コーヒータイム(与太話)
20世紀の戦場カメラマンとして、世界的に有名だった
ロバート・キャパという人がいます。
スペイン内戦時、兵士が撃たれて崩れ落ちる瞬間を捉えた
写真が、出世作としてあまりにも有名です。アメリカの雑誌
「LIFE」に取り上げられ、反戦的な意味合いから、
ピカソのゲルニカと並び称されるほどの反響を呼びました。
しかし、後世の研究から、この写真はインチキとされています。
写真は前線ではなく、訓練中の兵士を撮ったものである事。
訓練なので、撃たれたわけではなく、足を滑らせて倒れる
瞬間であった事。しかも撮影したのはキャパ自身ではなく、
当時の同僚であり、恋人でもあった女性であった事。
などです。
厳密に言えば、写真自体はヤラセではなく、兵士が訓練で
すっ転んだところを撮影し、それを戦闘で被弾した兵士を
撮った事にして、出版社に売り込んだ、という事に
なるのです。
事実を写してはいますが、真実を明かさずに、別のシーンを
撮った事にして、売名に使った、という事になります。
その後、しばらくして、この恋人の方は戦車に轢かれて
死んでしまいます。よって、真実はキャパのみぞ知る、
という状況になり、それが何十年も続く事になります。
理科系的な事象にもとづく評価とは違い、人間の感性に
訴える類のものは、時として、評価が分かれるものです。
キャパの出世作は、たまたま時流に乗った、という事
でしょう。
しかし、キャパの写真家としての腕は本物でした。
それは、その後の写真を見れば分かります。
世界的に名の売れたキャパは、有名人や著名な画家など、
多くの人達と交流します。正真正銘、一流になったのです。
メディアとして、そしてアート作品としては
黎明期であった写真というジャンルを、
確実なものにし、後続の触発にも大きく貢献した、
という意味では、偉大な足跡かと思います。
でも、死んだ後で分かった事とは言え、
取っ掛かりはインチキでした。
人間の評価というのは、かくも曖昧なものなのかと、
可笑しくなりますが、実力が伴わない人が、
幸運だけで有名になっても、一発屋で終わって
しまいますので、少なくともキャパに関しては、
一流と言ってしまっても良いかと思います。
ただ、実力は一流であっても、「当たらない」と、
一生そのままで終わってしまう人の方が多いように
思えます。
キャパもその事を分かっていたからこそ、
最初は「作った」のかも知れません。
一方で、当たった人に対して、「良い」という
評価が多いというだけで、自分もそれば「良い」と
同調してしまうのも、どうかと思います。
特に、例えば電気製品の使い勝手のように、
その優位性が可視化できるものならまだしも、
人の感情や気分的なものだけが評価基準だったり
した場合は、疑ってかかるのも大事かも
知れません。
逆に、人が何と言おうと、自分が下した評価が
「良い」ならば、それはそれで満足しても
構わない事かと思います。
話が少しそれますが、美術の公募展でも、
どうしても複数の審査員の好みに合った作品が
入選しやすいのは否めません。
正直言って、これが特選?と思える作品も
見掛ける事が有ります。
また、同じ公募展で、日本画と洋画、それぞれで
入選する作品の数が同じ、という場合が有ります。
例えば日本画で特選が1枚、入選が5枚なら、
洋画でも特選が1枚、入選が5枚といった感じです。
これも考え物です。今年は日本画は当たり年だが、
洋画はハズレが多い、という時は、日本画は入選10枚、
洋画は入選は2枚だけ、という事にしてしまっても
良いように思えます。
数年前、或る有名な公募展で、審査員に贈り物を
したりすると、入選しやすくなる、といった協会の
体質が問題視され、今では審査基準や入選作品数など、
少し改善されて来てはいるようですけど。
20世紀の戦場カメラマンとして、世界的に有名だった
ロバート・キャパという人がいます。
スペイン内戦時、兵士が撃たれて崩れ落ちる瞬間を捉えた
写真が、出世作としてあまりにも有名です。アメリカの雑誌
「LIFE」に取り上げられ、反戦的な意味合いから、
ピカソのゲルニカと並び称されるほどの反響を呼びました。
しかし、後世の研究から、この写真はインチキとされています。
写真は前線ではなく、訓練中の兵士を撮ったものである事。
訓練なので、撃たれたわけではなく、足を滑らせて倒れる
瞬間であった事。しかも撮影したのはキャパ自身ではなく、
当時の同僚であり、恋人でもあった女性であった事。
などです。
厳密に言えば、写真自体はヤラセではなく、兵士が訓練で
すっ転んだところを撮影し、それを戦闘で被弾した兵士を
撮った事にして、出版社に売り込んだ、という事に
なるのです。
事実を写してはいますが、真実を明かさずに、別のシーンを
撮った事にして、売名に使った、という事になります。
その後、しばらくして、この恋人の方は戦車に轢かれて
死んでしまいます。よって、真実はキャパのみぞ知る、
という状況になり、それが何十年も続く事になります。
理科系的な事象にもとづく評価とは違い、人間の感性に
訴える類のものは、時として、評価が分かれるものです。
キャパの出世作は、たまたま時流に乗った、という事
でしょう。
しかし、キャパの写真家としての腕は本物でした。
それは、その後の写真を見れば分かります。
世界的に名の売れたキャパは、有名人や著名な画家など、
多くの人達と交流します。正真正銘、一流になったのです。
メディアとして、そしてアート作品としては
黎明期であった写真というジャンルを、
確実なものにし、後続の触発にも大きく貢献した、
という意味では、偉大な足跡かと思います。
でも、死んだ後で分かった事とは言え、
取っ掛かりはインチキでした。
人間の評価というのは、かくも曖昧なものなのかと、
可笑しくなりますが、実力が伴わない人が、
幸運だけで有名になっても、一発屋で終わって
しまいますので、少なくともキャパに関しては、
一流と言ってしまっても良いかと思います。
ただ、実力は一流であっても、「当たらない」と、
一生そのままで終わってしまう人の方が多いように
思えます。
キャパもその事を分かっていたからこそ、
最初は「作った」のかも知れません。
一方で、当たった人に対して、「良い」という
評価が多いというだけで、自分もそれば「良い」と
同調してしまうのも、どうかと思います。
特に、例えば電気製品の使い勝手のように、
その優位性が可視化できるものならまだしも、
人の感情や気分的なものだけが評価基準だったり
した場合は、疑ってかかるのも大事かも
知れません。
逆に、人が何と言おうと、自分が下した評価が
「良い」ならば、それはそれで満足しても
構わない事かと思います。
話が少しそれますが、美術の公募展でも、
どうしても複数の審査員の好みに合った作品が
入選しやすいのは否めません。
正直言って、これが特選?と思える作品も
見掛ける事が有ります。
また、同じ公募展で、日本画と洋画、それぞれで
入選する作品の数が同じ、という場合が有ります。
例えば日本画で特選が1枚、入選が5枚なら、
洋画でも特選が1枚、入選が5枚といった感じです。
これも考え物です。今年は日本画は当たり年だが、
洋画はハズレが多い、という時は、日本画は入選10枚、
洋画は入選は2枚だけ、という事にしてしまっても
良いように思えます。
数年前、或る有名な公募展で、審査員に贈り物を
したりすると、入選しやすくなる、といった協会の
体質が問題視され、今では審査基準や入選作品数など、
少し改善されて来てはいるようですけど。