W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

240730

2024-07-30 23:54:38 | 日常
◯桜町 枯れた栗の木2本
2トンダンプに積み込み産廃施設へ
午後二上山 線下伐採刈り払い
びちゃびちゃ

帰 SM 入浴

夜はん また鶏肉炒め 味仙風青菜炒め ぶなしめじお付け 冷奴

240729

2024-07-30 00:18:26 | 日常
◯佐加野民家欅伐採
平野部の小さな町だが空き家ダラスケ
道が狭くて機械が入れないゆえまた全部人力

大きな幹を手で持てるようにスライスして2トンダンプに積む。
実に苦しい。
休憩時 優しいお婆さんスイカやらキウイやら呉れる。

夕刻 事務所でまた写真
時間がかかり珍しく帰り遅くなる

帰 SM 風呂
洗濯

夜はん 8時と遅くなる

タコきうり 鶏肉炒め 具沢山お付け

ボクシン

240728

2024-07-29 19:18:21 | 日常
夕刻 ウイング・ウイング高岡へ
リハす。
小川洋一郎さん顔を出してくれる。
グッドフェローズでライブがあるそうだ。

いったん帰宅
シャワーを浴みる

7時に戻る。

こうのすけ&べん
とても聞きやすかったです。

私はジョン・リー・フッカー富山公演裏話編をば

弦が2本も切れてしまいなかなかに厳しかったがそれならば声で唸れ唸れ玉思惟よ唸れ唸らんかいこのアホンダラ

高岡ならではのあんこを詰めて45分の長講なり。
歓声もあがり良い塩梅だ

一旦弦張りのため中入りとす。

それから歌唱サイドも懸命に。

ありがとうありがとう
たまにしか顔を見ないひともいて嬉しかったがなかなか話もできず残念
Tシャート数枚売れ安堵す


終わって
こうのすけさんと私とSONGSのひと数名併せて6名で肉焼き

うまうま

十一時過ぎおしらき

代行はあまりおらなかったがなんとか呼び止め帰宅す。

ありがとうSONGS

240727

2024-07-28 08:44:53 | 日常
休み
朝から浪曲十八番富士琴美愛馬の勝鬨録音してないを思い出しスクリーンレコードす。
休みは充分に寝るから目覚めもよくて早速研究の気持ちが湧きギターを手にとる。休みはいい。ただ指が痛い。加齢のせいか最初強張っていて指の曲げ伸ばしがままならない。しばらくすると普通にいごくようになる。林業は身体を酷使するので晩年不具合が出る人が多いといふ。

日本音階はいくつかバリエーションがあって節の途中でそれを変更したりするようだ。富士琴美さんがいる一派の音階の使い方がどうも私は好きみたいだ。それは理屈ではない。
先代の三遊亭圓歌が落語に浪曲を差し挟む時に唸る節も好きで研究したが自作に入れるとなるとなかなかまだナチュラルに出来ない。短調から長調に転調するようなのは私はやったことがないから慣れていないようだ。
圓歌さんは浪曲好きで木村若衛に弟子入りまでしたそうだからそのやり方なんだろう。

三時くらいから家人たちおらなくなり思い切り声を出し稽古す。(因みに私はいないをおらないに変換したりするがこれは昔観た見世物小屋の口上のひとの口調を真似ているのである)
どうやら窓を閉めておれば苦情は来ないようだ。いやしかし我慢している人がいる可能性もある。

夕刻 SM

夜はん 鶏肉マスタード風味炒め 小松菜油揚げお付け 冷奴 本マグロ キハダマグロお刺身 キムチ
お刺身が馬鹿旨であった。
特にトルコ産本マグロ 半額だったから買うてみたが赤身なのに口に入れたらトロってなってなんだか中トロみたな食感味。

オリンピックはものすご嫌だが
水泳からバレーボールにバスケット、ハンドボールに柔道と殆見てしまう。
柔道といふのは相変わらず疑惑の判定ダラスケなのだなあ。今日テレビで見た限りでも4つ重大な疑惑の判定があった。特にスウェーデンの十八歳の少女が指導3つで負けにされたのは全く意味がわからなかった。可哀想に。なんだか理不尽を乗り越えるためのスポーツみたいだ。

11/23JIROKICHIに浪曲師がやって来る!

2024-07-27 10:37:00 | 日常
11/23JIROKICHIに浪曲師がやってくる!

この度は港家小ゆきさんをお招きすることが出来てとても嬉しい。小ゆきさんの浪曲は次郎吉にとても馴染むだろうと思っている。
それは後述するとして私はどうして浪曲にそこまで傾倒しこうした企画を立てることになったのかこれまでこのブログにも書いてきたことと重複するだろうが改めて記しておきたい。

カポネ大いに泣く

この映画に浪花節を唸るショーケンとサンフランシスコなれど時代考証的には全然辻褄が合わない明らかにシカゴブルースのサウンドをもつバンドが、相見える場面がある。昔これに実に痺れた。ブルース・バンドと浪花節が恐ろしく合っているどころか新しい感じさえしてこうしたやり方は断然ありだと思った。85年2月公開となっているからジョン・リー・フッカーが来日した翌年だ。折々にそれを思い出しいつかそんな感じのことをやってみたいなとなんとなく考えていた。そしてつひにそんなことをやってみることになったのだ。

なんか面白いことをやりたい。とはいつも考えている。となるとありきたりではなくあんまり誰もやらないことになる。
ダイソー百円CDで買い集めた演芸ものの中からご多分に漏れず虎造にハマったのは二十年以上前だろう。ひょんなことからまた浪花節をヘビーに聴くようになったのが1年余り前、本屋に入ったらたまたま目に止まった玉川奈々福さん(全く存じ上げなかった)の本で現在でも生きた浪曲の現場があることを知る。国本武春氏も亡くなって久しいし私は勝手にイメージのみで浪曲を過去のものだと決めつけていたのだ。実地に観に行くとあっといふ間に虜になった。いい浪花節語り三味線弾きが今も何人もいることを知る。暇があれば浪曲に行くようになりその魅力に取り憑かれてしまったのだ。
これはもうカポネ大いに泣くから着想を得たようなスタイルを作るときがつひに来たと思った。誰も多分やってこなかった前人未踏の領域だ。私はラッキーだ。たとえ仮に不成功に終わろうともそれが見つかったとは。そして曲がりなりにも自分で唸ってみると手応え、充足感とでも云おうかこれまでなかった本当の悦びみたな感触を身体の芯から得られたのである。
まずは浪曲イディオムを身体に染み込ませたい。まだそんな段階だが勝手に使命感みたなものも出てきている。といふのも浪曲はお客が少な過ぎると思うからだ。大入りになったのをみたこともあるにはあるが大体三四割くらいの入りでこの素晴らしい芸能がなんでこんな不人気なんだといふ思いが常にある。この素晴らしい芸能には傍流がいくつもおらなくてはならずこの芸能の栄光のために及ばずながら私のスタイルもその傍流亜流のひとつになれたらと考えているのである。烏滸がましくはあるがそうして少しでも浪曲を知らしめる一助となりたい。そうなるとただ潜伏していたのではだめだと私は思う。末端の取るに足らない私かもしれないがそんな風に躍起になっておるアホもいるといふことを浪曲に知ってもらい少しでも胸を反らせてもらわねばならん。
此度はもしかしたら浪曲界隈からは殆どお客が来ないかもしれない。それでもいい。こうした動きが生まれていることを察知してくれたら充分だろう。
(※途中経過だが私の周りの音楽界隈では興味を持つ人が思ったより多い)
そしてそれよりも何よりも音楽ファンを本物の浪曲に痺れさせたい。これまでのことはきっぱり捨ててまで私が取り入れたいと思った浪曲の良さを音楽ファンの皆さんに知ってほしい。
感じぬひともいるだろう、そりゃあ。そして感じる人も同じくらいかそれ以上にいる可能性さえあると思っている。私でさえガツンと来たんだから感受性の高い貴方ならきっとそれ以上に。そしてそれをリスペクトして止まない偉大な次郎吉で。浪曲は浅草に木馬亭といふ定席があってそこに行けば観られる。だが音楽ファンがきっかけなしに行くとは思えない。次郎吉ならといふひとならいるに違いないだろう。
それで誰に来てもらうかだったがここは先ずは小ゆきさんしかないなと思った。パティスミスに人生を変えられたと云っているのを聞いたことがあり次郎吉に合わぬ筈がないだろう。そして作品に野心がある。これまでの浪曲では題材にしなかったような内容を持つ創作が殆どでそれはまだまだ浪曲は生きていると宣言するものである。額縁にでも入れておけば良いような定型も悪くはないがそればかりやっていてはその芸能はやがて滅び行くだろう。それはロックであったりブルースであっても同じだ。いや、これらもずっと前から瀕死の状態だと思っている。

小ゆきさんからはロックの匂いが出ている。私はすぐにそう感じた。覚悟を決めてそこに立っているような気概がみえる。浪曲自体がロックなはずだとさえ私は思っているのだが。
これまで好き勝手にやってきた私のような与太者みたな者がしっかり鍛錬を積みそうした由緒ある一門にある浪曲師のひとに触れても良いのか声をかけて良いのか、或いは歴史ある次郎吉で思いつきとも取られかねない初となる企画を敢行して良いのか葛藤はあった。
大袈裟かもしれないが私は港家小ゆきに張り倒されても仕方がないつもりといふか覚悟で出演を頼んだのである。
そしてそれは吉と出てこうして実現の運びとなった。
私のこれまでの人生の中でも忘れ得ぬ企画となるだろう。

ともかくもどうかぜひ来てほしい。
衝撃を受けてほしい。