よく、、、つまづきます。
目が悪かったせいでしょうか、
なんか遠くを凝視するとでもいいましょうか、、
外へ出るときでも、、すぐドアのほうを見て
足元見ず、段差踏み外したり、つまづいたりは
日常茶飯事です。
歩いてても、、
ちょっとしたでこぼこや縁石につまづいたりで
靴の先っぽ傷だらけで、、
モーグルスキーは、3つ4つ先のコブをみて
滑らないと、上達しないといわれますが、、
このときは、、足元のコブ見るのが精一杯、、、
うまくいかんもんです、、
木を見て森を見ず、、、
じゃなくて、、、
森を見て木を見ず、、って感じ、、
これは、、日常生活にも現れていて、、、
昨日書いた、人生最後の日の後悔の言葉、、
重く受け止めたほうがよさそうです。
ある依頼をすることになり、
ホームページから問い合わせをしたんですが、、、
どうも話が伝わらず、、なんでや、、と思ってると、、
直接電話があり、、、、
勘違いから間違ったところへ依頼していることが判明、
先方、、
おそらく、、、と思いましたんで直接電話しました、、と
平謝りで、、、もちろん、、こっちが、、、
あやうくみんなに叱られるとこでした。
その会社の、、ブログに書いてあった中で
興味を引いたのでちょっと、、、
吉田真知子って方の講演のなかの抜粋で、、、
もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか。それはどのようなものですか。
人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、オーストラリアの Bronnie Ware さん。彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。
1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」
男性の多くがこの後悔をするとのこと。仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。
3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」
世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。
4. 「友人関係を続けていれば良かった」
人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。もっと友達との関係を大切にしておくべきだった、という後悔を覚えるようです。
5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。
まあ、、、知ってる人もいるんでしょうが、、、
あたしゃ、、腕組んじゃいました、、、。
そのとおりなんやろなぁ、、、、と。
昨日、父の日だったんですね、、
夜、家へ帰ると、、、
家族が、、、
今日、父の日だったのに、、、
何もなくて、、、、、
『あっ、、そうだったんや』、、、と、、、
まあ、いうだけでもましやなぁ、、、、
と、思ってたんですが、、、、
食事終わると、、、
私は、ちびりと飲み続けてましたが、、、、
女性軍が、どこからかロールケーキを取り出し、
女性二人、、、う~ん、おいひぃ~、、、と
父の日のことは忘れても、自分らのデザートは
忘れんのかぃ、、、、、と、、、
つっこみを、、、
心の中で、、、小さく つぶやく、、、。