は晴太のチューで更に高揚した、ジジババでした。


晴太の家の車より、じぃちゃんの車の方が大きいので車好きの晴太の気を引いたようでした。




あと一カ月もすれば総勢9名が集まり、我が家は大賑やかになります。
合宿みたいな状況を想像しています!
今迄は一家族ずつずらして来ていましたが、合体したいんだそうです!
どうなる事やら??

今年の秋&わんこ集合。

2010-11-19 11:15:21 | いろいろ
中々落ちなかった 桃の木の葉 も一晩の風で綺麗に落ちました。
後には又別の花が咲いています。
車窓から見るとあたり一面の白い花に、他県から見えた方は「あれは何の花ですか?」と聞く方が多いそうです!
これは桃に被せていた袋なんです。
12月末頃から始まる 枝の剪定 まで白い花は付いています。
最近では 冬の風物詩 となりつつあります。
この花が咲くと、もう冬なのです。




ウォーキングコース の紅葉も例年に比べると鮮やかさは無いですね!
猛暑だった影響か出ているのでしょうか?
特に 赤色 が出ていません。
赤は落ち葉の枯葉色となって仕舞いました。
モミジに至っては、てっぺんが少々赤いかな?位で、後はまだまだ青々としています。





それでも 桜の葉 は段々色付いてきました。
そんな下で久し振り ヤマト の登場です。
例に依ってロープは消してあります。
今迄は 修復ブラシツール で消していましたが、今回は コピースタンプツール を使いました。





近くに 園芸高校 があります。
この高校は2011年3月を持って閉校となります。
100年以上続いた歴史に終止符が打たれ近くの石和高校と再統合されて、その名も 笛吹高校 となります。
その最後の学校での 収穫祭 があり行ったのですが、来訪者の割には何時になく静かな収穫祭でした。
校庭にあった しだれもみじ が余りにも綺麗だったので撮って来ました。
その横の ユッカ モッコク 捨てがたく入れちゃいました。





さぁ~ 合成写真 です。

「ワンちゃん大集合」
ふくちゃん・プチちゃんは ふくママ家   ゴウちゃんは白雪姫家
あかりさんは おりひめ家  そして我が家のヤマトです。
皆さんの愛犬を集めてみました。
小さなあかりさんを囲んだ勇姿は如何でしょう!



クロアチア・スロヴェニアの旅 №4

2010-11-13 13:17:33 | 旅行
今回で最後となりました、と言うより最後としました。
アドリア海の真珠 と称えられる ドゥブロヴニク です。
オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市内は高い城壁に囲まれています。
この街は大地震やヨーゴスラビア軍の攻撃を受けたりして大変な打撃を受け 危機遺産リスト に登録されてしまいましたが、市民たちの手によって再建され危機遺産リストからも外され、15・16世紀の面影を取戻し美しい街なみを見る事が出来ました。

城壁内に入るには ビレ門 から入ります。




大噴水ですが、その前におる彼に見とれて噴水の全景を撮るのを忘れてしまいました。
この噴水は1438年に水道施設として造られたもので、現在でも天然の泉が湧き出しています。




ブラツァ通りです。
200m余りの目抜き通りで、通りの両側には銀行・旅行会社・ショップ・カフェ等が並んでいます。





ドミニコ会修道院・フラシスコ会修道院等ある中でこの スポンザ宮殿 を載せました。
と言いますのも、17世紀の地震でも壊れずに残った建物だったからです!



旧市街を巡る城壁に登る前、添乗員さんから「○○さん息子さんの所に連絡を入れて下さい。家で大変な事が起きたみたいですよ」

添乗員さん・旅行会社の協力を得て知った状況は 留守宅に泥棒が入った と言う事でした。
最大の疫病神 はこれでした。
本当に大事なものは家には置いてありませんが、色々と気になる事は数々ありました。
息子夫婦(東京)・娘夫婦(横浜)が留守宅に飛んでくれました。
勝手口のガラスを破って侵入したとの事、息子夫婦は夜中までかかって警察と対応し、娘夫婦も翌日来て中の掃除をしたり「余り荒らされていないから旅行は続けて」と言ってくれました。
気になる一つの、貴金属類をみて貰ったら「無い!」と言う
うっかりアクセサリー箱に入れっぱなしにしてきたのでした。
その他にも気になるものがあるが、迷ったが予定通り観光を続けました。

城壁の上から見た旧市街はとっても美しいものでしたが 心ここにあらず でした。





思い心を引きずって行き着いた所は モンテネグロ コトル です。
コトル湾いに面した街はは周囲を全て岩山で囲まれています。
こうした地形に堅く守られているため、トルコ軍や海賊を撃退してコトルは栄えることができたのだそうです。





コトルは教会が多いそうです、その中で一番有名な トリフォン大聖堂 です。
此処からも添乗員さんが息子との連絡を取るよう試みてくれたのですが、電話はつながりませんでした。
やっとこの夜の宿泊地のホテルから、息子・娘・妹と連絡を取る事が出来ました。
現地通貨クーナを少し余分に変えていた事が救いになりました。



翌日はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル です。
ここは民族構成が複雑で、19世紀以降たびたび戦争の導火線となり「ヨーロッパの火薬庫」とも呼ばれているそうです。
1993年の内戦の跡も生々しく残っておりました。
これは砲弾の跡ですよ!何もこれほど打たなくても、この中に人は居なかったの?
いろんな思いがこみ上げてきました。
こんな建物がまだあちこち残っているんですよ!




イスラム教徒とクロアチア人の戦いは、このネレトヴァ川をはさんで行われ、 スタリ橋(石橋) はクロアチア人により1993年、補給路を断ち切るという理由で爆破されてしまいました。

16世紀に作られ20世紀末に破壊されたこの橋は、民間の人達や各機関の援助を受け2004年7月復元されました。橋は新しく作るのではなく壊れた破片を拾い集めて作られたのです。
帰国後のつい先だってNHK 世界遺産への招待 で放映されていました(再放送かも・・)




彼はこの橋の欄干から、下のエメラルドグリーンの川を目指して飛び込みます。
但し24ユーロ(1ユーロ=113円)2700円位出さないと飛び込みません。






ブリトヴィツェ湖群国立公園です。
この日も雨に合いました。
画像は雨で煙っているのばかりでしたので、殆ど補正修正してあります。

国立公園内は大小16の湖と、92ヶ所の滝があり世界的に貴重な湖群公園です。
天気が良ければ素晴らしい景色を楽しむ事が出来たでしょうが、これも疫病神のせいか広いコースを歩くのも大変でした。





とっても長くなって仕舞いました。最後はクロアチアの首都 ザグレブ です。

イェラチッチ広場です。
旧市街と新市街に挟まれている広場。
トラムが行き交い、ショップが並び絶えず賑っている広場です。





広場には イェラチッチ総督 の青銅の騎馬像が建っています。
民族独立運動の英雄です。



聖母被昇天大聖堂です。
ザグレブのシンボルの一つで、1094年ザグレブに初めて教区が設立されるとすぐに大聖堂の建設が始まったと言われています。




聖マルコ教会です。
13世紀に建てられたゴシック様式で、青色と赤茶色のタイルで2つの紋章がデザインされている屋根が特徴的です。
向かって右側はザグレブ市の紋章、左側はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニア地方の紋章です。




最後の夕食はフォルクロアディナーでした。
色々あった今回の旅行も此処で終わり、帰途に着きます。
ザグレブからイタリア・トリエステに、そしてローマにローマから成田と16時間ちょっとかかりました。
本来なら帰りだから早い筈が、何時になく帰路が長く感じました。




大分長くお付き合い下さり心から感謝致しまします。
これでも割愛の部分は多く4回で纏めるのはちょっと無理を感じました。
帰国後被害は私の指輪5個良いのだけ選んで持って行かれました。
主人は保険証・住基カード・銀行のキャッシュカード・クレジットの付いたカード・ネクタイピン2本等でした。
幸い今の所主人の方は実害はありません。
私の指輪は購入価格にしたらかなりの金額になります。
もう買う事は出来ないでしょう!
将来嫁と娘にあげるのが私の夢でした。
夢は夢で終わって仕舞ったのです。

クロアチア・スロベニアの旅 №3

2010-11-02 19:58:52 | 旅行
皆さんに「クロアチアの印象」を聞くと、マイナスのイメージの方が多い様ですね。
息子に「クロアチアに行く」と言いましたら「どうしてクロアチアなの危なくない?」でした。
戦争・民族紛争 がつい10年前位にありましたよね。
そんな生々しい傷跡もこの目で見てきました。
又サッカーの全日本監督 イビチャ・オシム氏の母国 と言う事は良く知られている
と思います。
実際のクロアチアはとっても美しい国です。
今は平和で治安も良く安全な国です。
日本人にはとっても人気のある国ですよ。

食中毒気味で体調を崩した方の多い中 クロアチア に入りました。
主人も体調は良くなく、食欲がありません。普段は多少の体調不良であっても食事
だけはちゃんと取る人です。
食べ物を前にして食べないなんて事は、45年も一緒にいて初めてのことでした。


クロアチアで最初に行ったところは サダール です。
クロアチアの都市は大概海に面しています(アドリア海)
サダールも港湾都市です。





聖 マリア教会・修道院 です。




旧市街北西部の海岸には不思議な音が何処からか聞こえてきます。
「シーオルガン」と呼ばれ、打ち寄せる波と風の力で音を出します。

左の四角な所から風が入り右の穴から空気が出て不思議な音色となるのです。




今日のランチはここの名物イカ料理でした。
主人はイカが大好きです。
でも目の前のイカには手を付けず何も食べませんでした。
こんなに何も食べずに観光して回って大丈夫かしらと不安になってきました。




シベニク にきました。
勿論アドリア海に面しています。
世界遺産の 「聖ヤコブ大聖堂」です。




聖ヤコブ大聖堂の後ろ外壁には司教様でもなく芸術家でもない、一般の市民71人の
頭像が並んでいます。
お百姓さん・漁師さん・大工さん・商人等の市民の方々だそうです。





大聖堂の中の薔薇の窓 ステンドグラスです。
ここで4日目は終わりました。
主人はまだ食欲が出ません。
体調の悪い人はバスの中で休むかホテルで休むかして、観光はしませんでした。
大分悪い方も居るみたいで、何か処置をしなくて良いのかなと思いました。
主人も食べていませんので(体調を崩していてもその人用の食べ物が無い)どちらかと
言うとそちらに入りたかったのですが、此処まで来て観光しないで帰るのはと頑張って
歩るいたのでした。




5日目は 古都トロギール にきました。
トロギールは小さな島です。
本土とは橋で繋がれています。
この城壁の向こうに 旧市街地 があります。
勿論世界遺産です。





左隅の赤いコートを着た大柄な女性は現地ガイドさんです。
彼女の声はマイクを通して ガイディング・レシバー で多少離れていても聞く
ことが出来ます。
余談ですが、クロアチアの人は大きくてとっても体格が良いです。
市庁舎 です。





聖ロヴロ大聖堂の鐘楼 です。
高さは47m、登りましたよ!
下を向くと下が見えて恐怖を感じて仕舞うので、手元だけを見て上がりました。
階段は横幅も狭く、段幅も狭くとっても怖いです。
でもこう言うのは私は慣れています。初め怖くてもその怖さを通り過ぎると平気になるのですよ。




鐘楼のてっぺんから見た景色です。
レンガ色の屋根白い壁前に広がるのは多分運河だと思います。
連なる山は石灰岩為白く見えます。
それは美しい景色でした。





午後からは古代要塞都市 スプリット です。
海岸通りです。
城壁の向こうに ディオクレティアヌス宮殿 があります。






宮殿内に入ると宮殿と民家が同じ領地に建っている、驚きました。
これは過去の戦いで逃げ込んだ市民が住み着いたのだのだそうです。
宮殿と洗濯物、相反する物が一緒と言うのもなんか心の穏やかさを感じます。

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宮殿の 地下 です。
地下と宮殿の建て方は同じだそうです。
これは地下に海水が入っても上の建物が揺らぐことが無いようにとの工夫だそうです。




上にあがりました。
素敵な男性コーラスが聞こえてきました。
アカペラのコーラスで魅了されました。自分達のCDを販売していましたが、どなたも
買わず幾何かを箱に入れて一緒に写真を撮ったりしました。






その後は国境を越え ボスニアの街ネウム に立ち寄りました。
石灰岩の山はまるで雪が降ったようです。



眼下に広がる畑はみかん畑です。
灌漑用の水は山から流れ、広い川は海と繋がり収穫物の運搬に利用されます。



次回で完結となりますが、この後最大の疫病神が待って居ようとは思ってもみませんでした。