ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

福島・宮城の10年目の大地震に衝撃(20210214)

2021年02月14日 | 考え直すために

 昨夜は、ある原稿を書くために新聞の切り抜きをやり、朝書こうと思っていたら、福島・宮城での地震の報でそれどころではなくなった。どうも今回の地震は2011年3月11日の大震災の余震だというから、衝撃的だ。あれから10年目だよ。もっとも地球史のレベルから考えれば、10年など昨日のことなのだろう。

 現地の状況がようやく少しずつ入ってきた。私の友人の安否確認もできたが、10年前より怖かったそうだ。東京新聞の福島特別支局長の片山夏子さんの報告をみても、部屋中ガタガタ。ありとあらゆるものが投げ出されていた。東北新幹線は電柱が傾き、明日以降も動かないようだ。今度の災害はコロナ禍で起きた災害であり、避難も従前と同じようではなるまい。避難所での個室の確保が求められる。

 いずれにしても日本列島は災害大国なので、災害への備えがなければならない。阪神・淡路大震災の例をみても、東北大震災の例をみても、近代技術の成果も簡単に破壊されている。阪神のときなど高速道路はあちこちで倒壊していた(私も見ている)。橋桁が転けてしまい、当然上の道路面が滑り落ちていた。原発に至ってはなんじゃらほいのていたらく。

 こうした危険性を避けるためには、街造りを人が生き・暮すことをベースにやりなおさなければ、今後も益々とんでもないことになる。生きるか死ぬかを運を天に任せるような政治はごめんこうむる。

 オープンスペースを広くとる、橋ができても、緊急時の代替施設を備えておく。地下深く、地上高くの建築物は規制する、近代技術を過信しない、などなど根本的に人間のあり方を再考しなければなるまい。これは気候変動への対策とも絡んでいるが、経済成長を止める事を余儀なくされる時代に入っているのだから、足下から見直すことは避けがたい。

 まして原発は,こうした非常時に対処のしようがない。止めるたって、すぐにとまらないし、とめても放射能はきえてなくならない。完全なる封じ込めもできない。

 まして原発がらみの不都合な真実は、マル秘にされた事実は消えない。風向きによってどっちに逃げるかも、正しい情報が伝達されなかった。

 日本って、どうしてこんなにも懲りないのだろう。被爆しながら、核安保推進であり、原発の爆発を招きながら、まだ原発から撤退しないのは、何故か? 科学技術への過信と、下々など2の次3の次の政治が覆されていないのだ。

 こうしたことから脱却するためには、私たち自身が賢くなるしかない。私たち自身が考えるしかないのだ。根性だけで何かしらを成し遂げようなどと言うしょうもない精神主義から抜け出さなければならないのだ。同じ過ちを繰返してはなるまい。それではただのおばかさんになってしまう。

 いずれにしても、どうあがいても災害はやってくるのであり、減災の思想、減災の街造り・国づくりが求められているはずだ。事が起きてから自衛隊を頼むだけの防災行政もおかしい。災害救助隊に組み直し、災害救助の経験から街造りに意見することもできなくてはならないはずだ。住民参加・住民自治なくして防災の基礎はできないのであり、これを裏返せば、軍事機密の軍隊とは相容れないのである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。