玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■両界曼荼羅の諸事情

2015年06月01日 | 北海道・広島


曼荼羅とは、バラモン教由来のヤントラの一種として成立した。
ヤントラとは、タントラの実践のための図像である。じゃ、タントラとは何かというと、人々の所作や行または身体的動作(=ヨーガ)の実践的修行のための教義一般を差している。だから図像もある。ややこしいね。
要するに、バリにも遠く影響しているバラモン思想は、このタントラを緯糸に、スートラを縦糸に編んだ世界真理なのである。スートラとは、ま、お経や解説書のようなもの。理解のための教典だ。その後「ヨーガ・スートラ」にも「カルマ・スートラ」にも編まれていった。
で、それらは全部「ベーダ」に書いてある。
だから結局、ヤントラもタントラもスートラもベーダの理解のために編み出されたものということになる。




で、その「ベーダ」は、四つしかない。「リグ・ベーダ」「サーマ・ベーダ」「ヤジュル・ベーダ」「アタルバ・ベーダ」である。
そして、それを補足しているのが、有名な「ブラーフマナ」「アーラニヤカ」「ウパニシャッド」という聖典文献である。
「ブラーフマナ」は祭儀書ともいわれ、祭祀や儀礼の意味や方法が説かれ、「アーラニヤカ」は森林書といわれていて、呪術や秘儀集、「ウパニシャッド」は宇宙論的哲学書、といわれている。
何が書いてあるかというと、簡単にいえば、宇宙の根本原理としての「ブラフマン(梵)」と存在の本質としての「アートマン(我)」の両者はまったく同価である、ということ。それを「梵我一如」という。
わかりにくいね。でも、これ、高校の倫社の教科書に出てくる話だ。

さらに簡単にいえば、ブラフマンとは、物質とその本質、アートマンとは人間個人に潜むすべての自我=真我というわけである。ま、大宇宙と人間の内宇宙、マクロコスモスとミクロコスモスは一体だ、といっているわけだ。
最後の「ウパニシャッド」では、すでに「業(ごう)」や「輪廻」や「解脱」の発想が生まれている。ブッダは、こうした背景に生まれたわけである。

と、言葉でいうのは簡単だけど、大学生の頃、ここまでは素直に理解した。けど、サンスクリット(当時の表記文字)も読めるわけじゃないし、そこから先、なかなか理解が深まらない。まあ、つくづく人生ままならない。


で、インドで仏教が生まれてから、仏教も一時は隆盛したものの、その後、再びこうしたバラモン(=ヒンドゥ)教に趨勢がうつっていったため、これがまた宗教教義上複雑になった。
つまり、曼荼羅を用いるいわゆる密教は、インド仏教の最終形態なので、すでに半分ヒンドゥ要素が入り込んでいて、だからあんなに仏神がたくさんいて、それぞれの役割やキャラが配置されなければならなかったのだ。化身というお得意の技もずいぶん発揮された。ワヤンにもよくある話。
逆にいえば、仏教が密教として生き延びるためには、ヒンドゥ(バラモン)的要素を習合しなければならなかったというわけだ。

また、曼荼羅が今回の東寺のように「胎蔵界」と「金剛界」の両界曼荼羅になったのは中国に渡ったときである。だからインドやチベットでは両界曼荼羅はない。
で、密教も一子相伝なので、その最終到達ポイントは日本ということになったのだ。つまり、恵果和尚から空海が相伝されたのだ。



そしてこの伝えられた両界曼荼羅は、実に巧みに象徴体系が配置されている。
大きな象徴でいえば、「胎蔵界」=太陽=東=金=女性、「金剛界」=月=西=銀=男性。加えるならたぶん、胎蔵界は生命であり、金剛界は成仏であるかもしれない(ここは自信がないけど)。
ま、もっと詳しい話は先生の講義で(もしうまく理解ができたら今度解説します)。

だからというわけではないけれど、今回の札幌の展示では、東に胎蔵界曼荼羅、西に金剛界曼荼羅を配置した。だから上の図とは逆になってしまったけど、ま、ここは原理が優先。東寺様、ごめんなさい。
で、一応、先生の合意を得て、胎蔵界にはすべて金の下地、金剛界には銀の下地を入れてみた。ゾーンもそういう風に分けたのだ。つまり、一旦ギャラリーに入りこんだものは、知らず知らずのうちに、実はそうした象徴体系のなかに包まれることになる。だから曼荼羅宇宙・・・か?

だけど、ま、そうした配慮に気づく人は何人いるだろうか・・・。
その分、設営、結構たいへんだ。実際、うまくいくかどうかはわからないが、その結果はまた今度。
映像やうごめく光はそれこそ「生命の海」、という感じでなかなか面白いので、ぜひ、いろんな人に観てほしいとおもう限りである。(は/107)


というわけで、月曜にして今週のブログはこれで終わり。そろそろ帰らないと・・・ラた、マいしゅう。

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