ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

予定が急変、慌てず騒がず(20240811)

2024年08月11日 | 沖縄暮らし

 本日昼前から「台湾有事NO!!ー沖縄・九州・西日本から全国に広がる戦争準備」報告意見交換会(沖縄市民会館中ホール)に行くつもりだった。石垣、うるま、大分、広島、京都からの報告と討論会。主催はノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会だ。

 昨日の集会に行かず、何故これに行こうとしたのか? 私は沖縄だけでこの戦争への流れを止められるとは考えていない。それはこの国が総力を挙げて九州から中部にかけて、そして全国的な戦争への陣形を作り出し、いよいよ改憲を明言しだしているからだ。緊急事態条項と自衛隊の明記(これが核心であり、徴兵制への起点になる動き)。やや付言しておくと、緊急事態条項を、ナチス政権を引き合いにしている日本人がいるが、それは核心をたぶらかしている。無自覚なのか知らないが、私は、大日本帝国憲法下の天皇の「勅令」を揚げるべきだと考える。

 ともかく、長らくピースリンク広島・呉・岩国の世話人、新田秀樹さんが、沖縄のこの集会に来ているはずだ。彼と話したいと思っていた。この呉の廃屋となった工場に政府は巨大な海上自衛隊の基地を拡張しようとしている。昨年行ったとき、これは危ないなと思いながら帰ってきた。そうしたら案の定、危ない動きが動き出した。「島嶼防衛戦争」は、琉球諸島が最前線であり、奄美大島から九州が軍事拠点、さらに中部圏(陸上自衛隊の中部方面隊の範囲と重なるー山口県から四国、関西・名古屋周辺まで)が兵站の拠点となる。そう三重県もその一角に組み込まれるだろう。

 基地撤去の闘いは、今や、戦争を止める闘いとして結びつかない限り、力を持ち得ない。いや、基地撤去と戦争との繋がりを考えながら、両方に力を築いていくことがなければ、もはやどうにもならないだろう。

 閑話休題。ところが私が乗る予定にしていたバスが、「満員」なので次を待ってくれと、言われたのだ。2時間待ちだ。お陰で私は撤退してしまった。諦めた。今日は3連休の中日だものね。ぐわっかり(がっかり)。お陰でプリントを進めた。3章の3項と、愛犬まで終わった。あと3章の4項と4章が残っている。最大の難関(悩みの種)にかかってきたのだ。

 一方で、東京で買い込んだA-3の紙が乏しくなってきた。光沢の「ゴールド」ペーパーが20枚を切ってしまった。「マットフォト」はあと40枚。光沢は汎用性が高いが、マットフォトの使用は限定的だ。渋いのだ。この渋さが光る画質と、全然アウトがあり、やり直しが出ている。運良く別のメーカーのA-3が10枚あったので、これも使うが、「ゴールド」が足りるか足りないか際どい。

 今日出かけるのは、この買い足しもあったのだ。多分沖縄にもA-3を置いている店はあると思う。事前に電話して確認して行くとする。「マットフォト」は、難しい。「ゴールド」では、「ちぇっ!」というのをこれでやったら、「やったぁ」と思うのもあった。愛犬の3枚は全てこれで決まった。もうあとがないから慌てず騒がずやるだけだ。



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