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山口建設

社長の独り言

家族、、、村の関係が 第3回

2011年05月07日 06時12分32秒 | 日記
夕食は囲炉裏端で。
            
色々な焼き物、岩魚ー地鶏ー地茸等を炭火で焼いて食べます。
            
こうやって昔から日本人は囲炉裏端で家族が集まり、炭火を見つめながら
食事をしながら色々な話をしたのでしょう。

そんなホットする時間が温泉の力とあわせて疲れが飛んでいきました。

翌日は、早速 朝風呂です。


朝寝、朝酒、朝湯がだいすきで。。。懐かしい歌が思わず口からでてきました。

しかし。。。

ロービーで新聞を眺める人が。

前日、内風呂で偶然お会いした被災者の方です。

            

「おはようございます。」

新聞から目を上げて

「あっ、おはようございます」

お互いの顔を確認してそれ以後昨日の話の続きが始まりました。


「突然、役場から、今日の何時まで、この場所から避難してくれ。
ビックリした。幸い家の壁などはヒビが入った程度だけど、放射能が
危ないと言われて、普通は20分ぐらいの避難外へいく道が車で
渋滞して2時間もかかった。何にも持ってこなかった。すぐ戻れると
思っていた。」
白髪交じりの彼は原発の20キロ以内の住んでる人です。
70代半ばの彼は自分達夫婦、長男夫婦、孫2人、そして妻の
母親と避難してきたが母親が救急車で病院へ入院。
今回の避難場所は3回。そのたびに環境の変化でストレスがたまります。
避難場所でプライバシーが無いことから、お互いのいざこざが出てきて、出て行く人も多いそうです。
又、子供の学校が全壊して、受け入れてくれる学校が避難場所から
離れてるので通学が困難だとも話してました。

マスコミはいいことだけ報道するが震災前の近所の付き合い、
連帯感が壊れてトラブルも発生してるところもあると話してました。

原発は被災した人の心まで壊してます。
東電の社長が地震発生時に放映された画面にはサングラスを懸けて
飛行機から現れる姿がありました。顔を見られるのを隠すためでしょうか。それから病院へしばらく入院。敵前逃亡。
そして、慌てて避難場所めぐり、それもお供を連れての形だけの
謝罪。なぜ、自分ひとりで謝罪に行かないのでしょうか。
人の心の痛みがわからない人間なのですね。

「毎日、毎日、原発の報道を新聞で隅々まで見るのが日課になった。
まさか、この年で家を奪われて、放浪生活をするとは、、、」

行き先のない生活。
避難所が変わるたび、環境の変化。
目に見えない不安。

「これまで祖先の土地を守りながら つつましく 自然と仲良く暮らしてきた。
何の不安もなかった。
朝 起きて、太陽に向かって手を合わせて拝んだ。
ゆったりと流れた時間が3月11日ですっかり変わってしまった。」

ただただお話を聞くだけです。
彼の胸のうちの思いは重いです。

別れるとき、途中で購入した甘いお菓子を皆さんで食べていただくように渡しました。
「どうも有り難うございました」

普段は何気なく使う言葉ー有り難う
私は被災者の方から言われたこの言葉を胸に今 出会ってる人、これから出会う人の間に
いつも伝えて行きたいと思います。