ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】5・15の1週間が終わった(20240519)

2024年05月19日 | 沖縄暮らし

新たな週を迎えた今日、2024年5月19日(日)晴れ

 先週は5月15日を挟む週。1972年5月15日から52年が経過した。最近の私にとっての「5・15」は、旧友達と会える日になっている。基地の島沖縄を追いかけることは日々の営みであり、「5・15」だからとは言えなくなっている。昨日は「平和行進」を撮るかと思っていたが、ブログを上げるため間に合わず。「平和と暮らしを守る県民大会」を撮ってきた。

 思えば、そうとう久しぶりだ。10数年ぶりか。記憶にない。昔は。やれ「5・15」だ「6・23」だというと、東京から沖縄まで来ていたものだ。しかしイベントで世の中を変えうるはずもない。だが、イベントすらなくなったら、もっと悲惨なことになる。私は記念日に行かなくなっていた。もっと日常が知りたいのだと思うようになったのだ。

 2004年7月以降の辺野古での座り込みが始まった後のことだ。日々の日常の闘いへ。そして2013年10月から名護市暮らしを始めた。随分遠くにきたものだ。しかし奴らの方が遙かに遠くまで来てしまっている。2010年に民主党政権下で「島嶼防衛」を打ち出し、「動的防衛力」を掲げた。力対力を打ち出してきた。そして岸田政権は「敵基地攻撃能力」に踏み切った。米国への追従を、もう隠す気配も殆どない。

 安保が、「国防」になり、そうした観念が浸透してきた。「戦う力」をあけすけに鼓舞する時代になってしまった。それにしては、食料もエネルギーもないない尽くしの日本国が、どうするのだろうか。後は野となれ、山となれなのか。無責任な政治家達に聞いても答えないのだろうが、「危機」だけが煽られている。

 ここで早まっては、いけない。特に若者達に言いたい。30前後以下の若者達に。改憲になれば、あなたが戦争に行くのだよ。人を殺し殺される。この国は、徴兵制を敷こうとするだろうと、私は考えている。兵力の数あわせに徴兵制は不可欠だろう。人口減少はこうした側面にも露骨に現れている。

 戦争に構えるとは、「国家の下に団結させる」ことだ。国家を最高価値としてそこに全面的に従う仕組み作り。ばかばかしいことだが、しらふでこの足音(軍靴)が強まっている。「ヤメ、ヤメ・ヤメー!」だ。しかし、若者達は、私達は、こうした軍靴を聴きとる能力があるのだろうか。「国防」とは、「武力の政治」、「武力の正義」、命を疎んじ、命を投げ捨てさせる力だ。国防とは米国の盾に、槍になることだ。これを阿呆らしく思わないとすれば、限界値を超えてしまっているのだろう。

 「戦争反対」を言うことは、常に正しい。ただしどうしたら他人に響くかが問われている。命を疎んじる政治がここまで進行していると、人間の生命センサーが切れてしまっているのではないか。原発再稼働もそうだが、私達の安全に対するセンサーが壊れてしまえば、見破れない。

 幸か不幸か、命に対する感度を磨かなくては、何も動けない、動かない時代に陥っている。平和行進に意義があるとすれば、ガチガチに固まってしまったセンサーを解きほぐすことだろう。反戦て、命が大事だと知ることからだろう。したり顔をして、無関心を決め込んでいたら、あなたが他人を殺す側においやられるのだ。これが「国防」の論理だ。

5月18の一コマ。場所は宜野湾市総合グラウンド。

発言前の玉城デニー沖縄県知事(左)。新垣邦男衆議院議員(中:社民党)、高良哲美参議院議員(右:沖縄の風)。18日12:41

韓国から来た基地平和ネットワークの人たち。13:31

みんなで「月桃」を歌う。笛で前奏を吹き始めたら、彼女に注目が集っていた。バイオリンでもなく、ピアニカでもない縦笛。13:31

パレスチナの旗もあった。13:35

イスラエルによるガサへの殺戮は、一般住宅や病院、学校などおかまいなしだ。ジェノサイド(無差別の皆殺し態勢)と言わざるをえまい。

「団結頑張ろー」。平和行進を支えた人たちが前に出て。13:38

参加者は約2300人(主催者発表)。それぞれの今後の取り組みが問われている。私もだ。

 

因みに私はこの日、18000歩余りを歩いている。

 

 



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