鴻待日和

44歳。進行流産・化学流産・稽留流産。
愛しい人の子を抱ける日は来るのか・・・?

新聞の運勢欄に

2007年04月30日 | 不妊治療
 今朝の朝刊の運勢欄に良いことが書いてあった。

 「心配は自他を苦しめる。心配を仏にお預けすれば心配は無となる」

 クヨクヨ心配しても、自分のことなのに自分ではどうしようもない自律系のこと(たとえば、今月の排卵日が連休中に来るか否かとか)は、いくら考えてもどうしようもないこと。
 ならば、ホイッと神さまにお預けしてしまおう。カルくなって、朗らかに休日を過ごそう。

 神さまは、良いようにして下さる。
 もし排卵日が来てタイミングが合わなくなってしまっても、それはそれで神さまのお計らいなのだ。

 こんにち試されているのは、私自身の信仰心。
 信じること、それは私にできること。自分の心もちをどうにかすることなら、いくらでも頑張れるぢゃないか。

 頑張る。

 この連休に入ってから、ウソ君の機嫌が悪い。
 私ミソサザイの言動のせいかもしれないし、仕事や勉強(資格試験に挑戦中)が忙しいせいかもしれない、連休前に一緒に病院へ行ってドクターにステップアップの話を聞いた、そのことがショックだったのかもしれないし、親知らずが痛いのかもしれない。

 でもウソ君は高倉健なので、何も言わない。黙って機嫌悪いオーラを出してる。

 黙ってちゃ、ミソ、どうして良いかわからないよ。
 そう言ったらウソ君、気を遣って努めてカルいおしゃべりをしようとしてくれる。

 ミソがウソ君の愛情を感じるのは、こういう瞬間だ。自分のテンション下がりまくりなのに、ミソを思い遣ってくれる。

 その愛情に、ミソも応えなければ。
 自分の身体の心配で、自分だけでなく他者であるウソ君をも苦しめるようなことは、しちゃいけない。

 子供ができなかったらどうしよう、と心配してメソメソ泣いて授かるならば、目が腐るまで泣く事もいとわない。でも決してそうではないのだから、明るくほがらかに暢気に構えよう。少なくとも、そういうココロモチになれるよう、ミソ、
頑張りまっす