W.C.カラスの駄々漏れ日記

駄々漏れに日記をつけています

150809

2015-08-13 11:11:00 | 日常
朝飯をいただく。

高校野球をみたりしてくつろぐ。

実に居心地が良い。

わたしのこともみなちゃんとかまってくださるしほんとありがたいです。

昼過ぎきょうこさんが勤めている蕎麦屋へ行く。

きょうこさんはどうやらえらいことになっていたようだ。

唇と鼻が傷ついていた。

電柱にぶつかって倒れていたようである。

警察に通報してくれた人がいて無事だったらしい。

スマホの画面も割れたという。

やらかしましたな。
その程度ならしばらく落ち込みますが時が解決してくれます。

うちに戻って昼寝す。

なんどもいうが快適。
風が通る家はいい。

三時前に出立。
お母様も東京へ帰る。

ありがとうございました。
また来ます。

上越も新幹線なればあっという間だ。
ここもまた開拓できてよかった。

どうやらライブもやるうどん屋があるらしい。

そういえば昨日書き忘れたが四国の宇田君がちょうど通りかかり大型トラックを転がしてCDを買いに寄ってくれたのだった。

素晴らしい。

ありがとう上越。

高岡に四時ごろつき家でますの寿司なんかを喰らってくつろぐ。

6時カサデラムジカへ。

正吉からやる。即興で私のアルバムリリースを祝う歌詞をつけてくれた。
トールも参加す。
ありがとう。

地元で不人気を極める私にしては入ってくれた。

来てくれた人たちの顔は決して忘れぬだろう。

私はグレイトアマチュアリズムの頃、発表会みたな仲良し倶楽部的なものには殆ど近づかなかったし
せいぜいがさむでぃみたなゲテモノの集う店に通う程度であった。

そして勤め先でも全く非社交的、同窓会なぞどうせ話が合わないので誘いがあっても出ないし昔の友人に会っても気に喰わぬことを言えばすぐと文句をつけるし酔っては悪いバイブレーションがあれば暴れていた。

つまり出演する店、或いは私を理解してくれるミュージシャン以外友人はほぼ皆無だったのである。

すなわち近頃のライブは社交場みたな風潮からすれば客が来るわけがなかったのである。
実際私はゲテモノ扱いされておったようだし毛嫌いしておったものも幾人も知っている。

恨み節みたに思うかも知れぬが本当のことであり私は冷静に駄々漏れておる。


それにそれはそれで媚びなかったということでもあり快く、誇らしいことだと実のところ想っている。またそんな中でも自分の音楽に手応えを感じてもいた。

わたしは筋金入りのものなのである。



それが今やそう多くはないが着実に私の音楽を気に入ってくれる人が増えている。

まあ中には調子にのった私を快く思わぬ人もあって来なくなる場合もあっただろうがつい数年前とは雲泥の差である。

私はぱあっといく。
人間なぞちょぼちょぼで猿とでさえちょぼちょぼだ。

どっち転んでも鏡の中のお前もいつかはハレルヤ。

地元には媚びない。

逆説的だが田舎者に開かれた窓は世界だけだ。
常に世界と戦う。
きっと世界が勝だろう。
だがあきらめる必要は一切ない。

私たちは最高のプレイをしただろう。

最後頃起用したアダチパンダも近頃段々と手が動くようになってきてよいグルーヴを創っていた。

アダチ軍は逆襲の狼煙をあげるだろう。

最後アンコールで正吉も加えダブルハーモニカ。

素晴らしい。

KOTEZくんは日本を代表するハーモニカプレイヤーであり彼を引き連れてこられて私は地元に錦を飾った思いである。

ミュージシャンも含めると二十名足らずで創られた濃いライブ空間は私の来し方を現していたと思う。

今日きたひとはきっと大満足したに違いない。

ペアできたひとは二人で一枚だが全員がアルバムを購入してくれた。

わたしはつい恐れ入ったような態度ですみませんと云ってしまい小物ぶりを発揮した。

KOTEZ.W.C.カラスのサインが両方入ったニューアルバム。
室井滋さんのコメントもしっかり入っている。

室井さんは私のファンであると吹聴した。
私は室井さんのふんどしをちょいとだけ借りる腹積もりである。

しばし談笑す。

代行を頼んでアダチパンダの車で家に帰る。

三人でいろいろ語り合う。

私のアルバムも聴く。

私は自分のアルバムを聴いてよく涙ぐんでいるというとこてっちゃんは爆笑しそんなひとはあまりいないから是非公言すべきだという。

それもそうだな。
それをみてどんなによいアルバムなのだろうと興味を持つ人もいるだろう。

先月、腰痛がライブキャンセルまで悪化したこてっちゃんは自分を律しちゃんと先に寝たが明日は仕事だというのに私はアダチパンダと遅くまで呑んだ。

150808

2015-08-11 14:19:00 | 日常
ホテル朝食を食らう。

10時チェックアウト。
たかさん迎えに来てくれる。

駅前のSMに寄り長野にしかない袋麺、ぽんちゃんラーメンと名産の七味唐辛子を購入す。

飯山駅の中にある喫茶店でしばし新幹線が来るのを待つ。

志賀高原ビイルを呑む。

十一時半頃の新幹線に乗る。

たかさんありがとう。

十分ほどで上越妙高駅に着く。

こてっちゃんのおじさんが迎えに来てくださる。

上越はこてっちゃんのお母様の故郷である。

お母様の妹さんのだんなさんしゅうさんのうちでお世話になる。

ついてすぐごちそうをいただく。

素晴らしい田舎料理の数々。

お母様も合わせて帰省されておる。

とても品のあるひと。
こてっちゃんもどことなく気品があると思っていた。

娘さんお孫さんもおりとても暖かなよいファミリーだ。

とてもリラックスさせてもらいたくさんご馳走を喰らわせてもらった。

ずっと口を動かしていてとんでもない量喰らっただろう。

腹が苦しい。

私は食い物が目の前にあると癖のように喰らってしまう。

少し昼寝させてもらう。

夕刻今日の会場フィーヌゼルブまで送ってもらう。

おじさんの奥さんがやっているスナックの五周年記念パーティーに呼ばれたのだった。

お客さんはスナックの顧客が主だが私たちを見に来た人たちもおる。
さよこさんは上越と縁があり多数引き連れてきてくれたし和音さんは狭山からまたブッチャーつながりで新潟からきれいな女性も来てくれた。残念なことに名前は失念。

始めるとスナックのお客さんはやはり多分テレビに出ておるような歌手しか知らんだろうからややアウェイ感というか無関心な感じ。
一方さよこさんら私を見に来た人たちあるいはこてっちゃんのお母様はじめ親族の方たちは熱い視線を送っており変な感じ。

ただ私はこういうのは決して始めてではなくちゃんと経験しておるので平気である。

いかなる時も自分の歌をうたうのが私の掟である。

司会もこなすこてっちゃんのうまい進行もあって徐々に客を惹きつける。

大丈夫。

と思っていたらビンゴタイムで中断。

でも大丈夫。
私は逞しいし金をもらうのだから当然だ。
自分の唄をうたえばそれでよい。

後半ちゃんと聴かせられたのは私たちの力である。

おじさんたちも軍手を唄っていた。

ひとり間違えてぐんてのおひたしといっていたのをこてっちゃんが教えてくれた。
ブッパン好調。
気前がいいねえー。
感謝。

終わって店のお客さんはスナックへ。

私たちはさよこさん和音さんと打ち上げに行くことに。

と、ひとり来るはずの人が来なかったのが気になっていたのだがどうやら時間を間違えてしまいやけ酒をのんでいるらしい。

上野生まれで最近上越に嫁いできたきょうこさんである。

せめて一緒にのみに行くことに。

きょうこさんは決まった当初から楽しみにしていてくれたのに六時半開演を七時半と勘違いしていたのでありかわいそうなくらい残念がっていた。

さゆりさんが車でいろいろ心当たりの飲み屋を回ってくれたのだが帰省しているひとも多くどこも一杯。

結句さっきまできょうこさんがやけ酒をのんでいたファミレスへ戻ることに。

ファミレスのみ嫌いじゃありません。

安いしね。

お疲れ様でした。
残念でしたきょうこさん。
乾杯す。

きょうこさんテェシャツアルバム買ってくれる。


私は疲れて寝落ちてしまった。

0時前にしゅうさん邸にもどる。

きょうこさんだいぶ酔っていたが大丈夫なのか。

うちにつくと私はまた調子が出てきてこてっちゃんと呑む。

こてっちゃんは身体の具合があまりよくないのでほどほどにといいながら。

ふたりでエヌエッチケースペシャルをみていたら知らぬ間に寝ていた。

150807

2015-08-11 13:00:00 | 日常
労働 伐開

午前で帰る。

午後少し掃除。

買い物

三時過ぎに新高岡駅へ。

駐車場があまり空いておらず探しているうちギリギリになる。

走って走ってなんとか新幹線に乗る。

汗みどろ。

一時間足らずで飯山に着く。

少し待ってこてっちゃんも東京から着く。

駅を出るとなかなかに涼しい感じ。

ガキデカジャグストンパーズのメンバーでザイオンのマスターたかさん迎えに来てくれ店へ。

ガキデカメンバー市ノ瀬さんもおる。
しばし談笑す。

完全生音ゆえサウンドチェックもいらぬが少しリハす。

市ノ瀬さんの親戚がやっている近くの店で腹ごしらえ。

ザイオンは平生から客足が遅いのが常で時間通り始まることはないという。

九時過ぎやっとガキデカジャグストンパーズ始める。

飯山は小さな町だ。
新幹線が止まるのが不思議なくらいでありよくそんなところにジャグバンドがあるものだ。

聞けばムーニーさんが播いた種とのこと。

良い話だ。

ムーニーさんとは一度立ち話をしたことがあるだけだがみなに慕われているのをよく聞く。

地域に根ざしたジャグバンドらしい好演奏。
とてもよい感じである。

私たちは十時頃からの登場となった。

こてっちゃんと向かい合わせになって演奏した。

じっくりとっくり聴いてくれる人多数。



終わったあと感銘を受けたと云ってくれる人もいくらかおり
よいライブとなった。

アルバム、ブッパンも好調な売れ行きで感謝。

近くの焼き鳥屋で楽しき打ち上げ。

三時頃ホテルでバタンキュー。

実によいひとたち良い地と繋がれた。

みなさんとてもよくしてくださる。
紹介してくれたこてっちゃんにも感謝。


飯山は近いし始まりが遅いし生音だし仕事をしてからでも十分間に合う。

今度はアダチパンダを連れてちかいうちにまた行きたい。

ありがとう飯山。

150806

2015-08-07 10:47:00 | 日常
原爆ヒロシマ
最近夕刻帰ってくるとチューリップティーヴィーで富山大空襲の記憶についてニュース番組の中で放送しておる。

富山大空襲は市街地の消失率が99,5%と大戦中でもっとも凄まじい。

アメリカはビラを撒いて一応の予告を市民に向けてしていたのであるが日本軍がそのビラを回収し全く市民に知らせなかった。
当時小学生だったひとの話では浜でビラを見つけよんでいると日本兵がやってきて取り上げられたらという。
見殺しは犯罪である。しかも大量殺戮を予測されたのにである。
しかし日本兵は一般的に任務を全うするより他に道はないだろう。
例外もきっとあっただろうが組織システムに毒されずにはおられまい。

アメリカ軍の機が墜落し若い兵士が死んでいたという。

これも当時小学生のひとの話だが子どもたちみなでその若いパイロットの遺骸に石を投げつけていたそうである。
そこへひとりのご婦人がたちはだかり「私の息子も兵隊にとられた。もし私の息子もこのような仕打ちを受けていたらと思うと耐えられない。石を投げるなら私に投げなさい」と泣きながら訴えたという。
小学生だったそのひとはその言葉が今もって胸に突き刺さっているという。

戦争になれば統制されコントロールされ押さえつけられ貧乏人はますますボロ雑巾である。

戦争をするくらいなら死んだ方がましだ。丸腰でいればいいじゃないか。

といったらお前はそれでいいかもしれないが他のひとのことを考えれというひとがでて来る。
私の考えはどうでもよいと云わんばかりだ。
私もひとりの市民であり私の考えは抹殺されるべきではない。


そして軍隊は必要だ。お前は戦争で殺されていく人を支配される屈辱を知らないからだという人が出てくる。
私はいいたい。

そういう前に戦争を避けるのが先決である。
マッチョなる兵器を見て喜んでいるやつをみるのは実におぞましい。
だまされるなよ。


沖縄を苦しめたのはアメリカだけではない。侵略でいえば日本もそうであり遡ればもっといろいろあるだろうが真に憎むべきは差別、戦争を始めたやつら一儲けしようとする資本家たち、そして脳を働かせないやつらだ。想像力の欠如、無知、無関心がもっとも悪だ。

それより率直な気持ちとして


世の中で一番ダサいのは戦争だ。

あんなダッセエことやってられるかよ。


労働 終日全くの無風。終日蒸し風呂の中にいるよう。
終日汗が滝のように流れ私の中から何もかも毒も栄養も流れ出てしまったように感じる。

少し頭痛がし軽い熱中症であろう。

帰 だるい。

ラジオ収録に行く。

今日はもう云ってしまうがエディショーが来たことにかこつけてやや無理があるがマジックサム特集。

え~ヴリイなあいば~とでぃすたあーあいむ。

アレックスクラブの始まり方がぞくぞくする。
エディショーがおる。

アンアーバーブルーズフェスティバルのルッキングッドの凄まじいこと。

それに比して先頃出たアットアヴァンギャルドのバンドはイモ。

ライブアルバム、マジックサムライブが聴けたのはわたしの一生の宝といってよいだろう。

日本盤はいずれもP
ヴァインだ。

腐ってもPヴァインである。
かっこいい~。


私のアルバムがサムのアルバムと並んで広告がうってあったのがどんなに嬉しかったか。

私のアイドルのひとりである。

かっこいい~。

キラキラしている

帰り
カレー屋へよりサグマトンを食らう。

帰ったら疲れて寝てしまっていた。

私は弁ブルーズをやりたくない。

150805

2015-08-06 12:59:00 | 日常
労働 道刈り、伐開。
汗みどろ。

夏は苦しい。

一番苦しいのは夏である。
木こりを始めた当初は死ぬるかと思うほど苦しいときもあったが年々体が出来てきてそんなことはもうない。

が、やはり苦しい。

風がない立っているだけで疲弊するような急斜面で陽が照りつけると逃げ場なし。

私は野球部だったが特に高校の時のノックが苦しかった。

いわゆる千本ノックまがいの練習がありノッカーが上手だと取れるか取れないかギリギリを狙ってきてそれも苦しいがまだ球を追いかける目的があるのでなんとかやれる。

それより嫌で苦しかったのがとれるはずもないところへ球をゆるゆる転がし猿回しのごときにただ拾うというものであった。

練習にも何にもならぬ非合理なる特殊訓練であった。
無論手を緩めると罵声が飛んでくる。

何の利益もなく
運動的苦しみでは私は生涯でそれが一番だった。

私は姑息な手段をもってして一年の夏休みでもって野球部を辞めた。

担任が私の成績が悪いのは野球のせいだと思っていてやめろと再三いっており私は渡りに船の気分もあり乗っからせてもらうことにした。

普通辞めるとなると上級生から焼きを入れられるようなそういう体質であったが夏休みゆえ学校で会うこともないしまた担任にその恐れについて訴えていたのでその筋にそういうことは決してせぬよう話をしてくれていたようだった。

S吉なぞどうせお前には辞める勇気なぞないだろういってくるし私はなんとしても辞めねばなるまいと決心していたのもある。

私は酷い劣等生で家では勉強なぞ全くといってよいほどせずただ音楽を聴いていたのだった。

やらねばならないが気が進まないと他の場所へ逃げる癖は今もって同じである。

そして野球をやめたからといって成績があがることはなくいつも最下位を争い数学なぞ零点をよくとったものだ。

一応普通科高校であるからまわりは皆当然のごとく進学を考えていたが私はパンクが好きであったこともありがっこなんかださいと思っていたので成績が悪くても平気であった。

そしてパニック障害が強く影響してもいた。

話が脱線してしまったが

山仕事は金をとれるので苦しみにも耐えられる。

帰 SM
食材を用意し簡単な料理で済むようにして金沢もっきりやへ行く。

入ると多田さんがブッパン席におり挨拶。
多田さんはサックスを吹いておらんときでもなにか佇まいに魅力のあるひとだなあと思った。



キキバンドを観る。



私の目的はハッキリしている。
よい音楽をやることだ。
これよい音楽といってもまたそれも漠然としており何をやりたいのかわからなくなるということもあろうがまあそれは流れもあるし一応の掟があるのはいつも云っているところである。

若い頃は余のことに気を持って行きすぎで何をしたいのか判然としない部分もあっただろう。

私は何をやりたいのかわからなくなり駄々漏れに音を出すのがいやでバンドをやめて休んだことがある。

その間にクラッシックギターなんかをやったわけだ。

そうしたところが余のことの欲望は消え去りやはり純粋に音楽が好きなのだなあとハッキリとわかった。

今私は欲に目が眩んでいるところもあるがそれを見失うことはない。

遅咲きの強みである。

どんどん闊達に活動し名が知れる。
そしていろんなよいミュージシャンとやる。
するとますますよい音が出来るという寸法だ。

良いメンバーが集まればまたよいアルバムも出来るだろう。

そのためには私ももっとよくならねばならんし一緒にやってくれるひとには満足出来るギャラを渡したい。

そのためにはうれなければならん。

ふん、てめえ売れたいんだろ。
ああ、そうだよ。

ただし大量消費型の音楽が私に創れるはずもないし御免こうむる。

売れてるもんがいいっていうなら世界で一番美味いのはカップヌードルってぇことになるじゃねえかといったのは甲本ヒロト。



私には大志がある。
私は残りの人生パーッといくことを選ぶ。
そう決めている。


キキバンドをみながらそういうことを考えた。
なんと素晴らしいグレイトなサウンドだろう。

なんと素晴らしい究極的サウンド。

私はファンキー極まりないサウンドにうっとりし自然笑みがこぼれていた。

腕利きのミュージシャンを揃えてある。

ドラムのジョーのパワーにはおかしみがありベースの早川さんは梅津さんも云っていたがゴールを決められるゴールキーパーの趣がある。
ギター鬼怒さんの正確なれどパッションあふれるプレイ、そして梅津さんには私はとても人間くささを感じるのである。

パーフェクトだ。
違う地平にいっている。
感銘した。

私も私なりのパーフェクトをプロデュースしたい。

休憩。
梅津さんとハグす。

梅津さんにアルバムを渡す。

二部で私を紹介しアルバムの宣伝をしてくれた。

意外に暖かな拍手を受けうれしむ。

終わったあと声をかけてくれ名刺を渡してくれるひともあった。
やはりあまり私は知られておらんようだった。

もっきりやのマスターもいくらなんでももう認識しただろう。

隣にいい調子になって入ってきたお客が座った。

人なつっこいおじさんで盛んに話しかけてくる。

寿司屋の大将で水曜日は定休日だから必ずここに来るのだという。

何も知らないが音楽は好きだという。

私が紹介されるのを見てなんだ云ってくれればいいのにとかいう。
いやいやわざわざ普通云いません。

盛んに声援を送り実に楽しそうにしていらした。

おじさんが来てからバンドの雰囲気が違ってきたと私は感じた。

やはりライブは客がつくる部分が大きい。

おじさんはかなり年配のようだったがキヨシローが好きで今日も聴いていたという。
だから梅津さんはもちろん梅津さんが小川銀次さんにささぐと云ったときも知っていた。

他のひとは誰だと私に聴いてきたが誰だと云われてもねえ。

バンドはますます熱を帯び私も声をあげていた。

暑い熱い。

エアコンがまたあまり効かない。

時たまバンドが一体何をやっているのか私にはわからなくなる。
そこがまたスリリングというかなんかわからんけどすげえなあと思わされる。

あまりにもわかりやすいのはよくないと私は思っておる。

なんかわからんけどすげえなあでいいのである。

文学でもなんでもそうだ。作り手は一歩先に行っておって欲しい。



梅津さんは俺とやっている時の方が血管がちぎれそうなくらいにブロウしているなと思ったのは勘違いか。

終演。

梅津さんとまたやることになりそうでギャラのことはメッセージ送りますといったら梅津さんはいいよカラスにはそんなこと期待してないからと笑って云った。

11時半頃帰着。

Skypeしてねる。