ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

すっきり明解な県民平和大集会だった(20231124)

2023年11月24日 | 沖縄暮らし

 昨日、2023年11月23日(木)快晴 私は名護から那覇まで出かけた。目指すは那覇市奥武山公園陸上競技場。「全国連帯 11、23県民平和大集会」へ。

 集会は結果として約10000人が集まった。久々の大集会となった。「争うよりも愛したい」が家族連れの人々に共感されたのか。日常的な軍事緊張に脅かされているからか。いずれにしてもひとまず、県民平和大集会(「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」主催)は成功裏に終わった。また同時に全国各地でも同趣旨の集会が開催された。連帯の声が広がっている。

 本集会を一言でいうならば、「すっきり明解」だったことだ。冒頭に登壇した玉城デニー知事は戦争反対に声を上げ続けると明解だった。言葉に濁りがない、ストレートな発言に、私は大いに共感した。また前泊博盛沖縄国際大教授も、色々しゃべっていたが、米国主導の対中戦争に煽られず、戦争をなくす経済へ、そして沖縄の自己決定権を語っており、全く同感だった。

 集会が始まる冒頭の音楽タイムや集会の中で、若い歌(うた)歌いが活躍した。音楽とは基本、ハーモニーであり、合いの手を入れることも含めて、他人といがみ合っていたら成り立たない。もっとも行進曲のように軍事力発動のために他者を鼓舞するようなものもあるが、平和のための音楽は、他者を思いやる心をかかせない。

 エイサーもあった。私は久しぶりに(思い出せないほどに久しぶり)撮らせて頂いた。すっきり、整然と、躍動的に撮れた。エイサーのリズムと踊りを忘れていなかった。殆ど見ずに(耳で)撮れた。

 いがみ合わないことは大切だと思っている私だが、これはなかなか難しい。こうした集会に参加する人の中にも様々な軋轢がある。とやかく言わずに心を開きと思いながらも、50年余りのキャリアがあると、色々なことが思い返される。私が暗い気持ちになるのは、現状の暗さだけによるものではない。

 昨日、こういうことがあった。ある人が書類(この日のガイダンスパンフのようだった)を落とした。私が2度教えてさしあげ、彼は気がつき拾いに戻った。戻ってくるなり、私の前に座り込み撮影しだした。彼がお礼を言えば、こういう無礼なことにはなるまい。私の撮影位置を半分邪魔しているのに気づかないのだ。ハッキリ書くが、東京の「週刊金曜日」の記者だ。

 集会はもりあがり、そういう邪な印象は私の頭から消えていった。ちょっとしたことにも思いを交わそうよ。平和をつくるのは、巨大な課題だが、小さな積み上げなしにできないことだ。単純明快な思いを、直球を投げて、交換していくためには、小さな心遣いが欠かせない。軍事力を大きくし不信を招きながら、他国を力で圧倒し制圧するこれまでの軍事力体系を取りはずさない限り、俺たちに明日はない。

 いがみ合わず、真摯に交感できる言論の場をつくりあげたい。花が咲き、蝶が舞う、子ども達の遊び声が聞こえる、そうした地域社会を生み出せなければ、はるかに遠い。「俺」だけでは不可能な世界だ。「争うよりも愛したい」とはそういうことだろう。まして邪悪な政治・軍事が私たちにのしかかっているのだ。

 本集会はこうした事が一直線に繋がっているのだと表現されていたようだ。島々からの声も緊張に包まれていたが、きっちりと前を向き、回りにも気遣っていた。

 詳細の報告は別途行なう予定。お待ちください。



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