ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

元気を取り戻していきます(20240606)

2024年06月06日 | 沖縄暮らし

おはようございます。本日は2024年6月6日(木)曇

 昨日は、気持ちを取り戻すべく、やれることをやった。航空券を取り直した。残念ながら、残照は雲に覆われ、アウトだった。予想外にも8月の写真展へのカンパが6月4日に届いていた。お名前とお顔が一致していない那覇の方から。ありがたい。昨日、お礼状と領収書をお送りした。わたしがこうして写真展に向けて動けるのも、皆様方からの志が届くから。感謝するしかない。私の力は、私達の力があってこそのものだ。こうした信頼関係に私は、もっともっと自覚的でなければならないと、気を引きしめる。

 私がここ半年通っている海の見える喫茶店でお金を支払おうと立っていたら、店主が、「オスプレイ?(Tシャツ)」と言うので、「反オスプレイね」と言ったら、納得してくれた。すかさず私は「基地の島 琉球諸島と沖縄島のリアルとこの国の深層」の写真展のチラシを差し上げた。彼は笑顔になった。こういう出会いはいいね。運動関係だと、ある意味簡単に一致しているようだが、何処が一致していて何処が違うのか、わからないこともある。

 他方こうした生活上の出会いからだと、一から話すしかない。コミュニケーションをとることからしか始まらない。また様々な生活上のことに波及していく。イデオロギーとか関係なく、自分はねと話し出せるし、相手の話を聞ける。

 考えてみれば、私は1960年代初期に、1964年の東京オリンピックがもたらしつつあった、自分の暮らしの場の自然が壊されていくことに脅威を感じ、1965年野鳥観察から、1967年自然保護運動へ、1970年から反戦運動へ、1989年に沖縄に出会ったのだ。話せば長い長い話しだ。自然との出会いがなければ、沖縄と出会うこともなかっただろう。奄美大島のルリカケスは知っていたが、沖縄島やんばるのノグチゲラを知らなかったのだ。沖縄・琉球諸島は日本国復帰以前だったから、当時の日本の野鳥図鑑に、ノグチゲラは載っていなかった。こんなことにも政治が影響していたのだ。

 昨日、ある友からメールが届き、名護湾にアジサシ(類)が居たと連絡が入った。アジサシでもコアジサシなのか、エリグロアジサシなのか、自分で確かめるしかないが、連絡が入れば調べようがある。因みにコアジサシは海岸にも居るが、河口、河川の砂地に多く繁殖する。エリグロアジサシは海の岩場に巣を作る。どうも辺野古・大浦湾の岩場が埋め立て地の中に没したり、周辺が騒がしくなったり、餌となる魚が減って、いなくなってしまったようだ。先日も埋め立て反対の抗議船のある船長から、アジサシ〈類)いないみたいだと、報告を受けた。こういう話を聞くと、私が協力できることはまだまだあるし、やるべきことはあるようだ。

 今日も頑張っていきます。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。