ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】鉱山の彼方に平和祈念公園が見えた(20210219-④)

2021年02月27日 | 沖縄島中南部

2021年2月19日 (金)晴 玻名城から与座、仲座を経て三叉路を左折。平和祈念公園に向かった。そこで残照を待ち、眼下の海を撮った。

玻名城から国道331号線にでる。ここから南西に向かう。

シャッターが下りている、ブーケの無人売り場。これは珍しい。14:41

進行方向左のキク畑。仲座を過ぎた頃。15:00

電照菊。沖縄の名物。15:02

三叉路に到着。四方に鉱山がある。

三叉路を左に曲がった。左に入るとまた鉱山がある。15:19

道の右側(反対車線側)に平成鉱山。まったく! 15:22

左側に採石跡がある。平和祈念堂と沖縄県立平和祈念資料館が見える。15:22

ここらも鉱山だらけ。左折して左側。15:23

ここも鉱山。15:24

ちょっと奥に。あの穴蔵は何か。掘ったら遺骨とか出てきそうだが、違うのだろうか。15:26

農地にならないような斜面とか、手当たり次第に石灰岩を掘ってきたのではないか。米軍支配下のことだろうから、遺骨の採集など埒外だったのではないのか。あちこちの基地建設に使われてきたのではないか。1972年5月15日以降の「沖縄の日本復帰」後も、さして変わっていないのではないのか。私にも全く手つかずの分野だった。

平和祈念公園に着いた。両側に平和の礎(いしじ)。15:51

ワイドで。あの海に身を投げ出したり、米軍からも皇軍からも撃たれた住民達が多数いたことを忘れない。どうしても鎮魂の気分になってしまう。メモリアルな礎でも、私ですらそうなる。15:53

平和の礎は字(あざ)別に亡くなられた方々のお名前が記載されている。後方は平和祈念資料館。15:56

平和の礎の下に広がる海。残照が当たってきた。76年前、この付近にいた人達は、戦々恐々としていて、残照どころではなかったはずだ。こうした平和の証を私たちは手放してはならぬ。16:31

このブロックは沖縄戦で亡くなった米兵の死者達。16:36

民族を超え、国境を超えてが平和の礎のコンセプトだが、どうなのだろうか。殺しあいの惨劇をどこまで掴み直してきたのだろうか。

中国、朝鮮半島から沖縄、日本を見る。双方から見える関係に気づかなければならないはずだ。16:40

残照を自分の胸に焼き付けて。ここの、沖縄の、日本の歴史を問い直したい。16:52

あのとき、この波間に生者も死者も漂っていたのだろう。私たちは忘れてはいけない。16:55

さぁ、帰る。と思ったら、これだ、「命どぅ宝」。17:06

平和の礎と重ねて。17:07

遺骨混じりの土砂を使って、戦争のための基地建設をするというこの国に、私は怒りと哀しみを新たにした2日間となった。知らないことばかりだということも再認識させられた。この事実にも謙虚に向き合いたい。

これで今日は平和祈念公園をあとにする。芸術的センスも人を殺さないための基礎となるだろう。17:16

 

 

 

 

 

 



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