「海老名殿・・いかがであるや?」
戸の外からの声は伊三郎である。
海老名は抱き上げた子が静かであるのを確かめながら
「また、御前様か?」
やってきた伊三郎のせいで女鬼は策をかえざるをえなかったのである。
「いや・・それが」
上臈さえところばらいをかけているというに、
この伊三郎はぬけぬけとやってきたのである。
「きになって、しかたない。
わしが来た事は若にも内緒にしてくれねば成ら . . . 本文を読む
海老名は悲しい事をいわねばならない。
かなえが二人目に気がついておらぬ事を祈りながら、
海老名は産屋の戸をあけた。
かなえはうっすらと瞳をあけ、側に蠢く小さな命をみつめていた。
海老名は押し黙ったままかなえのあしもとにたった。
かなえのはらをなぞり、
「もういちど・・」
いきむ事を要求した。
海老名の手に赤い塊がおちてきた。
えなは役目をおえた事にほっとしているかのように生温かく . . . 本文を読む
飽かず眺めている主膳である。
半刻、傍らに伊三郎は墨を磨っては筆をなめさせ待ち受けている。
まだ、名前がきまらぬのである。
赤子の名前を決める。
いいだしては、主膳はかなえと赤子を眺める。
ふやあと泣き出した赤子を抱くとかなえが乳をふくませる。
かなえが綺麗だった。
やさしくて、柔らかい、かなえが
もっと柔らかいものをそっと抱き寄せる姿は
―綺麗だった―
「主膳様・・」
催促 . . . 本文を読む
仮の名もない。
光来一子としたためると、産土様の加護を授かりに行った。
姿こそ違えども、かなえの子である。
ましてや、あれほど、
かなえが欲した童子の子としか言い様がない姿である。
鬼の子の証を身に呈していたばかりに、捨てざるを得なかったが、
それでも、かなえには勢ととも、
どちらも愛を注ぐ子であったはずである。
「お許しくだされ。海老名の策を。海老名の罪を。海老名の嘘を」
ただ . . . 本文を読む
それから、幾日も経たなかった。
側女。男子を生めば間違いなくお方様になる八重が入城した。
健康な女を選りすぐった。
教養。
性質。
修養。
人よりは秀でている。
選ばれた女はさる、公家のおとしだね。
噂されている通り気品もある。
『わしは・・種馬ではない』
いくら上等な牝馬であっても、主膳の心は悲しい。
昼の間に引き合わされた。
「今宵にはおわたりなされるよう」
近習がそ . . . 本文を読む
八重の元に主膳はわたった。
が、
それきりである。
哀れなるは八重であるが、
その後、主膳はどうしても八重に寄り付きもしない。
「たしかに」
伊三郎は聞くべき筋でない事と十々に承知しながらも八重に尋ねた。
主膳との間にことがあったのか?
「はい」
項垂れそうになる顔を伊三郎に向ける八重は確かに嘘は言ってない。
だが、子種を孕む道具としてしか八重を見ようとしない主膳である事も、
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言うてもせんない。
伊三郎の呟きが胸の中でこだまする。
あれから、子さえ宿らぬ。
一口に十年といってみたところで、
この十年の間にかなえと主膳の結びが
いかにくりかえされたことであろう。
なれど、子が宿らぬ。
宿った子は・・・光来の子のみ。
この事実を知るものは海老名だけであるが、
ゆえにいいきれる。
かなえの心は今も光来にある。
かなえの中に落とされた光来の精はかなえの血に . . . 本文を読む
伊吹の山は深い。
用事を取り付くろい、海老名は城をでた。
目指すところは、伊吹の山。
住み着いた鬼。
光来童子を捜す。
「いでませえええ」
「光来童子いーーーーーー」
「いでませえええええ」
声を枯らし、呼び続け呼び求めた童子は現れない。
「いでませえええええ」
頂上は近い。
なれど、海老名の声にこたえる童子はない。
「どうせよという」
八重は一子をうんだ。
子は男。
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