goo blog サービス終了のお知らせ 

W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

220710

2022-07-21 01:07:00 | 日常
今日は確かにホテルの下の蕎麦屋に入ったはずだ。
うろん処博多にしてなかなかにうまい十割そばであった。
人気もあるようで繁盛していた。

また休んで、

夕刻ジュークジョイントへ一杯やりに行った。
森原さんと確か昨年も居合わせたと記憶しているが、トゥーハーツのお二人もいらした。
エルヴィスなんかの話をす。

森原さん帰り、トゥーハーツのお二人と話す。
そしたらおかやんより架電ありて茂さんユダと近くで飲んでいるからといい。

しかしながら、私は話の続きもあるからまだジュークジョイントにおりたくて。

トゥハーツのお二人帰りナッキーとふたりきりで話す。
これが好きなんだなあ。

だがそろそろ行かないと、

おかやんらのおる居酒屋に行く。
森原さんもまたおった。

茂さんとは私は初めて会うのだ。
挨拶す。
愉快なひとであった。

それからヴゥードゥーへいく。
私は心配であった。
あなた誰すか?
と言われはしまいかと、
私は出演しない日に入るのは初めてなのだ。

そしたら私は素直に入場料を払うつもりであった。
しかしながら、やはり顔でわかってもらえて安堵す。
ああ、ロックタウン博多、私のような者を覚えてくれてありがとう

さっきの居酒屋は協賛店なので肉食パルチザンはそこでツイキャスで観ていた。
茂さんがだいぶ喜んでいらした。
女のひとがSMで尻丸出しなのである。
素晴らしい気合いだ。突き抜けていらっしゃる。
ヴゥードゥーに入るとそのひとはそのままの格好で客のいる方にいらした。
尻が素晴らしい。

バンバンバザールがやった。
実にいい。
終わって客側に来た福島くんが私に気づいて声をかけてくれた。
素晴らしかったよ。

それから私は近藤くんのバンドを食い入るように観て、気づけば最前列にいた。
実にいい。
近藤くんとは、話さずじまいであったが。

それから、ワリコメッツを観た。
こんなによいバンドだったとは。
私は実はメンバーにあっているがライヴを観るのは初めてであった。

それから、フルノイズを観た。また最前列に行っていた。
なんとよい。
かなり年を喰っていらっしゃるが、精神はやりはじめたままだと勝手に感じてしまった。感銘を受けた。

それで仲野茂バンドを観た。
おかやん、ユダ、がキュート。
実にいいねえ。

それからドクホリまで実に楽しんだ。
私は遊びつかれてもはや酒もあまりいらず、ベーシックに移動してから早めに帰った。

今年はおとなしくしていられて良かった。










220709

2022-07-20 23:54:00 | 日常
昼頃までぐだぐだして
確か下の蕎麦屋にいったんだ。
いや、違うか、それは明日だったか

ああ、そうだった、また思い出した。昨夜はベーシックのあと梯子して、朝方、梶浦さんとおかやんとあやこちゃんとでウエストに行ったんだった。
おかやん突っ伏して、私は腹が減っていて彼の分まで食っちゃっておなかぱーんぱんになってからホテルで寝たのだ。

ともかく三時前におかやんのいるホテルに行った。そして湯田のギターを借りた。
私は自分の電気ギターを宅配かなんかで送ろうかと思っておったのだが、富山にハードケースを全部忘れてきたのだ。
それでユダに頼んだのだ。

それから、
ヴゥードゥーに行って本格的なリハをやった。
梶浦さんがドラムを叩いてくれる。
本人から聞いたわけではないしおかやんの話からだけだが、

私たちは当初こみやんが来られないというから3人でアコースティック版のワイルドチルンをやろうと思っていた。
一度てっちゃんが腕を傷めた時に3人でやってまずまず好評を博したからそれでよいと思っていた。
それを聞いた梶浦さんが叩いてやると言ってくれたそうでしかもおかやんの話に依ればヤル気満々だという。
それならばやらぬ手はない。

やる曲を早めに決めて梶浦さんに送ってもあった。

リハをやってみたら、一発目からバッチリであった。
なんなら私の方が間違えているほどだしリズムもなんの問題もなかった。
よし!
これならば文句無しにやれる!
流石、梶浦さんだと思った。
会長がリハを観てくれておって拍手してくれた。
会長はすごく褒めてくれた。
実はぐでんぐでんになった私は覚えていないのだが昨年どうやら会長に悪態をついたらしいのだ。
謝ろうと思っていたのだが、
会長は懐が深い。
私のそんな気持ちは先刻承知だったような感じで昨年はお前は大変な有り様だったが今年はまた仲良くしようみたいなニュアンスのことをいう。
私は会長が大好きになった。
私は迷惑をかけて仲良くなることが多々ある。

それで私は輩たちに捕らまえられてぐでんぐでんになるのを恐れ、一旦ホテルに身を潜めた。

始まっても私はヴゥードゥーに行かず、実はツイキャスでブルースワンナイツなぞ観ていたのである。
会場に行ったら飲まずにおられないのは間違いない。
飲み過ぎになるのを恐れた。
梶浦さんの顔に泥を塗るような始末になりたくなかった。
それで会長のバンドあたりからヴゥードゥーに行った。
会長の歌はちょっといいんだなあこれが。

まひこくんたちがやって、
私も楽屋で着替える。
また、プライヴェーツのローディーのひとたちが親切にしてくれた。なんということだろうか、私たちがおったらいつもローディーをやってくれるのである。
なんとよいものだろうか、私はローディーがほしいと思う。
なんでこんなに親切なのか、ありがとう!ありがとう!ありがとう!

私たちの出番となり
ここは緞帳である。
緞帳といえば
昔レッドゼッペリンが大阪フェスティバルホールでライヴをやったのを観たひとの話を必ず思い出す。
オープニングは移民の歌だ。
アーアアーアーという声とともに幕が上がったという。ぞくぞくするなあ。

私たちはこれまでの常套手段、アニマルからやる。
おちぃがイントロを刻み、私も乗っかる。
そこでパーッと幕が開き、おかやん、梶浦さんも入ってくる。いいねえ。

あとは楽しいだけだ。
私は酒を飲みすぎていないから、間違いもあまりなく力を発揮できたはずだ。

今日は特におちぃが良かった。
まるで楽しそうではないか。
これだよ!これ!
楽しそうな君が観たいんだ私は。
きっとお客もそうだろう。
私はうっとりした。
楽しそうな娘を観るのは実にいいねえ。いいねえ。
なんで、そうなったのか私はややわかるが、いや知らないがとかくいつもとまるっきり違ってとても良かった。
実はこないだからやや切ない事情が出来てしまってそういう意味ではないのだが、私はまたおちぃを愛しているのだ。
愉快さは切なさの上にあるのだ。

おかやんもまた私は愛している。
このおっさんをキュートだと思う。

ヘイ!ブラザー&シスター
俺らはもはや一蓮托生なのかもしれない。
いや、少なくとも俺はそう思ったよ。

梶浦さん、ありがとう!
カジチルまたいつかやりたいね。

ステージを降りるとみんなにチヤホヤされた。
私はもはやロックタウン博多で人気を出すしかあるまいなと思っていた。

その後リクオくんやキングビー、プライヴェーツを楽しんだ。

私は昨年はぐでんぐでんでプライヴェーツのステージに上がるわ会長に悪態をつくわでだいぶ怒られたから、今年は清酒とホイスキーには手を出すまいと心に誓ってあった。

それが功を奏して私は乱れずに遅くまで飲めた。
リクオくん、ユダとたくさん話したと思う。
おかやんはたぶん明日に備え早めに帰っていった。
おちぃは珍しく朝方までいただろう。





220708

2022-07-20 17:44:00 | 日常
午後羽田に向かう。

3時の便で福岡空港へ

4時半過ぎに着いて
天神駅へ
私はこの駅が苦手である。
物覚えが悪いから案内表示がしっかりしていないこの駅ではどこにどう行けばよいのかいつもさっぱりわからなくなるのである。
また、出口を誤ってしまって天神はGoogle Mapがうまく機能しない。
ものすご時間がかかり
五時半を回って
天神北のホテルへ

荷物を置いてすぐに西鉄天神駅へ。
また迷ってしまいました。

二日市のcoffee&シガレッツ着は7時手前となってしまった。
が、まあお客さんがいてもリハをやるのはここでは当たり前だから平気であった。

店主山口さんちょうど一年ぶりである。
私は馴染みのお客さんもいた。

本番となりてたくさん来てくれてありがとうありがとう!

良いライヴがやれた。
ありがとう!

終わってお客さんと談笑もここはほんとに楽しいなあ。
九州は好きさ。
九州LOVE
みつのんくんも来てくれていて
アントニオの形見分けをしてもらった。
ありがとう!

今回はレコーディングほかいろいろとあって九州を長く回れなかったが、年内にまたソロツアーをやりたい!

此度は二日市に宿がとれなくてミキさんが天神のホテルまで送ってくれた。

それからベーシックロックフェスの前夜祭だったからベーシックへ。

おかやん、ユダ、まさこさん、モトアキらと飲んで実に楽しかった。

朝方までやらかしたか。

220707

2022-07-20 16:54:00 | 日常
七夕か

家でじっとす。

明日からのトアーに備えて練習す。

最近特に私のギターが好きだと云われて
ならばと期待を裏切らぬように練習しているのである。

私は一般的に云われるような上手いギターとは意図もややあって完全に一線を画している。

知らぬまに歌手の弾くギターになってしまっていたのである。

本日は筆が走るから何でも書こうか

私は
まずギターに魅力されたのは
中学生の時である。
中学一年の時にクラスの好きな女の子がさだまさしが好きだと云うから気を引こうとしてギターを弾こうとしたのである。
無論当初は歌を歌うためだった。

そして、まずは親にギターを買ってくれと懇願した。
どうもよい返事はしてくれなくて、私はそれまでもたくさんの前科があるからどうせ飽きるのだろうと云い取り合ってくれない。
それでも懇願し続けたら
父親が職場の同僚から白い堀田のクラッシックギターをもらって来てくれたのだ。

私はギターのやり方なぞ知らなくて、本屋で適当に教則本を買ってきた。
しかしそれは私のやりたいやつではなくて単弦奏法中心のものだった。
チューニングさえわからぬ。
張りすぎてぶちぶち弦を切ったりしたものだ。
そういう紆余曲折があって友人に聞いたらそんなものコードの押さえかたなぞ書いてある明星なんかの附録を見ればよいのだと教わったのである。

私はそれから実はすぐにバレーコードなんかも押さえることが出来たのである。
どうやら向いているようだとわかるとメキメキ上達して、ギタークラブのやつなんかよりずっと上手になっていた。
そしたら、面白くてたまらない。
毎日ギターに首ったけである。
休みの日なぞ部活がなければ当たり前に一日中ギターを弾いていた。
その頃はさだまさしはまだやっていたがそれはギター愛に変わっていた。
前述の女の子のことはまだ好きではあったがクラスも変わったしどうやら私の気持ちはそこまでではなかったようで、あれは中学三年だったかセックスピストルズなんかが出てきて衝撃を受けたこともあったからもはやさだまさしはどうでもよくてカッコいいギターを弾くことに夢中になったのである。

私はうぶな少年だったからセックスピストルズやストーンズなんかを聴いてなにかボーダーを越えてしまったような、悪い子になったような気持ちになってドキドキしていたが、エレキギターには手を出せなかった。
まだ、田舎ではエレキギターは不良のものでフォークギターなら健全みたなそんな空気が残っていたから、私は勝手に親に忖度してしまって次のギターはニコーのオベーション擬きにしたのである。
ジャンプの裏の通販だ。
ローンで払った。
私は中学まで新聞配達をやっていたのだが、親の方針があって服や教材なんかもその金で買っていたからキャッシュは足りなかったのである。
確か2万であった。
つまりエレキとフォークギターの合の子で妥協したのである。

父親のカラオケスピーカーにぶちこんだら実によい歪み加減で気持ちよかったのを思い出す。

それから高校に入る頃にはもう、あっという間、完全にロック少年になっていた。
春休みに車屋でバイトしてトーカイのテレキャスターを買った。
それで、すぐに気の合うやつとバンドを組んだのである。
私はシンガーであった。
その頃もギターを弾いて歌うのが野球でいうならエースだという考えがあったものだと思う。
そのバンドはメンバーの好みがさまざまで歌謡曲もやるしヘヴィメタルもやるし私はストーンズやチープ・トリックがやりたいしみたなものだった。

練習場が異様に遠くて私はパニック障害を患っていたから遠いというだけでなにか不安が増してきて、自転車に乗りながら死にそうになるのである。
練習場は牛小屋の屋根裏であった。
そこにいてもドキドキしてどうにもならなくて私は理由も云わず行かなくなった。
最近やっとそういうことだったのだと一緒にやっていたやつに告白した。
自分が精神がおかしいなぞその時には誰にも云えなかったのである。
私の人生これがあるからもうだめだとこの頃からずっと思っていたのである。

それでもバンドをやりたくてたまらなくて次に高校のすぐ近くで練習できたバンドのギタリストになった。

RCサクセションを主にやっていて学園祭で大ウケだった。
他の学校のものも踊りまくりで先生が怒って電気を切られたりしたのだ。
むちゃくちゃな演奏だったが音楽はハートだとこのときに強く思った。
ハートでペテンにかけられるのだ。

その時のライヴ空間共有感が忘れられなくて今もやっているのだと断言できる。

長くなって話に収拾がつかなくなってきた。

ともかく、私はギターが好きだったし、多分いまも好きなんだと思う。

ペダルも使っていたしジミヘンなんかを必死にコピーしたことさえあってギタリストとしてもまあまあな頃もあったが

今のスタイルになって来たのはひとつにゴキの影響がある。

彼はギターがうまかった。
それは指が動くとかリックをいろいろ知っているとか理論をわかっているとかそんなこととは全く関係のないうまさだった。

ボロンとギターを鳴らすだけでいいのである。
同じことをやっても彼の奏でるサウンドは極上になった。

どんな安いギターでも良い音を出す。

耳が良いのであり、どこをヒットすればそのギターの最上の音になるかすぐに探り当てられたのだと思う。

弾かなくても良いギター、私はそれに影響を強く受けて今に至ったのだ。

220706

2022-07-20 15:15:00 | 日常
今日は昨日までに出来なかったコーラスなんかを録った。

ああ、昨日はフジヤマさんが来てくれて撮影してもらったんだった。

我々のパートは全て録り終えた。
とくにおかしかったのがなべになべの音を取り入れたことだった。
私の実の家に素晴らしいなべがあったのだが忘れてしまって、別宅から選んできたのだが実はおかやんが私の気に入った雪平なべに酷似したなべを持ってくるといっていたのに忘れてきてしまった。
だから私のなべでやったが、
あとで聞いてどうも気に入らぬからもっと、私はなべで御座いますと言っているなべを用意するつもりだ。

あとはここだけに書くが
梅津さんに2曲参加を頼んであって私がツアーから帰ったその日に録る予定である。

早めに済んで帰ってサミットで惣菜
そういえば切り干し大根はすぐに傷んでしまって糸を引いてしまったから棄てた。

いっぱいやる。