相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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2012年3月31日『長野電鉄屋代線』ラストラン(その22、最終回)・さようなら『屋代線』、90年間ありがとう。・・・で、帰りは?

2012-07-08 09:24:17 | 信州の「乗り鉄・撮り鉄」記

前回は、終点の須坂駅到着寸前に2000系A編成が、信濃川田駅へ移動し始めた瞬間を見たところまででした。




須坂駅に到着しました↓
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ぞくぞくと降りていきます。


実は、ここで社長からのあいさつがあったのですが・・・撮影できず・・・orz↓
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あいさつが終わって、しばらくしてから3500系が回送されます。


そして、先ほどまで「屋代線」を走っていた3500系が車庫へ回送されました(動画)↓




階段を登り、ホームから出ます↓
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改札を出ます。結構、混んでいました。


電光掲示板をみたら・・・あれ?何も無い!!↓
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時間は、夜の11時30分になろうとしています。つまり、本日の営業は終了です。
・・・って、帰りはどうするの?たしか車は、長野駅の駐車場だったはず・・・orz


この電光掲示板とBGMの「蛍の光」・・・そして、自分の大失態・・・悲しい(動画)↓




そのまま須坂駅を出て、この「長野電鉄屋代線」ラストランは終わりました↓
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結局、長野駅まではタクシーで戻りました。約5,000円・・・orz
長野駅から高速経由で帰りました。それが、記事を作った日から約3ヶ月前の事でした。






90年の長きにわたって運転されました「長野電鉄屋代線」も2012年3月31日をもって運転終了し、廃線となりました。国鉄時代には、屋代駅から長野電鉄への連絡線があり、上野~湯田中間の「急行志賀」が乗り入れしていました。その後、合理化で乗り入れが廃止。国鉄からJRへ、そして1997年10月の「長野新幹線」開業で人の流れが変わった事も廃止へ繋がった原因だと思います。


実は、7月7日(土)にあれからの「長野電鉄屋代線」跡を回ってみました。詳しい内容は、後日アップします。印象に残ったのは、「長野電鉄」須坂駅と『しなの鉄道』屋代駅が完全に単なる中間駅に変わったところですね。今までは「屋代線」に乗る人が少なからずいましたが、廃線でそれもありません。
短期的には、赤字が減る事になりますが、長期的には・・・どうでしょうか?



このように現在の鉄道については、極端に言うと「新幹線のみしか、儲からない」との事です。
JRすら在来線も不要と言っている時代です。


鉄道に未来があるのでしょうか?次の世代が、『鉄道=新幹線』と変な認識をしないように・・・


このシリーズもこれで終了します。長い間ありがとうございました。それでは、また!!












            Written by てつ人28面相




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