玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■キリンのまだらの科学

2015年07月15日 | 動物・植物
好きな動物を挙げろといわれたら、らくだや象やクジャクもいいけど、たぶん、キリンかな・・・家の台所にはフィギュアもあったりするし。
どこがいいかといわれても困るけど、名前も幻獣っぽいし、かたちもユニークだし、第一、その斑が変だ。




1933年、かの寺田寅彦の弟子のひとりである平田森三が書いた科学エッセイが、生物学者たちの一大反撃にあったことがあった。一般に「キリンのまだら論争」と言われている有名な論争である。
内容は直接読んでいないので又聞きだけれど、科学者同士のわりに、議論というより感情論に近いものだったらしい。

そんなこともあって、この本を最初に読んだのは、大学に入りたての頃、ピカピカの1年生だった。だから、すこしだけ懐かしくもある。小金井の古本屋で200円くらいで買ったような気がする。
この「自然選書」シリーズは、どれもかなり良かったけど、随分前に廃刊になってしまった。残念だね。
美術系の学生にはデッサンという授業があって、もしまじめにやるなら、筋肉の付き方とかの解剖学や植物の成長の仕方とかの諸科学は学んだ方がいいとされていたので、自然科学系は結構読むことになる。ま、ダ・ヴィンチ以来の伝統だ。



で、本の内容はというと、未発表エッセイや雑考や小論考ながら、ごくまともな、というか、非常に示唆に富んで好奇心を刺激するものだった。
たとえば、スパゲッティの割れ方と宇宙線の放線は類似の性質があるとか、お得意の割れ目論はもちろん、綿菓子やサーカス、芝生を横切る近道の発生原理とか、温度計の水銀はお湯に入れると最初は下がるのはなぜかとか、クジラを打つ銛はなぜ平たい方がよいかとか、実験ノートの正しい付け方、とか、ま、そういうことだ。
しかし、師匠の寺田がそうであったように、ごく日常のなかの身近な自然現象をどう物理学で捉えるか、といったある種目鱗な話がつづく。
寺田はなんといっても日本で初めて金平糖のかたちの生成を科学した人だ。ごく普段の当り前のことにも物理は潜んでいることを公に言ったほぼ最初の人だった。

 
寺田寅彦


で、書名にもなっている「キリンのまだら」という小論考が冒頭にあって、これが問題のエッセイである。
内容は、要するに、田んぼや土のひび割れ模様はキリンの不可思議な斑紋と似ているのには、きっとその発生に同じような根拠がある、というものだった。
簡単にいうと、おそらくキリンが成長する過程で皮膚がひび割れ、それが斑になった、という「割れ目」的発想で、逆にいえば、キリンの斑を全部パズルのように組み合わせると楕円球体になるという奇天烈なものだった。
これに猛反発したのが、生物学者の丘英通だった。挙げ句、平田は生物学会全員を敵に回してしまったのだ。
ま、結局、メロンの割れ目はそれで正しかったが、キリンに関しては、今日では、平田説は科学的には正しくないということになっている。普段食べているメロンは、たしかに成長速度と体表維持が揃わず割れてしまうという現象なのだ。
だからって、でもね、それくらいいいじゃない、平田教授の発想、面白いもの、という気がいまでもしてくる。


一方、50年代のイギリスでも、こうした自然の現象を数式で解き明かした人いた。天才数学者として名高いアラン・チューリングである。
チューリングは、コンピュータ科学や人工知能の父ともいわれる数学者だが、第二次大戦中のドイツ暗号機エニグマとの格闘は、シャーロックでも活躍のベネディクト・カンバーバッチ主演映画「イミテーション・ゲーム」にもなった数奇な人なので、知っている人も多いかもしれない。


アラン・チューリング


映画、イミテーション・ゲーム


それが、世に「チューリング・パターン」と呼ばれているもので、ある条件下で反応し合うふたつの物質は、自動的に一定周期のパターンを生む、というもの。実際には局所反応と拡散反応のそれぞれの影響で形が決まるという。
これを「反応拡散系」と呼ばれる数理モデルとしてまとめたものなのである。
とかいっても、さっぱりわからない。数式自体は、さらにどこからどう見ても理解の範疇を越えている。
でもそこをあえていうなら、自然界のパターンや斑文様も、縦波と横波が合わさると一定の波紋になるのと同じように、あるふたつの物質を混ぜることで生まれる規則的なパターンで、その成長過程と結果を数式で説明できてしまうということだ。


シュミレーションで得られるチューリング・パターンの例


そこに、90年代後半、近藤滋という東大出の生物学者が、タテジマキンチャクダイの縞模様は、チューリング・パターンで説明ができると実証したから騒ぎが大きくなった。
近藤教授の理論は、動物等の模様は、受精卵ですでに決まっているという決定論ではなく、成長過程の生体反応で変化するというものだった。
なら、もしかしたら擬態生物の変化や環境による模様の変化も理論化できるかもしれない。
ということは、これで、「キリンのまだら」も普遍的な発生プロセスの説明の糸口が見つかったことになる。
当然、シマウマの縞の生成もシュミレーション可能だ。ただし、どうして縞でなければならないのか、ということは相変わらず残ってしまう。
つまり、生物学者というものは、そういうメカニズムより、なぜそういう適応というか選択をしたのか、という理由を知りたいのだ。

・・・まあ、でも、件の論争から約60年が経って、平田論をバックアップしたかたちになったのが、やはり生物学者だったということが皮肉というか、もしかしたら救いなのかも。


タテジマキンチャクダイ


タテジマキンチャクダイの成長に伴う縞の変化


ある係数を変更すると生成するパターンも変わる


そういえば、寺田も平田が引き継いだ「割れ目」の科学や「自然界の模様」や「リーゼンガング現象」には随分ご執心だった。
そのうち、キリンやシマウマだけじゃなく、ヒョウ、チーター、岩石や植物の模様まで、幅広く詳細に解明されるだろう。もしかしたら、クンバカルナの斑点も解明されたりして・・・。

でも、ま、本当に貴重なのは、なぜそうなったかという解明にも増して、最初にキリンのまだらと田んぼのひび割れがなんか似ていると気がつくことではないだろうか。すべてはそこからはじまるのだ。
概して、直感が正しいとはよくあることだ。(は/127)






クンバカルナ。何度も悲運の死を遂げたね。ご苦労さま。




最新の画像もっと見る