ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

宮古島から帰ってきました(20221212)

2022年12月12日 | 沖縄暮らし

 昨夜、予定通り宮古島から帰ってきました。午後、雨に当たり濡れてしまい、寒くなった。帰宅後の後片付けが大変でした。ザックを干して、カメラ・レンズを入念に手入れしているうちに、24時を過ぎてしまい書けませんでした。撮影に悪戦苦闘。まぁ、いい勉強になりました。思い通りに撮れず。航空自衛隊ブルーインパルスチームの奥の見えない部分を撮りたかったのです。まだまだ私の修業と準備が足りない。

 集会やデモ行進は、特に変わったところはありませんでしたが、北海道から九州まで、幅広くきており、久しぶりに全国モードができていた。宮古島の有志たちのご奮闘が切り拓いた結果です。私も敬意を表します。

 ここに宮城県松島のブルーインパルスが来るのは、公称、宮古島第53警戒隊(レーダーサイト)の50周年を祝うためだそうです。詳細は後で報告しますが、要は、ここに陸自対艦ミサイル部隊を置き、同対空ミサイル部隊を置き、日本国家を挙げて「島嶼奪還作戦」を見据えることに、反対しているのです。宮古島を戦場にするな!と。ブルーインパレスはTー4演習機を使った曲芸飛行隊です。航空自衛隊の花形と言われていますが、要は戦闘機部隊のデコレーション部隊。華麗な技の裏に見え隠れするものを私たちは見抜かなければなりません。

 私が悪戦苦闘したのは、表から見えるブルーインパルスチームの裏側を探ることに、また抗議する人たちの思いを的確に撮り込むためにです。何度も来ている宮古島ですが、とうとう演習機とはいえ、戦闘機(の演習機)が離発着する段階に至ったのです。

 私は航空自衛隊や米軍が、大手を振って宮古空港を軍事空港とするとは考えていません。何故ならば、そこが戦場となり得るからです。するつもりだからです。警戒すべきなのは、必要に応じて随時使うことなのです。平時から随時使える空港にしておくことです。そのために、何をどうすべきなのかを見極め、準備しておくことなのです。今回もその片鱗を伺うことができました。

 また宮古島に駆けつけてきた人たちは、あちこちで「台湾有事」「島嶼防衛」の危険性を感じており、怒りを共有することができました。しかしこの国が入念に準備してきたことからすれば、全く立ち遅れています。この事実を自覚し、私たちが新たな一歩を踏み出すために何をすべきなのかを考えなければなりません。戦争を起こさないためにどうするのか?! 問題はこの一点にかかっています。

 私の悪戦苦闘もこの一点を見極めることでした。課題はデカく難儀ですが、へこたれてはいられません。集まった皆様共々、頑張ります。まだ宮古島に行ったことがない人々も、この問題にも取り組んでほしいと思います。



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