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『天安門は見ていた』第1部⑤ 鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

2024年06月19日 02時13分38秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

それからおよそ6年後、中国は華国鋒ら最後の文革派グループが失脚し、代わって鄧小平の指導のもと、胡耀邦や趙紫陽らの改革・開放派が完全に実権を掌握していた。 
その間、国内は目覚ましい経済成長を続け、国力を増強していった。しかし、政権の内部では、民主化、自由化をめぐって対立がいっそう深まっていったのである。

 

第5幕・・・鄧小平・胡耀邦の関係に亀裂

第1場 <1985年の“春節”のころ、北京市・豊台区にある李慶之の自宅。彼が妻の摂栄花といるところに、宋哲元と新妻の李美瑛が訪ねてくる>

宋哲元 「やあ、久しぶりだね。里帰りなので伺ったが、みなさん、お元気かな?」
李慶之 「うむ、元気にやっているよ。美瑛はもうすぐ赤ちゃんが生まれるね、めでたいな」
李美瑛 「兄さんや栄花さんもお元気でなによりです。私はこの通り、お腹がふくらんでいます(笑)。 豆豆(とうとう)ちゃんはどうしているの?」
摂栄花 「ミルクを飲んだあと、いま寝ていますよ」
宋哲元 「早く顔が見たいな、可愛いでしょ?」
李慶之 「うむ、まあ(笑)。ところで、君はこんどアメリカへ留学するんだって?」
宋哲元 「まだ本決まりじゃないが、1~2年の短期留学さ。正式に決まったらまた連絡するよ」
李慶之 「それは良かった、海外の知識を大いに吸収できるね」


宋哲元 「君の方の仕事は順調なの?」
李慶之 「うん、深圳(しんせん)の開発計画は順調に進んでいるよ。去年できた50階建ての『国際貿易センター』なんかすごいよ、君に見せたいぐらいだ」
宋哲元 「そうか、それは結構だ、改革・開放政策がうまくいっているね」
李慶之 「そうだよ、このところ工業生産高の成長率は毎年10パーセントを超えているし、都市だけでなく農村も豊かになってきた。鄧小平・胡耀邦路線は大成功と言えるね」
宋哲元 「うん、まったくそうだ。だけど、問題は政治面での改革・開放だな。自由化や民主化はそれほど進んでいるとは思えない。
例えば、胡耀邦総書記がチベットの“政治犯”を釈放したら、党の長老たちが激しく反発したそうだ。これ一つ取ってみても、政治の民主化は容易ではない。そこが問題だよ」
李慶之 「うむ、そうだと思う。しかし、中国はいま経済の改革・開放が第一だろう。それが喫緊の課題だよ。 政治面のことは二の次、三の次といったところだと思う」
宋哲元 「いや、僕はそうは思わない。経済と並行して政治の改革、民主化も必要だと思うのだ。 胡耀邦総書記が進めている路線に、党内の反発が根強いと聞いて、僕は心配しているのさ」


李美瑛 「あなた、せっかくお邪魔したというのに、もっと楽しい話をしませんか。野暮と言うものですよ」
李慶之 「ハッハッハッハ、哲元君はこういう話になると夢中になるからね、さすが社会の動きに関心があるわけだ。アメリカ行きを前にして、張り切っている証拠だよ(笑)」
宋哲元 「いや、ごめん、無粋だったかな」(その時、奥の間から赤ん坊の泣き声が聞こえる)
摂栄花 「おや、豆豆が起きたようですよ」(彼女が奥の間へ向かう)
李慶之 「娘が起きたね」
李美瑛 「あら、嬉しいわ、豆豆ちゃんに会えるなんて!」
宋哲元 「良かったね、来たかいがあった」 

(間もなく、摂栄花が豆豆を抱いて現われる)
摂栄花 「お待たせしました」
李美瑛 「うわ~、可愛い! 抱っこしてもいいかしら」
摂栄花 「ええ」(彼女が豆豆を渡すと、美瑛があやし始める)
宋哲元 「本当に可愛いね、どちらに似ているかな、栄花さんかな・・・」
李慶之 「まだ分からないよ、僕に似ているかも(笑)」
宋哲元 「いつごろ、這い這いするのかしら」
摂栄花 「あと半年ぐらいでしょうか」
宋哲元 「楽しみだね。“一人っ子政策”の見直しも叫ばれているから、今度は男の子も欲しいものだね」

李慶之 「うむ、でも、こればかりは分からないよ。農村部では子供が二人でも良いとか、いろいろ政策が変わるね。美瑛の子は男の子かな・・・」
李美瑛 「どちらでも良いですよ、元気な赤ちゃんなら」
李慶之 「それはそうだ、今日はゆっくりしていってね」
摂栄花 「美瑛さんが豆豆を見てくれてるうちに、夕食の準備をしましょう」
宋哲元 「ありがとう、あまりお構いなく」(摂栄花が台所に向かう) 

 

第2場 <1985年4月中旬、北京・中南海にある胡耀邦総書記の執務室。胡耀邦と胡啓立(こけいりつ)がいるところに、趙刻明が現われる>

趙刻明 「お邪魔します、おや、この方はどなたで?」
胡耀邦 「紹介しよう。胡啓立君と言って、間もなく政治局員に昇格する人だ。私を支えてくれる有望な党幹部だよ」
趙刻明 「初めまして」(趙刻明と胡啓立が互いに挨拶する)
胡耀邦 「今日は彼の“オフレコ”の取材だよ。気にしないでくれ」
胡啓立 「分かりました、では同席します」
趙刻明 「このところ経済は順調にいっていますね」
胡耀邦 「うん、深圳など経済特区の躍進は素晴らしいし、工業も農業も生産が拡大している。この調子でいけば、今世紀中に先進国の“仲間入り”を果たすのも夢ではない。中国の未来は明るいよ」
趙刻明 「まったくその通りですね。鄧小平さんも喜んでいるでしょう」
胡耀邦 「あの人の言うことは的を射ている。実事求是だ。豊かになれる人、豊かになれる地域からどんどん豊かになっていけば、全体を引き上げることができる。
平等もいいが、みんながそろって貧乏なら展望は開けない。いつまでたっても貧乏だということだよ。人民公社はそれで失敗したな」

趙刻明 「外資の導入も順調に進んでいるのでしょう?」
胡耀邦 「うむ、日本からのODA・政府開発援助などは非常に助かっている。中日友好の証(あかし)だな」
趙刻明 「あなたが一昨年(おととし)、日本を訪問したのは大成功でしたね。中曽根首相とも親交を深めたとか・・・」
胡耀邦 「そうだ、彼は私を兄貴のように慕ってくれたよ(笑)。だから、日本の青年3000人を中国へ招待することになったのだ。
中日両国の青年交流は、友好関係をいっそう促進すると思うよ」
胡啓立 「お話の途中ですが、あれは総書記の大英断でしたね。『中日友好21世紀委員会』も設立されたのですから」
趙刻明 「まったく同感です。 ところで、経済も日本との関係も順調に進んでいるというのに、国内の“民主化”はどうして進まないのですか。
特に政治の民主化は遅れたままですよ。おかしいと思いませんか?」

胡耀邦 「うむ、そこが問題だな。オヤジさん(鄧小平のこと)には何度も言っているが、あの方は政治の民主化には消極的だよ。 
彼は事実上 共産党創立以来の党員だし、共産党をこよなく愛している。国民党など他の政治勢力と戦い続けてきたからね」
趙刻明 「党の長老たちに、気兼ねをしているのではないですか?」
胡耀邦 「うむ、それもあるね。私が党の“若返り”を図ろうとしていることが、彼らの反発を招いている。長老たちのほとんどが、私の失脚を望んでいるようだ」
趙刻明 「困ったな、これでは中国は政治面で遅れたままだ。“長老支配”が続いていって良いのか・・・」
胡啓立 「いや、私どもは総書記を支えて戦っていきますよ。民主化へ向かっての希望は捨てません」
胡耀邦 「うむ、それでいい。中国はやがて政治面でも変わっていくだろう。もう少しの辛抱だ。 趙刻明さん、今日の話はオフレコだよ。口外しないでくれ」
趙刻明 「分かりました」 

 

第3場 <1985年夏の下旬、北京市・東城区にある鄧小平の居宅。鄧小平と陳雲、党中央顧問委員会の副主任・王震(おうしん)の3人が話し合っている>

王震 「胡耀邦といったら、まったく根性のないいい加減な奴だ。日本の首相・中曽根某が靖国神社を公式参拝したというのに、これといった抗議ができないんだからな」
陳雲 「国務院ははっきりと抗議したが、党の代表である総書記があんな生ぬるい態度では先が思いやられる。そろそろ胡耀邦をなんとかしなければならないね」
鄧小平 「うむ、私もいろいろ考えているのだが・・・」
王震 「各地で反日の“抗議デモ”が起きていますよ。それは当然だ。経済の面でいくら日本の世話になっていても、靖国神社や歴史問題では、絶対に譲れない中国の立場というものがある。
胡耀邦はそうした点を無視して、ひたすら日本に媚びへつらっているのだ。こんなことが続けば、ただ日本に“なめられる”だけですよ。いや、もうさんざんなめられているのだ!」

陳雲 「王震同志の言うことは誇張ではないですよ。各種の経済協力はありがたいが、政治面ではたしかに日本に押されている。
今さら釣魚(ちょうぎょ)群島(注・日本名は尖閣諸島)のことを云々したくはないが、これではわが国の立場が弱まるだけだ」
鄧小平 「お二人の言うことはよく分かる。日本やアメリカと友好関係を進めるのは良いが、領土問題や軍事面では譲ってはならない。
ただし、“小異を捨てて大同につく”というのがわが国の基本的な外交方針だ。これは故周恩来総理も言っていたことで、今は少しぐらいのことは我慢しなければならないな。君たちはじれったいかもしれないが・・・」
王震 「でも、胡耀邦にクギを刺してくださいよ。われわれの仲間内では、不満が渦巻いている。外交だけではないですよ。
あいつは党内の民主化や“若返り”だと称して、わが党に大きな貢献をした古参の党員、長老たちを排除しているのだ。これは許されませんよ!」

鄧小平 「わかったわかった、今度 彼に会う時に私から言っておく。古参の党員や長老たちを大切にとね。
しかし、今は改革・開放と経済優先で国策を進めている時だ。もう少し我慢してくれたまえ。いずれ しかるべき時には、私だって決断を避けることはできないと思っている」
陳雲 「よろしく頼みますよ、党内の民主化だって限度があるでしょう。なんでも民主化すれば良いというものではない。それこそ“ブルジョア民主化”だ!
あなたが頼りですから、その時はわれわれ全員が協力します。どうぞお忘れなく」
(鄧小平がうなずく) 

 

第4場 <同じく1985年夏の下旬、北京市・豊台区にある宋哲元・李美瑛夫妻の家に、李慶之・摂栄花夫妻が幼い豆豆を連れて訪問している>

李慶之 「やっとアメリカ留学が決まったね、哲元君、おめでとう」
宋哲元 「なかなか決まらなくて、やきもきしたよ。公費留学だから、審査が相当に厳しかったわけだ。1年間だというのに」
李慶之 「でも、良かった。美瑛は安産だったし、赤ちゃんはこんなに元気だもの。名前は光希(こうき)君だったね」
李美瑛 「ええ、そうよ、お義父さんにつけてもらったの。可愛いでしょ」(美瑛が抱っこした光希の表情を見せる)
摂栄花 「ほんとうに可愛いわ、まるで“お人形”さんみたい!」
李慶之 「ハッハッハッハ、美瑛もお母さんになったね、これで栄花と同じだ。お祝いを取っておいてね、餞別も兼ねてだが(笑)」
宋哲元 「ありがとう、いただくよ」
李慶之 「1年間なんて早いものだ。君が帰ってきた時には、光希君はもう歩いているぞ」

李美瑛 「そうよ、きっと歩きまわっているわ」
摂栄花 「楽しみだわ、待ち遠しい」
宋哲元 「豆豆ちゃんもすっかり大きくなったね、光希の“お姉さん”みたいだ」
李慶之 「ハッハッハッハ、似合いの“いとこ同士”だな。きっと仲良しになるね」
宋哲元 「うん、お姉さんにいろいろ教えてもらうことになるよ(笑)」
李慶之 「今日はお祝いだ、楽しくやろう」
宋哲元 「そうだ、君が好きな老酒(ラオチュー)で乾杯だな」
李美瑛 「どうぞ、ごゆっくり」
摂栄花 「ありがとう」(4人の歓談がなお続く) 

 

第5場 <その年の10月のある日、天安門広場の近くの道で、瘋癲老人と徘徊老人が偶然 出会う>

徘徊老人 「おっ、久しぶりだな、まだ生きていたのか」
瘋癲老人 「まだ生きていたのとは“ご挨拶”だな、それはこちらのセリフだよ」
徘徊老人 「ふん、お互いに生きているんだからいいじゃないか」
瘋癲老人 「まあ、そうだな、君はいくつになったんだ?」
徘徊老人 「80(歳)近くかな、お前は?」
瘋癲老人 「同じぐらいだよ。ところで先日、あの趙刻明さんに出会ったんだ。いろいろ話を聞いたが、面白かったぞ」
徘徊老人 「ほう、あの人も元気かな」

瘋癲老人 「うん、元気そうだった、相変わらずいろいろなことを知ってるよ」
徘徊老人 「どんな話だい」
瘋癲老人 「最近の国内の話だ、世の中はだいぶ良くなったと言ってたぜ」
徘徊老人 「ほう、たしかに暮らしは良くなったな、俺の家も息子の奴が金には困らなくなったよ。だから、俺も家にいることが多くなった。それに年だから、外に出るのがだんだん“しんどく”なってな」
瘋癲老人 「物もらいが減ったか(笑)、それは結構だ。
あっ、それと刻明さんの姪っ子が日本に留学したそうだ。女子学生も留学できるようになったんだね。われわれの若いころとは大違いだ」

徘徊老人 「うん、ところで胡耀邦と鄧小平は、うまくいっているのかな。最近はあまりうまくいっていないと聞くが・・・」
瘋癲老人 「これも又聞きだが、2人の関係は悪くはないが、鄧小平さんのバックにいる長老たちが、反胡耀邦の動きを強めているそうだ。 あの男はブルジョア民主化、自由化を進めていると言ってね」
徘徊老人 「ふん、なにを言っているのか分からない。しょせん、党内の“権力闘争”だろう。そんなものには興味がないな」
瘋癲老人 「わかるわかる、われわれは元気に長生きすればいいのさ。孫の顔を見ていれば長生きするよ。それだけが楽しみだ」
徘徊老人 「そんなところだな、あとは野となれ山となれだ・・・」(2人はなお“無駄話”を続ける) <続く>


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