ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【写真追加】まっすぐに前を向こう(20220410)

2022年04月10日 | 沖縄暮らし

 おはようございます。昨夜は、フォークの日4月9日に行ってきました。帰りは最終バス。帰宅したら23時近かった。疲れて寝てしまいました。

 8日のフォークの日をブログにあげていきましたが、昨日は聴くことにしました。聴いていたら、世界が変わった。まよなかしんやさんの思いが、そこに連なる人たちの思いが、私の心の中に現れてきました。彼の「花はどこへ行った」意味深い。昔、PPM(ピーター、ポール&マリー)などできいていたけれど、そうだったのか!

 私は、3つ上の兄がいて、丁度、あの全共闘世代。彼は運動とは無関係だったが、私も兄を通じて時代の文化をすくっていたことは間違いない。上辺だけ知っていることも多々ありました(1969年まで)。だから半端にしか分かっておらず、知っていることと、分かっていることは別物だと思うことがたくさんあります。

 若者は戦場に行き、お墓に行った、お墓の回りに花が咲いた、と、しんやさんは、エンドレスに続くのだというのです。戦争をおらせるまで、エンドレスに。

まよなかしんやさん。20220409 20:30 ベッテルハイムホール

 私たち人間がやっていることは、愚劣なことが多すぎます。エンドレステープは果てしない。昨日まで自分たちがやってきた愚行を忘れ、偽造して、他者を非難する醜さ。救いようがない。

 私は全共闘世代ではありません(ポスト全共闘)。「左翼」からも、間違っていたと卒業しています。もっとも断じて右翼ではありませんよ。まだ希望をもてるとしたら、私たち人間に持つしかないでしょう。徹底的に「個」にこだわるという考えもありますが、私はやや違う。強靱な「個」ではないだろう。タダモノ史観的な必然論に与しない私は、「人間」という間を受け止めながら、間を作りながら人間社会をまっとうな方向に向けていきたい。

 戦争状態を作り出すのは国家権力ですが、人間も簡単に同調していく。殺し合い、殺されていく。啀(いが)み合い、憎悪していく。支配する側に立つのか、されることを受け入れるのか、ではなく、そうした啀み合いを包み込む、信頼の種をまきたいものです。お金と軍事力が全てでは、人類の彼方には灰燼、絶滅しか見えてきません。

 そうはいっても難しい。身近にも小さな火種はごまんとあって、一々「何だ!」と思っていたら、解決していくわけがない。これ男的(男権主義)な発想なんだろう。受け入れてくれないと嘆くのではなく、自分でやっていくしかない。実は単純な話。

 実は昨夜も、私を間違って紹介されて、???。単純にそんなひとがいるのと私は目を白黒。しかし考えてみれば、私が「フォトグラファーの山本英夫、ヤマヒデです」との押しが足りなかったのだろう。他人の間違いを非難して、自分を反省しないのはバツだと。

 「個」にこだわることが弱かったのかもしれません。人間は自分を含めて利己主義ですから、基本的に閉じている。お互いに閉じていると認識しながらやらなければ、開くはずがない。芸術はその閉じているものを開く、ひとつの媒介になりうると思います。如何に優れたものでも、万民を開かせことはできないだろう。少しでも開くことができれば、いいだろう。

 戦争という鋼のようなエンドレステープをどうしたらとめられるのか。昨夜のラストの一曲の時、私は思わずカメラを出して撮りました。デジカメ時代の、耳(聴覚)と目(視覚)の合流を果たす方法を実践していきたいものです。コロナ禍で忘れてきているようです。

 エイサーとか全然撮っていない。沖縄に住む前の方が、よほど撮っていた。なにやっているんだろう。

◎追記:9日のコンサート終了後、出演者、来場者で記念写真を私が撮りました。久しぶりにスマホで撮ったら巧くいかず。なんとか2枚はとれたはず。自分のカメラでも撮らせて頂きました。みんな笑って、それだけでお宝写真になりました。撮らせて頂いたみなさんへ、スペシャルサンクス。ありがとうございました。

 

 

 



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