昨年の4月に完成した南相馬市メモリアルパークに行ってみた。
北泉海浜総合公園に隣接した以前住宅があった場所に盛土して作られた。
津波が発生した場合の緊急避難経路としての機能を持つ高台に設置されています。
階段の他に車いすでも登ることが出来る通路があります。
メモリアルパークの高さは10m。
それ以上の津波が予想される場合は高台の公園へ通じる通路も確保されています。
メモリアルパーク内には記念碑とモニュメントが設置されています。
東日本大震災復興記念モニュメント。
三角錐の間には、東日本大震災時の津波の高さ11.1mが記されています。
海面がこの高さまで盛り上がったなんて恐ろしい。
モニュメントはステンレス製の双三角錐で構成され、
本体は、南相馬市の3区(鹿島区、原町区、小高区)の絆を表現します。
下部は、大震災から今日までの復旧・復興を、
上部は豊かな自然が映り込むことで、
南相馬市の未来を創造する力強さを表しています。
東日本大震災に伴う南相馬市の被災状況が記されています。
震災前の北泉海浜総合公園は松林に囲まれたきれいな公園だったんですよ。
津波に襲われて全て流されてしまった公園。
3月22日は原発事故で避難を余儀なくされた時期。
私が訪れたのは避難先から帰宅した4月1日。
あれからもうすぐ11年。
松林は消えてしまったけど公園は復興しています。
緑が戻るには数十年かかるでしょうね。
記念碑には犠牲になった807名の名前が刻まれています。
碑文は、
平成23年(2011年)3月11日午後2時46分に発生した、
三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震は、大津波を引き起こし、
多くの家屋や財産、636名の尊い命を奪い去りました。
さらに、東京電力福島第一原子力発電所の事故により、
当時の人口7万人のうち6万人を超える市民が、市外への避難を余儀なくされました。
過酷な避難生活により健康を損ない、命を失った方も500名を超えています。
やり場のない悲しみは、今なお癒えることはありません。
犠牲になられた方々を忍び、復興への決意を新たにするとともに、
震災の記憶や教訓を次世代へ継承していくことを誓い、
この碑に犠牲者の御芳名を期します。
記された名前の中には知り合いの名前が多くありました。
あの笑顔が忘れられませんね。
ここの場所は、津波が襲う前に友人の家があった場所。
避難先から帰ってきたときには家の基礎しか残っていませんでした。
先日も津波警報が発令されたけど、
津波警報が出るたびにあの時のことがフラッシュバックしてくる。
震災と原発事故からもうすぐ11年。
あんな思いはもう二度としたくない。
昨年と今年、サーフィンの大会で北泉、四倉海外にお邪魔させて頂いた者です。
私は発災の翌月から1年福島県で仕事をさせて頂いていた事もあり、復興した姿を見たい、子供達にも見せてあげたいと思っていたところ、昨年ようやく夢が実現いたしました。
先ほど、次男が夏休みの自由研究何にしよう?と相談して来たので、福島の現状を報告するようなのはどうかと提案しました。
前置きが長くなりましたが、福島滞在中海岸以外にも色々訪問しましたが、北泉が拠点だったので、北泉の震災前の写真やメモリアルパークの使用許可を頂きたくコメントさせて頂きました。
夏休みの自由研究に福島の現状を取り上げていただきありがとうございます。
写真はご自由にお使いください。お役に立てれば幸いです。
有り難く使わせていただきます。
子供達も貴重な体験をさせて頂く事が出来ましたし、サーフィン連盟が会場を福島県に選んだ理由が分かった気がします。
福島県のHPに「"知るという復興支援"があります。
風評の払拭に向けて、知ってください。福島のこと。」とありました。
まさに自分達が出来る事はコレだと思って題材にさせて頂きました。
少しでも地元の同級生達に、今の福島県の現状が伝わるように取り組みたいと思います。