金持ち日記

金持ちなるまで続く男の日記

自分の品格

2008年04月15日 19時26分04秒 | Weblog
 金持ちは自分の品格に注目する。

 「国家の品格」や「女性の品格」を大切にする風潮は好ましく思う。ただ、「お前は品格あるのか」と問われれば、「今は忙しいから、後にしてくれ」と逃げ切るつもりでいた。運動不足の私はいつまでも逃げ切る体力がないということに気づき、渡部昇一氏の『自分の品格―ぶれない生き方、ゆるぎない自信 』を読んだ。

 渡部昇一氏はこう述べている。

「できない理由を探すことなく、志を保ち、自分で自分を尊敬できる人間になれ」

 どれも私には問題ない。

 まずできない理由を探すことはしない。様々な科学的根拠を提示し、不可能であることを説明しようとする3流はたくさんいる。しかし私は何事も不可能ではないと思っている。人が鳥のように空を飛べないのは科学的に不可能ではなく、やる気と根性が足りないだけだと思っているし、修行によっては飛べるようになると信じている。

 また、志を保ち自分で自分を尊敬している・・・・・というか、しすぎている。このブログも、将来金持ちになった時に出版する本の原稿という位置づけだ。いづれ本を出すのだからと、このブログの存在は仲の良い友人にもあまり教えていない。金持ちになることを前提に生きているし、その自信もある。

 以上のことから分かるのは、私は品格のある人物であるということだ。薄々自分でも気づいていたが、この本で確信に変わった。

 これからは品格ある男として、真冬の風呂上りに全裸でベランダに出たことを自慢するのは、もう止めようと思う。

未来予想図

2008年04月05日 11時58分33秒 | Weblog
「ずっと心に描く 未来予想図は
 ほら おもったとうりに かなえられてく」というわけにはいかないようだ。

 昨日、私にしては珍しく落ち込んだ。描いた未来予想図は儚く消え去ってしまった。あまりのショックで胸がいたい。就職先を決める大事な時期にも関わらず。

 今はひたすら「人間万事塞翁が馬」と自分に言い聞かせる。

<塞翁が馬 さいおうがうま>
塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻ってきた。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならう命長らえたという故事(広辞苑)

 一つの事象を不幸だと判断することはできない。それが巡り巡って、幸せを運んでくるかもしれないから。

 人は逆境の時こそ本当の力が試される。とりあえず、今回はいい勉強になった。落ち込むのは今日で終わりにして、また新たな未来予想図でも描こうと思う。

説教

2008年03月28日 20時16分34秒 | Weblog
 金持ちでも説教される。

 先日、中学時代の友人と飲みに行った。最近「メリット」と「デメリット」という言葉を覚えたらしく、やたら多用していた。そんなお調子者な所は昔とまるで変わってなかった。

彼「お前がこんなまともな道を歩むとは思わなかったよ。きっと将来を先読みしてたんだな。上手く生きてるな~」

 私を褒め称えてくれる時間だと思ったが、徐々に内容は変化してきた。

彼「確かに、お前が方向転換したのは正解だと思う。ただ、デメリットはあまりに変わりすぎた。なんていうか・・・・お前は甘い。強さがなくなっている。」

 一見まともな説教のようだが、強さが感じられない理由は女をナンパして連れて来なかったから。・・・・まぁ、彼らしい。

 そういえば、彼とはいろいろしたなぁと昔を懐かしんだ。国際通りに行っては、そこら辺にいる女子に声をかけるのである。彼の怖い外見のためか一般人からはドン引きされた。走って逃げ去っていく人もいた。結局頭の悪い我々についてきてくれるのは、頭の悪い女子高生であった。スカートをはいているのか、はいてないのか分からないほどのミニスカートに金髪。話を聞くと1週間学校をサボっているとか。

 ナンパの仕方はシュートというサッカー漫画で身に着けた。「お茶でもしませんか」と声をかけるのである。結局はマクドナルドでオレンジジュースを飲のだから、特に意味はない。

 彼に「甘い」といわれて思い出したことがある。私が勉強に目覚めたのは、様々な経験で培った精神力に学力が備われば無敵だと思ったから。勉強をしていくうちに、いつの間にか精神力が弱体化してきたような気もする。私が今生きている世界では、馬や包丁を持った少年に追いかけられることはない。暴力団らしき人に接触するのも皆無である。

 小学6年生の頃の夢が「不良になること」であった時から比べれば、こうして真面目に生きていることが私にとっては誇らしく感じる。だからといって、既存の枠に収まる人間であってはいけないのである。なにも今から女子高生をナンパしようと言っているのではない。ただ、当時の反骨精神も大切にしたいと思うのである。

投資銀行Ⅱ

2008年03月24日 16時52分54秒 | Weblog
 『投資銀行 日本に大変化が起こる』の著者、岩崎氏によると日本の金融機関、特に銀行は投資銀行になれないと主張する。その根拠を3つにまとめてみた。

①顧客主義じゃない
みずほフィナンシャルグループのアニュアルレポートの顧客主義を謳う箇所を紹介し、「こうした文章しか書けないのが今日の日本の金融機関の実力だと思うとなんとも情けなくなる」と痛烈に批判している。確かにそんな面もあるのだろうと私も思う。先日、日本ではトップクラスの投資銀行業務をする社員とご飯を食べに行ったが「私たちもビジネスだから、時には相手が損をするM&Aを提案することもある」と話していた事を思い出した。

②グローバルな視点も情報も欠けている
日本の銀行は世界中に支店や駐在員事務所を設けているが、その仕事内容は現地に赴く日本人の接待や、現地に進出する日系企業を対象に貸し出しや預金などだという。現地の主要な企業のトップや投資家などとの交流が希薄なため、グローバルな感覚が乏し過ぎて、世界で通用しないのである。

③甘えてばかり
ロスチャイルドやゴールドマン、リーマン、ラザード、ソロモン等、世界のトップクラスの投資銀行のルーツはユダヤの金融業者が多いことに気づかされる。1744年に生まれたロスチャイルドの創始者マイヤー・ロスチャイルドは、ユダヤ人として差別され市民権さえもないゲットーと呼ばれる区画の生活を余儀なくされていたという。そんな過酷な状況下で「貨幣を確保し知恵と知識を磨いていけば生き残れる」というユダヤの民族の言い伝えのようなものが、ユダヤ系投資銀行の中にはカルチャーとして脈脈と息づいているという。「最後に頼れるのは自分だけだ。したがって、常に最高レベルの知識とノウハウを見に付けておかなければならない」「国の後ろ盾など期待しない。自分で考え自分でリスクをとる」投資銀行の中で流れるこうした企業文化は何かあったら公的資金に頼ろうとする日本の金融機関とは全く異質なものだと岩崎氏は述べている。

 アジア市場において、投資銀行の勝者は未だ決まっていない。外資系投資銀行は現地の有力者などを積極的にトップに就かせ、彼等のコネをいやらしいほどに駆使しようと企んでいる。日本も現地のトップに中国人を使う選択肢を最初から捨ててはいけない。では、だれが最も適任だろうか。

 私は2年4ヶ月も通い続けた温泉のおばさんから、未だに中国人と思われている。最近は「ずいぶんと日本語はなせるようになったね」と褒められるようになった。そんな私は中国で活躍するには最適な人材である。あのおばさんは、私のそんな可能性を見出していたのかもしれない。

投資銀行

2008年03月23日 00時17分07秒 | Weblog
金持ちは投資銀行に注目する。

先日、岩崎日出俊氏の『投資銀行 日本に大変化が起こる』を読んだ。岩崎氏は投資銀行で数々のM&Aの最前線に立ち活躍した経歴を持ち、本の内容もその激動の日々が伝わるほどの迫力を感じた。

 投資銀行の活躍は意外に知られていない。投資銀行の代表格ゴールドマン・サックスの名前は私の妹でも知っているが、何をやっているかはさっぱりわかっていない。それにも関わらず「将来はゴールドマン・サックスで働くことにした~」と言っているのだからアホまるだしである。

 新聞のテレビ欄しか見たことのない妹には仕方のないことなのかも知れない。投資銀行は表舞台に出てくることがないからである。それでも彼等は時代を大きく動かしてきたのである。

 例えば日露戦争。この小さな島国である日本がロシアを相手の戦争することができたのは、高橋是清の懇請を受けて、リーマン・ブラザーズの前身のクーン・ローブ商会が日本の戦費調達に協力したからだという。また、ブラジルがポルトガルから独立した際に、強力にバックアップしたのがロスチャイルドであるというから驚きだ。

 2006年のソフトバンクによるボーダフォン日本法人の買収劇においても、アドバイザーとして活躍したのはゴールドマン・サックス、UBS、ドイチェバンクといった投資銀行である。彼等の活躍はどの新聞や雑誌も報じていないそうだ。

 日本の証券会社や銀行は「今後は投資銀行業務に力を入れたい」と口を揃えて言うが、その妥当性について次回にでも考えてみたい。

金融マーケティング

2008年03月22日 13時52分08秒 | Weblog
 金持ちは金融マーケティングに注目する。

 広瀬康令氏の「金融マーケティングとは何か これがプロの戦略だ!』を読んだ。広瀬氏はシティバンク、フィデリティ投信、チューリッヒ、東京スター銀行という金融の世界でプロのマーケターとして活躍してきた経歴を持つ。

 彼の成功要因はマーケティング知識というよりは、常識を疑う能力にあると感じた。シティバンク時代、メディア戦略を考えていた彼は新聞の折込広告に目を向ける。その状況を説明する文章の中に彼のすごさが現れているので以下、一部抜粋しよう。

 「金融機関が新聞の折込広告? 外資系の銀行が? 今すぐにもそんな声がとんできそうだが、私も当初はそう思っていた。新聞の折込で、銀行に人が来るわけない、と。だが、本当に折込広告を打って、その反応を試した金融マンは果たしてどのくらいいただろうか。思い込みを排除して、やってみようと考えた人は果たしていただろうか。」

 彼は行く先々であらゆるマーケティング戦略を駆使し、会社に大きく貢献することになるが、一貫して言えるのは常識にとらわれることなく動いていたということだ。

 常識無き人間は社会から排除される。だからといって、常識にとらわれる人生はつまらないものである。要は、バランスって事だな。

 ちなみに私の弱点はバランス感覚の欠如だそうだ。

敵対的買収

2008年03月20日 20時02分55秒 | Weblog
 金持ちは敵対的買収に注目する。

 森生明氏の『会社の値段』を読んだ。企業買収の本質とは何かを問い、資本主義のシステムの根本にまで遡って優しく解説しており非常に勉強になった。その本の中で敵対的買収についておもしろいことが書いてあったので紹介しよう。

 一般的に敵対的買収は悪いイメージがある。しかし、森生明氏は敵対的買収には2種類あるという。

「良い」敵対的M&A(以下、抜粋)
 ぬるま湯につかり、会社の金で贅沢をし、自己保身のことしか考えない経営者から経営支配を取り上げる、そのために会社の株主にTOBという制度を使って直接働きかけ株式をプレミアムつきで買い取る。これは投資家株主にとっても愛社精神あるれる社員にとっても、正義の味方の登場、、日本で言えば悪徳代官をさばく遠山の金さん、西欧で言えばロビンフッドの世界です。

「悪い」敵対的M&A(以下、抜粋)
 悪い敵対的M&Aとは、影響力ある数の株式を買い集め、スキャンダルなどをネタに経営人を脅し、自分の買った株式を高値で引き取らせたり、その会社から自分のところに融資をさせたりするタイプのものです。・・・中略・・・1980年代後半に、小糸製作所の筆頭株主に躍り出て系列大株主トヨタに株式を高値で買い取らせようとしたT・ブーン・ピケンズなどが有名です。

 言われてみれば当然の話である。敵対的だからダメだという先入観では本質を見失ってしまう。大切なのは、相手のためになるのか。ひいては自分のためになるのか。M&Aという難解な話でも、案外普通の感覚が大切になってくるんだなって思った。

 先入観や固定観念にとらわれることはない。何事も自己の正義に照らし合わせ、迷い無くば、どんな批判にさらされようと実行する社会人になりたいと思う。今思えば、高校時代に野球部を立ち上げた時も自己の正義に向き合った結果だった。

日本の選択

2008年03月17日 19時51分42秒 | Weblog
 金持ちは日本の選択を考える。

 先日、日高義樹氏の『資源世界大戦が始まった―2015年に本の国家戦略』を読んだ。アメリカ最大のシンクタンクであるアメリカ国防大学の報告によると2015年の大国の一つとして日本を挙げているそうだ。日高氏は「日本の人々がいま自覚しなくてはならないのは、自らを過小評価してきた日本という国家を世界的な視点から見直す時がきている」と述べている。

 日本の選択肢として以下の3つを挙げている。

①憲法を変え、核兵器保有(独立独歩)

②アメリカと対等な協力体制を作り上げる

③中国に頼る

 サミュエル・ハンチントン教授は「③日本はいずれ中国を頼る」と予想している。日本は常に大国に追随する戦略をとってきた歴史を見ればうなずける。しかし、日高氏は民主主義を経験した日本人が「共産主義一党独裁という政治システムと、非人道的な社会制度を受け入れること」はできないと述べている。さらに考えてみると、中国が今の中国であり続けられるのかもかなり怪しい。13億の民を一つの政党で統治できるのだろうか?昨今のチベットの反乱は、中国解体の始まりではないだろうか?

 日高氏の意見は「アメリカが日本を信頼できるパートナーとして頼りにするだけの軍事力と政治力を持ち、同盟国として信頼されるようになることが最も大切である」と②を支持している。

 どちらの選択が良いのかは分からない。ただ、当事者として真剣に悩んでみたい。どちらが日本人の矜持を忘れることなく、大国としての責務を全うできるのかを考えなければならない時期なのだろう。

サブプライム問題とは何か

2008年03月15日 22時28分25秒 | Weblog
 金持ちはサブプライム問題とは何か考えてみる必要がある。

 先日、春山昇華氏の「サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉」を読んだ。社会的背景を含めてサブプライム問題を説明しており、非常に分かりやすかった。

 ただ、私はこのサブプライム問題の本質は金融技術や格付けの問題ではなく、「心の問題」であるような気がしてならない。

 当初の目的は収入が低くても、まじめに返そうとする人向けのローンだったはずのサブプライム。それがいつの間にか、ローン債権の転売という金融技術の発達により、証券会社の手によって、「どうせ他社に転売するから破綻しても構わない貸し出し」になてしまったのだ。(P13より引用)

 結果、本当に破綻してしまったということだ。彼等が倫理観をもって働いていたら、今回のサブプライム問題は防げただろう。新しい制度や仕組みづくりをしても、また同じような問題は起こる。問題の本質は「人の心」であるからだ。

 「人の心」を変える事は相当難しい。誤解を恐れずいうと、不可能なことである。不可能なことだからとニヒリズムになってはいけない。大切なのは不可能なことだと知りつつも、理想を追い求めることだと私は思う。



 最近、友人と遊んでいるとこんなことを言った。

友人「いいか!見えない物の奥にある、見えない物を見ろ」

私「・・・・・・見えないじゃん(笑)!!!」

 その時は彼をバカにしたが、そんな姿勢がサブプライム問題を解決してくれるのかもしれない。

不良少年イエス

2008年03月14日 22時43分40秒 | Weblog
 金持ちは不良少年イエスに注目する。

 佐藤優氏の「インテリジェンス人間論」を読んだ。プロのインテリジェンスとして活躍していただけあって豊富な情報と教養を感じた。その中で、あのイエス・キリストが不良であったという論を展開しているので以下要約しよう。



 新約聖書にはイエス様が誕生した時の記録は詳細に残っているのだが、その次は12歳のイエスを両親がエルサレムの神殿に連れて行くときまで記録がない。一般論として少年時代の記録がかけている人間には何かヤバイことがある。

  2世紀の終わり頃に書かれたと推定される「トマスによるイエスの幼児物語」という作品があるが、実は新約聖書が編纂された時に却下された文書である。内容はこうだ。

 幼少時代のイエスは水溜りを作って遊ぶことが好きだった。ところが近所の悪ガキが来て、イエスが作った水溜りを壊してしまう。怒り心頭に発したイエスは悪ガキを殺してしまう。

 イエスの殺人はこれだけにとどまらない。肩が触れたといって、相手の子供を殺してしまう。 近所からの苦情が激しいので、父親ヨセフはイエスに折檻を加える。しかし、そんなことを不良少年イエスはものともしない。イエスは逆切れして、苦情を言ってきた人々の目が見えなくなるようにしてしまう。

 悪ガキ・イエスはその後、善い行いをたくさんして人々から敬愛されるようになる。もっとも「善行」といっても、かつてイエスが呪いをかけて殺したり、傷害を与えた人々をものと状態に戻したというのがほとんどだ。



 神学的にこの「幼児物語」は偽典であるとの評価が定まっているそうだが、そうであることを私も願う。一応、これでも5歳の時に本気でイエス様を信じていたのだから。



・・・・・・・・・それにしても酷い話だよね(笑)

私の履歴書 浪人

2008年03月09日 14時15分50秒 | Weblog
 浪人するのだからと、今度は本気で慶応大学を目指した。行きたかったのは総合政策学部。1年生からゼミに入れ、他学部とは孤立した存在に魅かれた。合格したら入るゼミも決めていた。

 受験科目は英語と小論文。この1年間、2科目に絞って勉強することを決心。合格するも同然だった。小論文は通信指導の白藍塾に入会した。新聞は毎日2時間かけて読むようになったし、「クローズアップ現代」「サンデープロジェクト」「報道2001」「NHKスペシャル」「その時歴史は動いた」は1年間見続けた。

 小泉首相が好きで政治にも目覚めた。慶応大学で2年間政治を専攻していた姉と政治の知識勝負をしたこともある。

姉「さて問題です。小泉首相の秘書官の名前はなんでしょう」

私「飯島秘書官。」

姉「正解」

私「では、飯島秘書官が小泉首相に提案したマスコミ対策を一つ挙げなさい」

姉「一日一回、マスコミを集めて会見すること」

私「正解」

姉「ではブッシュ大統領はイラン、イラク、北朝鮮を一言でなんと呼んだでしょう」

私「悪の枢軸」

姉「正解」

私「では、悪の枢軸という言葉を生み出したブッシュ大統領のスピーチライターの名前はなんでしょう」

姉「・・・・・・」

私「不正解!デビッド・フラムでした」

 自分の得意科目で負けたことが悔しかったのか、姉が一言。

姉「小論文に熱中するのは良いけど、受験は英語もできないと受からないからね」

 適切なアドバイスに対して私も一言。

私「今はそれどころじゃないんだ」

 今がそれどころであることに気づいたのは、2度目の不合格通知を見たときだった。超長文と呼ばれる英語の試験、知っている単語はピリオドとコンマくらいだった。

 2浪はしたくなかった。どんな大学に行っても、そこで頑張れば勝ち目はある信じ、大分の大学に行くことにした。

私の履歴書 高校3年

2008年03月07日 19時16分06秒 | Weblog
 野球部最後の大会、またもや1回戦敗退であった。その日、私の夏が終わった。弱小チームであったが、この野球部で白球を追いかけた日々は生涯忘れることはないだろう。

 野球部を立ち上げた快感が忘れられず起業家になることを決意。ロック・フェラー、アンドリュー・カーネギー、ヘンリー・フォード、松下幸之助、本田宗一郎などの一流起業家の自伝を読み漁り、イメージトレーニングは完璧だった。

 あとは大学を合格して経営を学ぶだけであった。そして高校3年生の夏にしてようやく勉強を始めた。しかし、あまりにサボりすぎていたため学力は相当酷かった。

数学は、答えの前にΣの書き順が分からなかった。
「ここは日本だ」と英語を捨てた。
理科は勘でどうにかなると信じた。
日本史は赤点記録保持者。
現実逃避なのか、NHKでドイツ語を始めた。

 そんな私は慶応大学が第一志望。無理だといわれたが、「俺にはイエス様がついているから大丈夫だ」と信じていた。結果発表の日、キリスト教徒じゃなかったことを思い出す。神様にお祈りしている時間を、勉強時間に回せばよかったと悔いた。

 超長文と呼ばれる難解な英語のテスト。知っている単語はピリオドくらいだった。

 そして私は浪人を決意した。

私の履歴書 プロジェクトB 最終回

2008年03月02日 10時58分31秒 | Weblog
 野球部誕生は長い道のりであった。批判されたり、笑われたり、16歳の私には精神的にこたえた。それでもこの野球部設立を成し遂げることができたのは、さとし君を筆頭に、数多くの仲間がいたから。

 初の公式戦は延長戦のすえ敗れてしまったが、多くの先輩が応援へ駆けつけてくれた。彼等は、野球部誕生を自分のことのように喜んでくれた。

 試合後、新聞記者からインタビューを受けた。インターネットに、その時私が答えた内容が記載されていたので、以下一部抜粋する。

主将は「初めて、たくさんの応援の中で試合した。みんなの声援で雰囲気がこんなに違うのかと思った」と感激。「野球をしたくてもできなかった3年生も来てくれた。次はぜひ、1勝をプレゼントしたい」とうなずいた。

 あれから5年がたった。メンバーも全員変わり、監督も顧問も変わった。変わり続けるこの野球部に、変わらないものがあった。

 今の野球部キャプテンがマスコミのインタビューでこう答えていた。

チームの合言葉は「一勝懸命」。3年生最後の夏、少しでも長くみんなで野球がしたい。古波蔵主将「野球部の一期生の先輩方も知っているので、(先輩たちが)苦労して(野球部を)作った分、勝利して、頑張っているところを見せられたら良いと思います」

 遠くの地で、後輩の活躍を心より楽しみにしている。彼等の活躍が、私の喜びである。

 野球部を作って、本当に良かった。今、心からそう思う。



 おしまい。

私の履歴書 プロジェクトB 4話

2008年02月29日 22時30分53秒 | Weblog
 野球同好会ができて半年がたった。ずっと応援してくれて、同好会の顧問もしていた先生に呼ばれた。ちなみに彼は、野球部のためなら俺の名前を使えと自ら顧問を買って出た熱い人である。

先生「高校の規則では1年間同好会として活動しないと部への昇格はない」

私「そうみたいですね」

先生「でも一年経つと、お前たちは公式戦が1回しかない。だから特別に半年で部への昇格を生徒総会で決議することにした。いつもお前等は頑張っているしな」

 我々同好会の情熱は、既存のルールを変えた。そして生徒総会で部への昇格の決議が行われた。生徒会長の「異議はありませんか」の声と同時に、サッカー部が次々と手を挙げて異議を唱え始めた。あの瞬間は泣きたい気持ちであった。

 そんな中、一人の少女が手を挙げた。「私は野球部を認めたいと思います」・・・・・嬉しかった。

 多数決が行われることにより、賛成者は拍手を求められた。体育館には物凄い拍手が鳴り響いた。

 野球部誕生であった。その日私は野球部初代キャプテンとなった。

私の履歴書 プロジェクトB 3話

2008年02月27日 22時11分52秒 | Weblog
 野球センス溢れるさとし君に練習方法などを教えてもらいながら同好会は活動していた。そんなある日、同好会設立を協力にバックアップしてくれた先生からこんな話が来た。
「今度高体連があるから、野球同好会で何か応援団みたいなのを結成して全校生徒の前で披露してくれないかな」
その先生のお願いならばと、快く引き受けた。代表で私が応援メッセージを述べ、その後3・3・7拍子でしめるという内容にした。

 同好会を全校生徒にアピールする絶好の機会であったため、全力で取り組んだ。全校生徒の前でスピーチをすることになった私はデール・カーネギーの『人を動かす』という本を何度も何度も読みながら、スピーチの内容を考えた。

 ワールドカップ直前の時期であったため、ジネディーヌ・ジダンのストーリーを織り込んだ内容にした。前半は大爆笑、ジダンの話の時には感動のあまり体育館が静まり返った。・・・・完璧なスピーチであった。

 その後の3・3・7拍子も盛り上がった。昼休みにグラウンドに集まり毎日練習した成果だった。

 大成功を収めた野球部同好会による応援団。教室に戻るとクラスメートから代絶賛されたことは忘れられない。

 たぶんつづく