鴻待日和

44歳。進行流産・化学流産・稽留流産。
愛しい人の子を抱ける日は来るのか・・・?

いつまで頑張れるだろう

2008年07月26日 | 流産
 今回は、何も味わえないうちに終わってしまいました。
 ふつうに「失敗周期」と同じだったのに。

 1回着床して、そのまま成長が止まってしまったので、カウントとしては「流産」になる、らしい。

 ・・名前、つけてあげなきゃ。

 初めての胚盤胞ちゃんで、凍結やらアシスタントハッチングやらいろいろ無理させたのに頑張って着床してくれた「つよい子」ちゃんだったので、「ツヨちゃん」。

 バイバイ、ツヨちゃん。
 まだリセットしてないので、実感が湧かないけど。
 悲しすぎて涙も出ないけど。

 よかったら、また来てね。
 抱いてあげたいよ。ぎゅって、抱いてあげたい。

 でも、43歳。
 お金持ちでもない(多分、どっちかというと安月給な)私たち。
 いつまでチャレンジできるだろう。
 この落胆と失望にくじけずに、コウノトリ待ちをいつまで頑張れるだろう・・。
 

 

あれ・・?

2007年08月27日 | 流産
 ミソサザイは特定の宗教に帰依してはいませんが、典型的な日本の庶民らしく(?)お家の中には神棚と仏壇が欲しい。
 でも今のところ、ウソ君との生活は仮住まいで神棚も仏壇もありませんし、たとえ仏壇があったとしても双方の両親は分家で且つ健在なので、祀らなければならないホトケさんは今のところいない。

 ・・そうは言っても、幼い頃から仏壇に向かいご先祖さまに挨拶するのが習慣になっているので、仮住まいと言っても何も無いと落ち着かないもんです。
 なので、祈りの場というか、ご先祖さまへの《心の通信基地》というカンジで、低い棚にお水とお茶とお香立てを置き、通りすがりの無縁さんが寄ってくると困るから双方の祖父母の戒名などを書いて立て、インテリア代わりの花を飾って、忙しくない朝は線香を手向けることにしています。

 でも、ウソ君のご家庭ではそういう習慣が無かったのか、《日常的に祈る》ことには無関心なんですよね。(神社仏閣に出かけた時は勿論べつですが。)
 ミソサザイが、忙しい朝の合間をぬってちゃっちゃと水・お茶・線香!とやっていても、一緒に祈ったことも手伝ってくれたことも無い。

 ・・まぁ信仰なんてものは自分のためにやるもんで、人を誘ったり勧めたりするもんじゃないと思っているミソサザイ(←信仰心があると知るとスリ寄って来る人種にチョー辟易していたりする・・)、当然、ウソ君にも祈ることを勧めたことはありませんでした。

 先日。ミソサザイは3日ほど、夏休みで実家に帰省するため家を空けました。
 帰宅した翌朝。いつものように水とお茶を替えようとして、「・・あれ?」

 水とお茶の位置が逆になっている。

 ・・ま、たまに寝ぼけて間違えるからな。

 さ、次は線香・・と思って見たら、そろそろ無くなるなァと思って節約して使っていた線香が、全てカラッポになってた。

 私が留守の間、かわりにウソ君が仏壇の世話をしてくれてたのだ。(水とお茶の位置は逆だけど

 ウソ君は、あいかわらず高倉健で、「俺が替わりにやっといたよー」などとは一言も言わない。だからあやうく見落とすところだった。

 ウソ君は高倉健で、悲しいとか残念とかいう感情の言葉も、ほとんど口にしない。態度にも表情にも出さない。でも、黙ってひとりで祈っていた、ウソ君。
 多分、たーちゃんのために。
 あるいは、たーちゃんに「そっちの世界で次の子にウソ家を推薦してね♪」とお願いするために。

 ウソ君がどんなにたーちゃんのことを残念がっていたか、しみじみ分かった気がした。

 だからこそ、頑張らねば。次のトライに向けて

喪中2

2007年08月23日 | 流産
 引き続き「喪中」です。
 生理18日目でまだ低温期が続いている。こういう体調は久しぶりです。

 2つ目の病院で高プロラクチン血症と診断されてテルロンを飲み始めるまでは、ミソサザイの生理周期は33日型でした。生理18日~20日頃に排卵日が来るペース。
 もっと分かり易く言うと、生理が7日くらいで終わった後に、低温期のゆったりした体調が10日前後続いて、その後に高温期・・テンションは高いけど体調としては綱渡りな感じの14日間がきて、そして次の生理(当然ながら、生理中は体調悪し)という周期でした。

 ところが、テルロンでプロラクチン値を抑制してからは、いきなり生理周期が短くなった。
 周期24日程度。
 ・・ということは、生理が終わって体調が戻ってホッとするのも束の間、ボンッと高温期に突入してしまう。低温期のまったりゆるゆる・・が、ほとんど無い。

 正直、ここ数ヶ月は身体がしんどかったデス。

 これはシロウト考えだけれど。ミソの身体には33周期が最適で、プロラクチンはストッパーというかペースコントローラーだった。でも「コイツが不妊原因だ!」ってテルロンで無理矢理押さえ込んだので、卵巣が「~♪」となっちゃって、次のタマゴ、ハイ次排卵、排卵・・みたいな感じになっちゃったんじゃないだろーか。
 ミソは高プロラクチンでも、キレイに二相に分かれた体温変化をしていたし、生理周期の乱れも全くなかった。
 高プロラクチンだけが不妊原因だったとは考えにくいが、どうか。

 今回、たーちゃんが宿ったことでテルロンの服用を止め、その後は何も飲んでいない。気がつけば今は何ヶ月ぶりかで、朝夕の葉酸サプリ以外、薬っぽいものは全く飲んでいない。

 たーちゃんがくれた「身体に夏休み」

 経過観察で受診した。
 ドクターが「まだ体温上がりませんか?」とちょっと不審そうに言った。今の病院のドクターは、24日周期になったミソしかご存じない。だからこんなに次の排卵が遅れているのは、流産後の回復が順調でないためかと心配されているのかもしれない。
 けどミソとしては今回この機会に、もうちょっと低温で身体を休めたいです・・なキモチ。

 内診して、今周期のタマゴ確認。現在14.7mm。排卵まであと3,4日かかるカンジ。うんうん、いいペースじゃない?

 これが本来の、ミソのペースだと思うんだがな。
 今回の血液検査の結果、プロラクチンがまた高くなっていれば、いずれテルロン服用は再開せねばならんかもしらんが。

 ちなみに、市販の排卵検査薬はこんな時点でクッキリ(+)陽性。
・・んなワケ無いやろ。
 取扱説明書にあるとおり、流産後は誤反応するのね・・。実際に見れて面白かったけど、検査薬1本約500円也を無駄にしちゃった・・

喪中

2007年08月10日 | 流産
 悲しませると困るな、と思ってウソ君には言っていないけれど、流産が確定した日の夜、ミソサザイは夢でたーちゃんと会った。

 夢の中で、10年ちかく前に死んだ愛犬の声がしている(←このコはわりとしょっちゅう夢に出てくる。守護霊ならぬ守護犬だと思っている。夢を見るたび、ミソをあったかくて幸せな気持ちにさせてくれる)。
 あのコったら、まぁたムダ吠えをしてる~。叱ってやめさせなきゃ。
 そう思ってふすまを開けると、そこに見たことのない3歳くらいの男の子がいた。
 腹ばいになって、積み木の電車か絵本で独りで遊んでいた様子。全く見たことのない顔なんだけど、なぜかミソはその子のことを知っていて「何だ、居たのー」と声をかけた。「居たなら、こっち来ればよかったのに」
 そう言いながらミソは、その大人しい子をよいしょっと抱き上げる。14~15キロくらいのしっかりした体重を感じながら。その子ははにかんだような表情をして、でも別段いやがる様子もなく、じっと抱かれてくる。・・そうなんだ、この子だって本当は甘えたいと思っているけれど、この子にとっては遠慮するのがアタリマエになっているんだよな~、と思うミソ。よ~し、これからミソが遊んであげよう。何して楽しませてあげようかな・・・

 そこで夢は終わった。

 あれが、たーちゃんだったかもな、って思った。

  

 流産確定の3日後。経過観察のため受診。
 もしその時点でホルモン値が充分に下がっていないと、子宮内に残存物があるということで、それを掻き出す手術が必要になる。
 ・・でも体感で分かる。そうはならない。たーちゃんはキレイにさよならした。
 
 あいかわらず、体感はアタリ☆ 血液検査の結果を見て「これなら手術は必要ないでしょう」とドクター。

 せっかくなので、前回は動転していて聴けなかったことをいろいろ尋ねた。
 結果、よく理解・納得できた。今回のことは、たーちゃんの「受精卵としての寿命」だったってこと。母体のミソサザイにはどうしようもなかったのだということ。バタバタ慌てたり焦ってオロオロウロウロしたことは、すべて全くの徒労であったということ。

 そして「受精卵の質」というものは、年齢と負の相関があるということ。
 だから今後の流産率も年齢相応で、成功する可能性は低いのだということ。

 時間は巻き戻せない。その重さを、本当に本当に実感した。どんなに身体を鍛えても、節制をしても、加齢には抗えない。
 若い頃に何の根拠も無く「私は大丈夫、何とかなる」と思っていた。その驕りを、この歳になって後悔する日が来るなんて。

 何てバカみたいな人生だろうと思った。

 せめて、ウソ君と出会った直後の5年前にこの段階まで来れていれば、成功の確率はもう少し高かったかもしれなかったのにな~・・後悔先に立たず。
 そして、そもそもふたりが出会った年齢も遅かった。だからこれも運命なのだと思う。

        

 ちなみに、ミソが一番心配していた疑念も、今回のことで解消されました。

 実はミソは、よく分からないままヒソカに思い悩んでいた事があって。
 それは・・「妊娠できないのは、たとえば受精卵ができて着床してもミソの身体自体がそれを認識できず、適切に反応しなくって、それで毎月リセットだと思っていたけど実は知らずに流産を繰り返していたのである」・・なーんてことは無いのかな?と心配していたのでした。

 今回、たーちゃんができてみて、そうではないことが分かって、その点だけは安心しました。
 ミソの身体の方は妊娠を継続しようとしていた。その跡が、流産後も血液のホルモン値に残っていたのです。毎月のリセットとは違って。

 この「βナントカ」って値がゼロにならないまま仮に次の妊娠をしても、流産率は統計的に有意に高いとのこと。
 だから今回、流産とは言っても体感的には通常のリセットと同じような感覚で、身体はキツくないのだけれど、再チャレンジはすぐには出来ない、とのこと。

 人間の浅はかなアタマで良かれと思ってアレコレ焦るまでもなく、神さまが精巧に創り上げた身体の方が、ちゃんと「喪中」の時間を設定している。凄いな~。

 そうだよね、今回は「リセット」ではなく「お別れ」だったのだもの。
 ゆっくり、静かに、時間を過ごそう。

 その間に、今回痛感した、やり残している準備をしとこう。次こそは慌てないように。身体も鍛えよう。充分な睡眠もとろう。
 この喪中期間は、次こそより良いタマゴができるように、過ごそうと思います。

 まだまだ、あきらめないよ
 

流産

2007年08月07日 | 流産
 その朝から丸3日間、たーちゃんは頑張りました。

 そして4日目の朝。
 出血は止まるかに思えたけれど、目が覚めた時に、身体の感じで「さよなら、だな・・」って分かった。

 ・・分かるものなんだねぇ。

 自分の体感を信じたくなくて、急いで病院へ行ってみたけれど、内診した時にはもうたーちゃんは居なかった。血液検査。結果を待つ間にも着々と出血、身体の感じが刻々と変わっていくのが分かる。だから結果が出てドクターのお話を聞く頃にはすっかり覚悟ができていた。

 流産の原因は不明。優しいドクターは、母体ミソサザイが何かヘマをしたせいでは「全然無いですよ!」とだけ強調して下さった。その瞬間だけ涙が出そうになって、慌てて診察室を出た。

 ありがとう、たーちゃん。
 たった1ヶ月たらずだけれど、生まれて初めてママ気分を味わうことができて、ミソは本当に幸福でした。嬉しくて嬉しくて、今思い返してもその幸福感にうっとり微笑んでしまう。

 まだ生まれてもいなかったたーちゃんは、すごく親孝行な子でした。頑張った3日間というのは、実はウソ君の仕事がらみの試験の期間だった。パパ・ウソ君を気落ちさせないように3日間頑張って、試験が終わった翌日に、さよならするなんてね。

 まだ心音も打たないたーちゃんに、本当にいろいろな事を教わった。いろいろ考えさせられた。準備が整っていないこと、自分にできることとできないこと、42にもなってまだまだ不惑じゃない自分の姿。

 それから、今後のこと。厳しい現実と年齢のこと。

 たーちゃんが居なくなった夜、ウソ君と将来の事をあれこれ話し合いました。今後、事態が好転・前進していくとしたら、それはたーちゃんの存在の力。
 早く逝く子は徳の高い子。
 素晴らしい子を授けてくれて、神さま、ありがとうございました。

 そして、ミソに心を寄せて、たーちゃんを応援してくれた皆様、ありがとうございました。温かいお心とコメント、本当に有り難く心強かったです。
 どうぞ、ミソと一緒にたーちゃんを見送ってあげて下さいネ。