金持ち日記

金持ちなるまで続く男の日記

サウジアラビア

2007年05月31日 13時59分38秒 | Weblog
 金持ちはサウジアラビアに注目する。

 サウジアラビア国内では、若者が働かないことが社会問題になっているという。インタビューを受けていた青年は「仕事は大変だからやりたくない」みたいなことを述べていた。・・・・・こんなヤツを「社会のクズ」というのだろう。ちなみに彼は父親から毎月30万円のお小遣いをもらっているという。石油大国ならではの生活である。

 日本のように仕事がないからではなく、お金があるから働かないということらしい。ニートの問題にしても、サウジアラビアの働かない若者にしても問題は親にあると考えている。親の教育方針が間違っているのだ。私はこのようなことを幼稚園のころから考えていた。

 私の幼稚園はカトリック系で、毎週土曜日は礼拝堂に集まり、みんなで神様におお祈りをささげていた。そんなある日、園長先生のある一言が気になった。

園長「では、みなさん!今からイエス様を通して神様にお祈りをしましょうね~」

私「・・・・あの~・・・・・園長先生・・・・・」

園長「何?トイレに行きたいの~?」

私「僕たちって神様の子でしょ。だったらイエス様を通さなくて直接神様にお祈り
  するべきじゃないの?」

園長「違うよ。みんなが神様の子だったらどうして悪いことする人がいるの?どう
   して不良みたいな人が生まれたりする?」

私「それは親の育て方が間違っているからだよ」

園長「うっ・・・・・それは・・・・・・・・」

 わずか5歳で、園長を倒した。そんないやらしい子供に育ったのはきっと親の育て方が悪かったからであろう(笑)

無知の知

2007年05月28日 01時41分14秒 | Weblog
 金持ちは「無知の知」に注目する。

 ある友人と、夜な夜な酒を飲みながら哲学の話で盛り上がる。この世の普遍的な原理とは何か熱く語るのである。昔の哲学者が何を言ったかということで満足するのではなく、自分なりの考えを創りだすところがレベルの高さを示している。

 紀元前470~399頃、自分以上の知者がこの世にいるのかと疑問に思い、ギリシャ中の賢人を訪ねた男がいた。彼の名をソクラテスという。ところが、勇敢な将軍は勇気とは何か」と聞かれても答えられず、公正な政治家は「正義とは何か」を知らず、優れた詩人も「美とは何か」を説明できなかった。彼らは「何が勇敢な行為か」「何が正しいか」「何が美しいか」の例を挙げることはできても「勇気や正義や美とは何か」を述べることはできなかった。「勇気とは何か」などを述べることができない点では、ソクラテスもかわらなった。けれども彼は自分でそれができないことに気づいていた。そのことに気づかず、自分は知者だと信じていた賢人たちに比べ、相手よりわずかにすぐれていると考えたのである。それを「無知の知」というのである。(参考、図解雑学「哲学」)

 友人との会話を思い出せば「俺たちは無知の知という言葉を知っている。だからその言葉を知らない周囲の人たちよりもはるかに優れている。」という内容であるから「無知の知」をまったくわかっていない。

 ちなみにそんな大いなる勘違いをしている人々を我々は「むちむち」と呼ぶことにしている。 

涙そうそう

2007年05月26日 01時21分30秒 | Weblog
 金持ちは涙そうそうに注目する。

 私は幼い頃からバイオリンをやってきた。先日、漫画好きな友人が「あなたは“のだめ”みたいだね」といってくれた。私も日本人なので「いやいや。確かに練習は嫌いだけどそんなに潜在的に秘めたテクニックや才能とかないし・・・・・」と答えた。「だって部屋がきたないじゃん」と的確な返答をされて戸惑った日々もあり、部屋の大掃除をした。

 きれいな部屋になったため嬉しくなった。嬉しくなりすぎて苦情覚悟でバイオリンを弾いた。いつも隣の部屋が気になってバイオリンを弾くことはめったにないがたまには神様も許してくれるだろうと思い大音量で「涙そうそう」を弾いた。

 弾いているとどこからか声が聞こえてきた。よくよく聞くと隣の住人の声だ。さらによくよく聞くと、私のバイオリンに合わせて歌っているではないか。やめるにやめれず、結局最後まで一緒に美しきハーモニーを奏でた。

 幼い頃父が「音楽は世界中の人に通じるものだ。言語が通じなくても、宗教が違っても、音楽を楽しむ気持ちは世界共通だ」と語っていたのを思い出した。でもまさか顔を知らぬ隣の住人とも通じ合えるほどの威力があるとは予想だにしなった。これから顔も知らないどうしではあるが、隣の住人と美しきメローディーを奏でていきたいと思う。あわよくば、CDデビューも夢ではない。そう、夢ではないかもしれない。うん、夢でないような気もしなくはない。いや、完璧な夢だな。

ヴェノナ文書

2007年05月22日 16時54分16秒 | Weblog
 金持ちは「ヴェノナ文書」に注目する。

 1930年代から1940年第にかけてアメリカ(ワシントンにあるソ連大使館など)とソ連の間で交わされた極秘電報がある。米国安全保障局(NSA)はすべて傍受していたが暗号解読できずにいた。第二次世界大戦時のソ連の暗号を戦後も極秘に解読作業が進められていた。スーパーコンピューターを駆使し暗号を解読すると、恐るべき事実が出てきた。そんな超極秘史料が1995年に公開された。

 ヴェノナ文書によると1930年~1940年代のアメリカ政府の中には、次官クラスの高官も含め300人以上のソ連=コミンテルンのスパイ・工作員がいたという。その名前まではっきりと言及されていたのである。ヴェノナの公開は、アメリカに深い衝撃をもたらした。なかでも衝撃的なのはF・ルーズベルト政権の時の財務次官であったハリー・D・ホワイトという人物も、実はソ連のスパイということである。ホワイトという男はあの有名な『ハル・ノート』の起草者なのだ。

 ソ連からホワイトへ日本がのめない要求を出せ、との指示があったという。当時の米グルー駐日大使も戦後、『ハル・ノート』が日米開戦のボタンを押した、と証言している。東京裁判のパール判事は、どんな国でも、例え軍隊のないモナコのような国だって、『ハル・ノート』を突きつけられれば、アメリカと戦うだろう、と語っている。

 
 中西輝政氏(京都大学大学院教授)によるとこのヴェノナ文書は学会・マスコミもこぞって目にふたをしているという。歴史の評価を大きく変えるかもしれないこのヴェノナ文書を隠すのはなぜだろうか。まさかスパイ天国と言われている日本のマスコミや権力者の中にもコミンテルンのスパイがいるのではないかと疑ってしまう。

(参考文献〉
 中西輝政 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」2006年PHP研究所
 渡部昇一 この国の「儀」を思う -歴史の教訓 2006年 致知出版社

汽車

2007年05月19日 16時22分17秒 | Weblog
 金持ちは汽車に注目する。

 今日、友人が中国へ帰った。

 その友人とはいろんな思い出をつくれた気がする。毎日バイトで顔を合わし、バイトが終われば温泉へ直行。その後、映画やドラマを見ながらご飯を食べる。これが毎日のように繰り返された。冬休みには彼の北京の実家に遊びに行ったりと本当にお世話になった。

 朝、9時22分発の電車に乗って帰るという。どうしても見送ってやりたいと思い、早く起きて駅へ向かった。8時30分には二人とも駅に着いた。駅で語りあった思い出話は途切れることがなかった。ただ、刻一刻と時間は過ぎていった。

 電車を待つ友人の横で私は時計を気にしていた。ただ、季節はずれの雪がふっていたかは確認していない。

 そうこうしていると電車が来た。友人が「もしかしたら日本へはもう来ないかもしれない。あなたともこれが最後かもしれない。今までありがとう」と言って電車へ乗った。こぼれ落ちそうな涙を我慢しながらこの友人に出会えたことに感謝した。

 よくある映画のように泣きたくなかった。ただ、去り行く電車を追いかけることくらいはしてもいいかなと思っていた。ホームは長い。軽くストレッチをした。そして電車の扉がしまった。

 「よし、追いかけよう!」

 いよいよ電車が動きはじめた。・・・・・・・「あれ、電車がもう見えない。」
最先端の技術を駆使し作られた電車はものすごいスピードであっという間に過ぎ去っていったのだ。感動も何もない。私はまだ走り始めてもない。

 私が沖縄に帰るときには電車に乗りたくないなと思った。やっぱり科学技術によって失ったものは大きい。近代の合理主義によって、ホームで去り行く友を追いかける時間をなくしてしまった。やっぱり科学技術はダメだ。

 私が沖縄に帰るときは電車でなんか決して帰らない。私は昔なつかしに汽車で帰りたい。でも途中に海がある。でも大丈夫。私には海をも走る汽車を作り出してくれる、科学技術がついているから。