松代に太平洋戦争の遺跡が

エッ
実は戦争末期に軍部が本土決戦に備えて、極秘のうちに大本営、政府機関、そして
天皇一家などを松代に移す計画を立案して、終戦の日まで焼く九ヵ月かけて、当時の
お金で2億円で工事をした地下壕です。
当然多くの犠牲者が出て、碁盤の目のように掘りぬかれ、其の距離は10キロにも
及んでます。
なんと、バカなことを考えてのでしょうか。
政府の機関がすべて地面の下。そこからいかにして戦線に指令を出すのでしょうか。
一般人が爆撃に会い、多くの戦死者が出てるのに長野にこのような拠点を置くことは
考えられません。
それも終戦当日まで工事が進んでいたとは。狂気それだけです。
今では遺跡として管理されてます。
中に入るにはヘルメット着用です。
1歩入ると、両側は岩盤の壁が永遠と続いてます。


本当にこの中で政府機関、天皇1家が暮らすことは不可能です。
ひんやりした空気と、永遠に続くでこぼこした歩道を歩いてると
戦争はひとの考えを無知にしたのだと改めて思います。
話が変わりますが、 道の駅へ





何かしらホットしますね
野菜、果物などを見てると改めて平和の尊さを感じます。