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 玉川上水の木漏れ日

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のブログ

■ヒロシマアピールズ

2015年08月06日 | 北海道・広島
先日、広島で今年のヒロシマ・アピールズの記念講演会とレセプションがあったので参加してみた。
ヒロシマ・アピールズとは、公益財団法人ヒロシマ平和創造基金とJAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)が共同で毎年制作しているポスター・プロジェクトの名称である。
もともとはたしか64年の東京オリンピックのロゴやポスターなどで有名な故亀倉雄策先生の発案で、知事や市長と話して1983年から始まったもので、人類最初の被爆地である「ヒロシマの心」を視覚で訴えるポスターの連続企画として、毎年JAGDAの会員から1名がボランティアでデザインしているものである。
今年のデザイナーが佐藤卓さんだったこともあり、ちょうど居たので行ってみたという次第。
佐藤さんは、「明治のおいしい牛乳」やロッテ「キシリトール」ガムやNHKの「デザインあ」などで有名だけれど、六本木の21_21デザインサイトなどの企画監修など多彩に活躍中。人当たりの柔らかい人だ。

 佐「あれ、なんでこんなところにいるの?」
 は「いや、ま、偶然来てたので・・・」
 佐「そうなの? ところで例の物件もうまくいっているみたいで」
 は「そうそう、おかげさまで・・・、う、今回のポスター、重いですね」
 佐「そう、うん、まあね・・・ハハハ」

みたいな会話がつづく。
で、ポスターはこれ。




佐藤さんの説明では、理屈という紙の上に大きな分銅が載っているという設定で、最後に急におもいついたらしく、そこに蝶がとまっているというもの。ま、見る人がいろいろ解釈してくれたらいい、そうだ。ま、テーマそのものが重いからね。
いままでのポスターは、最初の亀倉さんの焼け落ちた蝶に始まり、あとはピースとしての鳩やそういうイラストものが多かったけれど、写真のポスターは初めてだそうだ。
実際、この分銅も持って来ていて、持たせてもらったけど、ちょうど7kgらしい。ずっしりと重い。よく作りましたね。


亀倉雄策デザインの第一回ポスター
出典column.madamefigaro.jp



記念トークは、200名くらい来ていただろうか、東京からは、JAGDAの事務局長のSさんほか数名と協力の竹尾のAさんや印刷会社のNさんなど久々の人たちもたくさんいて、いろいろお話した。Sさんとは北海道でのデザイン会議や広島の上層部の人とのつながりがあって、話は盛りだくさんだ。

記念トークの流れは、ソロトークのあと、平和記念資料館館長と対談。
資料館は今年リニューアルを予定しているそうで、どうゆう方針をとるかで、今後の見せ方が決まる。
本当の原爆の悲惨さはこんなもんじゃないけれど、あまりそこだけ強調しても伝えるべきことはもっとあるのではないだろうか、と考え方もいろいろだし、そもそも本物の陳列物も70年経って劣化も激しいらしい。資料の保存も急務だ。


ということで、場所が平和記念公園内にある国際会議場だったので、休憩時間にちょっとだけ公園を散歩してみた。
約1年ぶり。相変わらず外国人が多い。それと、毎年8月6日に平和記念式典が行われているが、昨年が雨でたいへんだったこともあってか、今年は巨大なテントが用意されていた。ここに世界のVIPが参列する。結局オバマは来なかった。
今年はちょうど今日だ。朝8時15分、平和の鐘が鳴り、黙祷。昨年に引き続きケネディ大使が来た。100カ国の参列は過去最多だという。遺族も含め、5万5千人の参列であったそうだ。






ここのところ、政府与党の結束もほつれつつあるのか、本音がポロポロ出始めている。支持率対策や再稼働問題や安保法案もあって辺野古移転も一時延期とか臭い芝居もやるし、ブレーンや若手からは信じられないような発言も相次いで、取り繕いに必死だ。
「愚」とは彼らのことをいうための言葉だろう。やっぱりバカは死ななきゃ直らないんだろうか。
戦争に行くとか安全だとかの問題ではない。一旦迎合してしまったら後戻りはできないのだ。国家の信条の問題だ。
(こ)ちゃんもデモに行っているというし、僕も今度行ってみよう。30万人くらい集まれば無視はできないだろう。

今年もヒロシマの夏は暑い。(は/135)

■シュミレーション

2015年07月23日 | 北海道・広島


またまた札幌。
先月(か)さんに協力してもらった両界曼荼羅展が早くも終了し、次は、須藤玲子さんのNUNO展。ワークショップもある。

須藤さんといえば、かの荒井淳一さんに無理矢理継がされたわりに、このブランドを世界的な知名度にまで高めた作家である。日本の展覧会より、海外の方が多いかもしれない。いまではテキスタイルデザインの代名詞になっている。
が、本人は某美術大学の教授もたったりしているけれど、いたって自然体、いつもくだけた電話をしてきたりする。ま、ご本人もご主人も武蔵美だし、ご主人は助手までやっていたから、僕もすれ違ったりしていた。
また、組織体も随分フラットだ。誰かがいいアイディアを出すと、じゃ、それ、やってみよう、なんて決まることも多いらしい。だから須藤さんはいつも、自分を前に出さず、担当スタッフを紹介したりする。



ま、ともかく、今回の展示は、それなりに・・・たいへんでした。
作品や商品のディスプレイもそうだけど、会場構成でつくったこの布群、30cm×30cmに裁断された約400枚の布を縫い合わせ、会場一杯に吊ったもの。一枚として同じ布はない。これら全部いままにデザインした布たちそうだ。
そこはまあ、スタッフのN君ががんばってくれて、何度も図面描いたり、シュミレーションしたり、全部手作りでやりました。予算もないし、ともかくシュミレーションが大切。
結局深夜まで作業したけど、ま、なんとか終了。

後は飲むだけだ。




まあ、東京よりは少しは涼しかった。夜のすすきのは、21度でした。

深夜までやっているやきとりなんかもある。これ、室蘭焼きというそうです。室蘭ではどうも、ネギの代わりにタマネギを挟み、かつ特性タレ、で食べる、という習わしのようだ。
これは、豚と牛。タマネギというのは、普通のネギより重いというか、パワーがあるというか・・・、やっぱり普通のネギの方がさっぱりしている気がするけど・・・。




まあ、変な店もあって、今回はふたつほど紹介。
ひとつは、夜開くパン屋。すすきので働く人たちの御用達で、リクエストの紙とか置いてあって、そこに描いておくと商品化される場合があって、その場合、その人の愛称が商品名になるという。だから、いろんな人の名前のパンが存在するわけです。
でもここ、すっごい人気で、深夜でも人が絶えない。
ま、昔から「夢は夜ひらく」といいますからね。




もう一軒は、なんとも危ないネーミングのバー「インモラルバー扉」。
名前からして怪しいけど、入口の扉には、ブログでは書けないインモラルな文言がいろいろ書いてありました。大人が密かにアダルトな夜を過ごすためのサロンバーのようなものだ。(こ)ちゃんにはたぶん一生関係ない、だろう。

ま、すすきのは生き物です。進化もします。




ところで、羽田で歩道を歩いていたら、前にいた少年、というか、子供、というか、ガキ。
子供用スーツケースをコロコロ転がしていた。どうみてもリュックの方が機能的だし、子供には無難だとおもうけど、これもまあ、大人社会のシュミレーションキットということだろうか。
どうせなら、シュミレーション・キッド、と言いたい。(は/129)




■有機の札幌

2015年06月08日 | 北海道・広島
今回は、かみさんが一緒だったので、準備の前日、主催者が気を利かせて「粋ラボ」というオーガニック居酒屋に連れて行ってくれた。
わかっている店で、ビーガンやかみさんのようなベジタリアンでも食べられるメニューが豊富にある。しかも、ほとんど地場産の有機野菜類。そうね、北海道こそ、地場産がおいしい。食物に関しては、日本も今後の課題が多い。少し真剣に考えなくてはね。


酵素玄米の太巻き。酵素玄米というのはかなり身体にはいいらしい。写真がよくないのが残念だけど。


アボガドの味噌漬け。予想外に美味だった。
そもそも、こういう店が居酒屋であるところがいい。東京にもないものだろうか・・・とおもう。



別の日のランチは、また、イタリアンのシェフが特別メニューをつくってくれた。トマトソースと野菜だけのパスタ。こういうアレンジができる店が東京なんかでも案外少ないのだ。簡単なのにね。







最終日の帰る前、友人のやっている養蜂とハーブの畑に見学に行ってみた。
この友人は、もともとは東京の建築の友人だったけど、奮起して、札幌近郊の石狩市に移住して、いまでは立派な有機農業、ハーブと養蜂の経営者だ。
ハーブはもちろんだけど、養蜂でも一切薬品は使っていない。実はそういう養蜂業者は彼らだけだそうだ。純天然の交じりっけなし。蜜の味は花の味だ。だから、方々から講師を頼まれたり、弟子入りしている人がいたり、忙しそう。
販売も、卸はほとんどしない。オーガニックマーケットやネット販売だけで手一杯だそうだ。
蜜が詰まると2.5kgにもなる巣箱を片手で支えて作業するため、親指の付け根が太くなったといって見せてくれたけど、ホント、その通り。
こういう自然とともに生きるというようなことは、そう簡単にできるものではない。とくによそ者はたいへん。覚悟も粘りも必要だ。
でも、嘘や虚勢のない素晴らしいライフスタイル。次第に友人のネットワークも増えていき、楽しそうだし、流れている時間が違う気がしてくる。文字通り、土とともに生きている、という感じ。


かつては、東京で、某有名建築家に弟子入りした身ながら、いまでは自然と健康を守る派の急先鋒だ。


巣箱は24基あるらしい。これで毎年600kgの蜂蜜が採れるそうだ。

 
ハーブいろいろ。なんとなく無造作に植えられているのがいい。ま、ハーブももともと雑草だしね。


これ、名前は忘れたけれど、育ったものは、アイヌではお茶にするらしい。文化は深遠なり。


その友人が、オーガニックつながりで、近所のショコラ屋に連れて行ってくれた。
この店、昼の3時から7時までの営業らしいが、満席だった。実は、店主の女性、アジアで唯一人のフランス政府公認のカカオ鑑定士。世界中から鑑定依頼があるらしく、午前中はそれをやって、午後からココアを振る舞う店をやっているということ。
昔、三鷹に住んでいたとかで、随分話しが弾んだけど、おとぎ話で出てきそうなつくりの店にチョコレートとジブリの音楽だったせいか、実になんとも奇妙な時空間。不思議な人だった。



ともあれ、ま、有機をやるにはいまでも勇気がいる。北海道にはそういう人が結構いるのだ。(は/109)


おまけの変なもの。
何度も札幌には行っているけれど、ときたま変なものを見つけたり、知らなかったものに出会ったりする。広島だって神戸だって、どこに行ってもご当地ものというのはあるものだ。

最初は、宿泊したホテルの朝食にあったもの。ラーメンサラダと北海道の天然水。
ラーメンサラダとは、いまでは北海道に定着しているけれど、実はこのホテルが発祥といわれている。サラダと冷やし中華を掛け合わせたような感じ?・・・夏にもラーメンを食べたいという人のために開発されたらしい。
それにしても、この水。全部飲んでみたけれど、違いがよくわからなかった(もちろん全部美味しかったですが)。
日本は山があれば湧き水があったりするけれど、濾過は同じだろうから、結局は、ミネラルの違い、ということになるだろうか・・・?
きっと、山の数だけ水がある。


朝食にあった元祖ラーメンサラダ。本当はもっと大きなサイズだけど、ま、朝食なので。

 
水、いろいろ。摩周湖の水なんて、名前だけで神秘的だ。


あと、これは駅にあったもの。僕にはよく理解できないけれど、美容にいいらしい土産用マスク。ちょっと怖いけど・・・これってどうなの?


■講演から公園へ

2015年06月08日 | 北海道・広島


昨日、晴れたので、久々に近所の公園でブランチした。
たまにやるけど、新緑だし、気候もいいし、やっぱりこの季節がいい。
近くの家族連れが、やはりブランチしていたり、ボール遊びしていたりして、実にのんびりした空気だった。
ちょっとしたピクニック気分。日曜日、という感じ。
このところ、妙に忙しかったので、ちょっとだけホッとしました。

で、昨日は急におもいたったので、とくに凝った料理はないけれど、かみさんのつくったトマトペーストと野菜スティックにバケットというシンプルなもの。あ、そう、白ワインは必須です。実にうまかった、です。
こうこうしているうちに、やっぱり鳩がやって来たので、少しお裾分け。でも、随分、鳩も減った気がする。誰かがどこかでなにかしているのだろうか・・・。


札幌展は(か)さんの無類の協力で、無事完成。本当にお疲れさまでした。
他にも、今回は、予算の関係もあり、多くの方々に協力いただきました。ご助力いただいたみなさんに深く感謝。
講演も実に力のこもった深遠なお話、ありがたい限りです。話の内容は多岐に渡り複雑なので、また今度。

今月は、北大で「形の文化会」主催の第63回「形の文化フォーラム」も開催されます。この会からは「形の文化誌」10巻や「日本のかたちを読む辞典」が工作舎から刊行されていて、当初は杉浦先生からの多大な影響もあった会合なので、今回はいい機会なので、本展のチラシを配布する予定です。
多くの方に観ていただけたらとおもう限りです。

ああ、でも、疲れた。けど、できてよかった。(は/108)









■両界曼荼羅の諸事情

2015年06月01日 | 北海道・広島


曼荼羅とは、バラモン教由来のヤントラの一種として成立した。
ヤントラとは、タントラの実践のための図像である。じゃ、タントラとは何かというと、人々の所作や行または身体的動作(=ヨーガ)の実践的修行のための教義一般を差している。だから図像もある。ややこしいね。
要するに、バリにも遠く影響しているバラモン思想は、このタントラを緯糸に、スートラを縦糸に編んだ世界真理なのである。スートラとは、ま、お経や解説書のようなもの。理解のための教典だ。その後「ヨーガ・スートラ」にも「カルマ・スートラ」にも編まれていった。
で、それらは全部「ベーダ」に書いてある。
だから結局、ヤントラもタントラもスートラもベーダの理解のために編み出されたものということになる。




で、その「ベーダ」は、四つしかない。「リグ・ベーダ」「サーマ・ベーダ」「ヤジュル・ベーダ」「アタルバ・ベーダ」である。
そして、それを補足しているのが、有名な「ブラーフマナ」「アーラニヤカ」「ウパニシャッド」という聖典文献である。
「ブラーフマナ」は祭儀書ともいわれ、祭祀や儀礼の意味や方法が説かれ、「アーラニヤカ」は森林書といわれていて、呪術や秘儀集、「ウパニシャッド」は宇宙論的哲学書、といわれている。
何が書いてあるかというと、簡単にいえば、宇宙の根本原理としての「ブラフマン(梵)」と存在の本質としての「アートマン(我)」の両者はまったく同価である、ということ。それを「梵我一如」という。
わかりにくいね。でも、これ、高校の倫社の教科書に出てくる話だ。

さらに簡単にいえば、ブラフマンとは、物質とその本質、アートマンとは人間個人に潜むすべての自我=真我というわけである。ま、大宇宙と人間の内宇宙、マクロコスモスとミクロコスモスは一体だ、といっているわけだ。
最後の「ウパニシャッド」では、すでに「業(ごう)」や「輪廻」や「解脱」の発想が生まれている。ブッダは、こうした背景に生まれたわけである。

と、言葉でいうのは簡単だけど、大学生の頃、ここまでは素直に理解した。けど、サンスクリット(当時の表記文字)も読めるわけじゃないし、そこから先、なかなか理解が深まらない。まあ、つくづく人生ままならない。


で、インドで仏教が生まれてから、仏教も一時は隆盛したものの、その後、再びこうしたバラモン(=ヒンドゥ)教に趨勢がうつっていったため、これがまた宗教教義上複雑になった。
つまり、曼荼羅を用いるいわゆる密教は、インド仏教の最終形態なので、すでに半分ヒンドゥ要素が入り込んでいて、だからあんなに仏神がたくさんいて、それぞれの役割やキャラが配置されなければならなかったのだ。化身というお得意の技もずいぶん発揮された。ワヤンにもよくある話。
逆にいえば、仏教が密教として生き延びるためには、ヒンドゥ(バラモン)的要素を習合しなければならなかったというわけだ。

また、曼荼羅が今回の東寺のように「胎蔵界」と「金剛界」の両界曼荼羅になったのは中国に渡ったときである。だからインドやチベットでは両界曼荼羅はない。
で、密教も一子相伝なので、その最終到達ポイントは日本ということになったのだ。つまり、恵果和尚から空海が相伝されたのだ。



そしてこの伝えられた両界曼荼羅は、実に巧みに象徴体系が配置されている。
大きな象徴でいえば、「胎蔵界」=太陽=東=金=女性、「金剛界」=月=西=銀=男性。加えるならたぶん、胎蔵界は生命であり、金剛界は成仏であるかもしれない(ここは自信がないけど)。
ま、もっと詳しい話は先生の講義で(もしうまく理解ができたら今度解説します)。

だからというわけではないけれど、今回の札幌の展示では、東に胎蔵界曼荼羅、西に金剛界曼荼羅を配置した。だから上の図とは逆になってしまったけど、ま、ここは原理が優先。東寺様、ごめんなさい。
で、一応、先生の合意を得て、胎蔵界にはすべて金の下地、金剛界には銀の下地を入れてみた。ゾーンもそういう風に分けたのだ。つまり、一旦ギャラリーに入りこんだものは、知らず知らずのうちに、実はそうした象徴体系のなかに包まれることになる。だから曼荼羅宇宙・・・か?

だけど、ま、そうした配慮に気づく人は何人いるだろうか・・・。
その分、設営、結構たいへんだ。実際、うまくいくかどうかはわからないが、その結果はまた今度。
映像やうごめく光はそれこそ「生命の海」、という感じでなかなか面白いので、ぜひ、いろんな人に観てほしいとおもう限りである。(は/107)


というわけで、月曜にして今週のブログはこれで終わり。そろそろ帰らないと・・・ラた、マいしゅう。

■ダチョウが先か卵が先か

2015年05月09日 | 北海道・広島

ニセコから観た羊蹄山。

みんながガムラン祭に行っている間、ある人の送別会があり、ニセコに行った。
ニセコは、札幌から車で約2時間、冬は海外からの長期滞在のスキー客で賑わう場所。だから宿泊もコンドミニアム中心で、街のレストランもショップもどこも日本とは思えないつくりになっている。日本語のないメニューの店なんかもあったりする。冬が外国なのだそうだ。


ロスにありそうな寿司屋のニセコロール。


近くに温泉なんかもたくさんあり、この五色温泉は、山の上だったので、まだスキーやスノボをしている人たちもいたし、雪上BBQをやっている人たちもいました。ある意味、不思議な光景。

 




周囲の中心はこの羊蹄山。支笏湖洞爺湖国立公園のれっきとした活火山である。蝦夷富士といわれるだけあって、まるでミニ富士のような美しい姿で、いまの季節はまだ雪もあった。湧き水も有名で、その水でつくる豆腐なんかも売っていて、実に美味。


羊蹄山に昇る月の図


で、その周囲にあるのがダチョウ牧場。その後継ぎの彼と話していたら、偶然にもダチョウが産気づいた。おお、これは奇遇。見事な産卵に立ち会うことができました。
が、残念ながらカメラが間に合わず、その瞬間は撮れませんでしたが、産みたての卵を抱えた彼のショットで勘弁。彼の説明によると、ダチョウは一週間に一度くらいのペースで卵を産むらしいが、牧場で飼育されているダチョウは育て方を知らないらしく、卵はいつも放置されているらしい。
触らせてもらったが、まだ暖かく、表面がちょっとヌルッとしていて、なんとも生々しい。




ともあれ、そこでゲットした卵をどうするかが大きな問題となった・・・。ま、鶏卵30個分ということだし、味は同じだけれど、鶏卵より火は通りにくいという話。
話し合いの末、結局、持ち帰れるように、パンケーキとプリンをつくることになりました。
いまからおもえば、玉子焼きもつくればよかった。それは今度、TUNJUKのみんなとのときにとっておくことにします。
ちなみに、調理する前の卵の状態を卵、調理されたものは玉子といいます。念のため。


殻は堅いので、包丁の柄の部分で叩いて割る。


ボールに移してみたけれど、サイズがわからないので、たばこを置いてみました。


プリンと一緒に。このプリン、美味しかったです。


ともかく、ダチョウには申し訳ないけれど、貴重な体験、ありがたくいただきました。

ところで、全部有精卵だそうです。ということはこのまま温め続ければヒナがかえるということ。
そうね、いつからこんなに大きなものになったかはわからないけれど、これもまあ卵なわけだから、結局「ダチョウが先か、卵が先か」という問題は残る。これ、どうなんでしょうね。
でも、この問題、ニーチェの永劫回帰というのがあるし、生物学の問題というより実は哲学的思考実験のようなものだ。
つまり、存在するAとBは、どちらもその存在を相手に依存または起因している場合、その存在はどう始まったのか。ダランとグンデルの場合だったらどうだといえるのか・・・。
ねえ、君、どうなの?(は)


■いきもの幻想

2015年05月07日 | 北海道・広島


GWは、浜松にも行けず、残念。札幌とニセコにいました。みんなが遊んでいる間に仕事です。

展覧会は、ひびのこづえさん。5日はワークショップもありました。
ワークショップは、「ちいさないきものをつくろう」ということで。テキスタイルの端切れと刺し子用の糸を使って自分だけのブローチをつくり、それに命名するというもの。





最初は、色鉛筆で、各自自由に絵を描く。ただし、「いきもの」限定。5才以上なら参加可。
こういうのは、だいたい子供の方が発想が自由だったりするけど、大人も負けじ、みなさんがんばっていました。
途中で、こづえさんから、管理者である僕にも絶対参加の命令が来て、トホホな状況。
でも、がんばってつくりました。それがこれ。数十年ぶりの針と糸でした。



名前は、「ケムンナマズ」。そう、ケムンパスが大津でナマズの彼女と恋に落ち・・・どこかで聞いたストーリーですね。たまにはブログも役に立つもの。
一応、「気持ち悪いもの」と「怖い」が自分のなかでテーマだったので、魔女ランダっぽく長く伸びた舌を演出してみたんだけど、案外「カワイイ」と評判でした。
そういわれても対応に困りますが、一応、バリ要素が入っているということで内心納得しています。

家に帰って、かみさんに見せたら、「なんかこれ、イギリス人」ということで、「ジョージ」という名前が命名され、いま、家に飾ってあります。なぜジョージ?
どうせならリチャードとかヘンリーとかがよかったかな・・・?






今回は、こづえさんの展覧会ということで、ホテルのカフェでは、スペシャルケーキを用意し、こづえさんのランチョンマットに乗せて販売。結構売れてます。ま、いきものつながりですね。
そうおもっていたら、出先の都庁で、こんなの見つけました。
てんとう虫は永遠のモチーフですかね・・・?





てんとう虫は、天道虫、太陽の虫です。生き物は、不思議の宝庫です。地球上でも最も種類の多いのは「虫」です。6千万種いるそうです。だから奥本大三郎さんにいわせれば、地球は「虫の惑星」だそうです。
まだまだ知らない生き物はたくさんいることでしょう。だから創造的なのかも。(は)


今日からまた南紀出張・・・、ぜんぜん家にいません。
なので、ラた、マいしゅう。

■日本三大がっかりの裏側

2015年03月24日 | 北海道・広島


ということで、またまた札幌。何度も行っているのに市内ぜんぜんどこも行っていないので、もっといろいろ観てみよう、とおもいたち、まずは札幌定番の時計台を見に行った。次回、暖かくなったら、大通り公園の電波塔、北大のクラーク像に行こうかとおもっている。

で、その時計台。「日本三大がっかり」に選ばれるだけあって、一見、小さい。ビルの谷間。「へえ、こんなところにあったんだ」という感じ。
じゃ、他の三大がっかりは何? と言われると困るけど・・・一応、高知のはりまや橋は入っているらしいが。
ちなみに、世界三大がっかりは、シンガポールのマーライオン、ブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫の像、である。
その不名誉のせいで、数年前、シンガポール政府は威信をかけてマーライオンを大きくしたそうだが、それもどうも中途半端、らしい。まだ観てないけど。小さくてもいいのにね。




この世界三大○○や日本三大○○というこれ、実は日本独自のものもあって特に日本人好みの言い回しらしい。世界三大美女にどうして小野小町が入っているかを考えればわかるような気もする。
日本三景や日本三大祭とか、日本三筆とか、まあ、無数にある。他にも、三宝とか三種の神器とか、御三家とか、一富士二鷹三茄子などの言い方も・・・、いろいろあるわけです。
かの有名な空海の「三教指帰」も、空海が学生時代から出家に至る動機を示した品であるが、蛭牙公子が亀毛先生(儒教)にならい、次いで虚亡隠士(道教)に説かれ、仮名乞児(仏教)に教えを乞うて、結局、仏教の優位性を説くという寓話のような話である。筑摩の空海全集の五巻か六巻に入っていたとおもう。三教の比較で結論を出すのが大切なのだ。

実は、アジアでは「三」という考え方は大切だ。だから、三大ランキングでも三大ユニットでも三大コントラストでもいい。要は優劣ではなく、代表選びのゲームのような場合もあるし、たとえ話や教えの比喩の場合もある。
一見、二項対立で説明されがちがバリも、実は、トリ(「三」)が大切なのだ、と密かにおもっている。その一端は、最近のワヤンを観ている人ならわかるだろう。いずれきっと、別の機会に論説しよう。
ま、そのワヤンでも、ダランはまず先に人形の入った箱を三回叩く。これによっては人形を起こし、ワヤンが始まるのである。この三回は「天・地・人」の三界を意味し、世界のすべてを創出し、目覚めさせるという意味があるという。

日本神話の三柱でも、仏教の三尊でも三千大千世界でも、キリスト教の三位一体でもいいけど、ともかく「三」なのだ。
なぜキリスト教の話が出るの?とおもうかもしれないけれど、「父と子と聖霊」とされるこの三位、父はヤハウエ(エホバ)、子はイエスでいいとして、最後の聖霊というのは本当は誰もよくわかっていない。実はこれ、内緒だけど、アジアの深いところでつながっているのではないかと密かに勘ぐっている。だから「三」なのだ。
人類も一見、男性と女性に分かれているが、実は哲学文化史上は、神観念が入ってくると、そこに「両性具有」が入り込んで三角形になる。
両性具有とは、ガッチャマンのベルクカッツェのことではない(失礼)。形でいえば円、完全を意味していて、日本語でいえば「真」に近い概念になる。だから天皇は「真人」ともいう。
ああ、また、この辺の話をすると長くなるので別の機会に・・・。
で・・・、何だっけ?




そう、ま、ともかく、この時計台、周りが大きくなり過ぎたのかもしれないが、「へえ、こんなに小さいんだ」というのが誰もが口を揃えて言う。以前一緒に同行した芸大教授のKHさんも同じことを言っていた。
ま、がっかりするということは、それだけ期待が大きいとか、写真が堂々としていたとか、いろいろ理由はあるわけで、実際の時計台は国の重要文化財に指定されている立派なモニュメントです。開拓の象徴です。中に入ればわかります。

パンフレットによると、もともとは札幌農学校の演武場、英語ではMilitary Hallと書いてあったので、要するに武芸練習場ということだが、ま、屋内体育館という意味もあろう。明治11年に建てられたものを昭和に入ってから現在の地に移設したらしい。
当初は、時といえば鐘、つまり吊り鐘が設置されていたそうで、その後、時計に変えられたという話。何十キロもある重りを毎日巻き上げて時を刻んだということだからさぞたいへんだったことでしょう。
機械仕掛けの時計はいつ見てもシビレるね。この機械美と繊細さと大げさ加減が絶妙だ。アメリカにあったものの移設だそうです。
2階は現在もホールとして使用可能で、ときどきコンサートや講演会なども行われている。つまり、レンタル可能。バリ島のワヤンなんていかがでしょうね・・・? ちょうどいいサイズとおもいますが。




ともかく、まあ、世の中には、大岡越前の「三方一両損」とか、勝者と敗者に二者にこだわる欧米に比べ、日本には「引分け」という概念がもともとある。遠くは聖徳太子の頃からある概念で、「和」を乱すことへの配慮とも考えられている。勝ちと負けと引分けの三者揃い踏みだ。
日本の経済や社会でも「勝ち組」とか「負け組」とか、富裕層だ貧困層だとか言ってないで、僕は「引分け組」です、と宣言でもしてやろうか、と密かに考えていて、あるときダランと話したところ、妙に話が盛り上がり、必要以上に酒が進んでしまったことがある。
酒はほどほどに、勝負ではなく、引分けにしよう。(は)



こんな展示もありました。
まあ、歌に歌われるだけ親しまれてきた、ということでしょうね。
昭和歌謡史、いずれやらなければ。



で、お決まりはこれ。
スタンプマニアとしては条件反射のコーナーです。



ちなみに、全然関係ないけど、今日行った千駄ヶ谷の駅にこんなのがあった。
どうも、スタンプは子供たちの関心をひくらしい。
いつからやってんだろう・・・やられた。
けど、ここには、吉祥寺も小金井も国分寺もない。

■札幌の迷店いろいろ

2015年03月17日 | 北海道・広島
札幌も最近ではあまり北海道らしいものは食べなくなった。もちろん、接待関係のときは別だけど、普段のお昼やゲストのいない夜などは、ほとんど地元ユースの店ばかりである。
そのなかから、いくつかピックアップ。


まずは、ラーメン。「札幌ラーメン同好会」のメンバーの一押しはここだそうなので、食べてみた。ごはんなしでは食べられないくらい結構濃厚な味噌ラーメンである。ま、今風ということかな。でも、おいしいですが。
それにしても何?その「札幌ラーメン同好会」・・・どうも、SNSで毎日投票しあって情報を集積しているらしい。同好会に入らないとその情報はもらえない。う~ん、どうしたものか。






札幌ならではということなら、ここのジンギスカンは捨てがたい。実はここで食べるまで、あまり進んでジンギスカンを食べることはなかった。要するにホントにおいしいジンギスカンを知らなかったのだ。
ここは冷凍ではなく「生」を出す。まったく臭みがない。顔見知りになって大将に頼めばステーキ風の「厚切り」も出してくれる。
もう5回くらい行っただろうか・・・カウンターだけの気軽な店の雰囲気が情緒があるし、ご夫婦二人で長らく切り盛りしているのがインティメイトだ。




たとえばここ。串カツ専門店。ダランの好きな大坂風? これで二人前400円也。散々ビールや日本酒を飲んでも2千円もいかない。もちろんビールや日本酒の銘柄なんて選べない。燗といえば燗が出てくるだけ。でもそれでいいのだ。
揚げ物ではあるけど、ほっとする店だ。






餃子ならここ。暗くて薄汚れた印象の店だけど、安くてうまい。名物「またたび餃子」や「おたふく餃子」というのが独特だけど、ここでは餃子も揚げ物もすべてソースで食べるのが仁義。朝までやっている。あなどれない。




その裏にあるのが、この店。ソフトクリームやアイスのパフェで酒を飲む。どうも北海道の人は冬にアイスクリームを食べるのが通らしい。寒いとおもうけど・・・。




昼のボリュームランチならここ。この日の日替りサービスランチがこれだった。
こんな木彫が置いてあるところがただ者ではない。聞いてみると、夜の営業と絡んでいるらしい。ホステスさんたちの店でもある。
そういえば、雀荘なんかで深夜にテンヤモノを頼むと、よくこういうのが来ていたな・・・。毎夜毎夜のドラマがあるのだ、きっと。
こういうネタはまた(の)ちゃんにウケが悪い。ま、シャレです。シャレ。






健全ランチならここ。地方でおいしいそば屋を見つけると妙にうれしくなって、ついつい日本酒を頼んでします(言い訳ですが)。でも、このそば、上等でした。絵に描いたような隠れた名店。そば好きの(か)さんもきっと気に入るとおもいます。
この店、昨年展覧会をやってもらったTI先生も常連らしい、と、オーガナイザーのYさんが教えてくれた、と、ギャラリースタッフが話していた。
ここは円山、札幌では高級住宅街の入口である。さすがに品がいいね。






ホテル界隈では、ここ。昼はシャレたカフェで、夜はいま話題のニッカバーになる。夜はよるで、アイスクリームに竹鶴17年をかけたりメニューもある。やっぱりアイスが習慣なのだ、札幌の人は。
そういえば、朝ドラももうすぐ終わりだね。結構面白かった。けど、結局最後まで主人公のマッサン役の彼には感情移入できなかった。もっと複雑な背景のある役が似合っているのでは?
で、この店のオーナーは札幌を拠点とするデザイナー兼店舗プロデューサーでもあるH氏である。札幌で知らない人はいないくらい有名人物。彼に店のデザインとプロデュースを頼むことがすすきの界隈のおねーちゃんたちの夢でもある。
このときは、H氏も一緒だったので、彼のおごり。彼がいなければきっと並んでも食べれなかったに違いない。毎日行列、売り切れ必至だそうだ。
確かに独特でうまいパンケーキだね。フォークやナイフもオリジナルデザイン。女性の心を掴むのがうまいらしい。うらやましいね。




最後は、ある朝の朝食。この日はよく食べました。
と、今回はなかったけど、普段は、これがある。ししゃものフライ。これが名物だと密かにおもっているけど・・・。







はあ、いろんな店に行ったな・・・。

そういえば、例のお尻バー、誰の怨念か、とうとうガラスの真ん中あたりが曇りガラスになっていた。きっと行政指導が入ったのだろう。行政はいつも無粋だ。
まだ見てない人は残念でした。以前撮ったカットをおまけしておきます。この風景はもう見られない。
ま、それでもすすきのの夜は更けていく・・・。(は)


■「面」と「足」の向こう側

2015年03月16日 | 北海道・広島
  春眠不覺曉
  處處聞啼鳥
  夜来風雨聲
  花落知多少
 

ご存知、孟浩然の五言絶句「春暁」である。僕らの世代はみんな中学生の頃に習った、はず。
孟浩然は王維とともに「王孟」、または韋応物、柳宗元と併せて「王孟韋柳」とも並び称された唐代の詩人である。
高校3年生の春、学校に遅刻したことがあって、すでに1限目が始まっていた。そのとき、先生にこう言われたことがある。
 「なぜ、遅刻したか合理的な説明をせよ」
さすがに言い方が数IIIの先生だ。
で、というわけで、僕はこの五言絶句を大声で諳んじたところ、なんと許してくれたという顛末。なんとも芝居がかっているけれど、数学の先生だけれど、きっと、シャレがわかる先生だったのだ。
ので、覚えている。
 「春眠暁を覚えず  処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ」だ。

そう、春は眠いのだ。というか、この詩の場合は、夜明けとともに起きる時間が変わるから成立するのであるが、僕はそれとは関係なく、もともと早起きの得意な方ではないので、ついつい言い訳にしているだけだけど。
それにしても、二行目の「しょしょていちょうをきく」と最後の行の「はなをつんことしんぬたしょうぞ」は当時外国語のようだった(いまでもそうだけど)。
というわけで、今朝は遅刻した。すみません。


ところで、先週は火曜から札幌のはずが、なんと火曜は暴風雨で散々遅延された上、夕方6時くらいに欠航になった。半日棒に振ったことになる。というか、ま、ラウンジで電話したり、メールしたり、ビール飲んだり、暇を持て余したわけではないけれど、どうにも不思議な時間だった。こんなんだったら、アンクルンの録音でも持って来るんだった。
こういうこともある。

翌日、無事札幌に着き、展覧会の準備も完了した。
今回の展覧会は、岐阜在住の陶芸家伊藤慶二さんの展示。僕が最も尊敬する陶芸家のひとりである。
普通、陶芸というと器や皿や茶道具など、用途のあるものだが、伊藤さんは、もちろんそういうものもつくるが、展覧会となるとオブジェのようなものを陶芸でつくってしまう。
ただし、この造形が見事というか、到底凡人にはできない所業なのだ。

 


今回は、「面(つら)」「足(そく)」「HIROSHIMA-土」「NAGASAKI-マスク」「閉じられた間」という五つのシリーズからの構成。


「閉じられた間」




「面」はいまのところ50をつくったそうだが、なんとか100まで作りたいそうだ。百面相と言っていた。
だけど、顔をつくるのは難しい。人は誰でも1mm程度のちょっとした表情の変化が心理を読んだりする。表情や顔色といった言葉も多い。
モナリザ(西洋ではジョコンダ)の微笑がなぜ魅力的なのかというと、微笑こそ人間にとって最もニュートラルな位置、つまり、もっとも気持ちがわかりにくい状態なのではないか、と、昔、安部公房が言っていた。
面はお能では「おもて」という。西洋なら「ペルソナ」だ。要するにパーソナル、個性や人格を投影する。バリなら「トペン」だ。面には、文化の違いもあれ、そういう全人格を憑依させる力と形があるのである。
さもありなん、人は人面で人を区別している。難しいテーマだ。



 


「足」は僕の大好きなシリーズ。仏足石からある存在を印象づけている。いずれにしても、オブジェとは本来、依代(ヨリシロ)である。本質の代弁者、それを通して向こう側にあるものを想像する。形あるものなら形代(カタシロ)だ。
仏教はいまでこそ仏像などがたくさんあるが、元来偶像崇拝をすることは説いていない。最初は法輪、次第に仏足石などをつくるようになった。ま、偶像崇拝やこの話をするとちょっと長くなるので・・・、またいずれ。



NAGASAKIとHIROSHIMAのシリーズは、いうまでもない。
「閉じられた間」とは鎮魂を意図したインスタレーションだそうである。


土、造形、命、鎮魂、魂、自然、生、願い・・・講演は僕が聞き役をつとめた。ま、無事に時間ぴったりに終わりましたが。
当日は、3.12、今年は広島・長崎の70年、それなりに重いテーマも含んでいたが、生への秘められた情熱は深淵だ。
「終戦のとき10才だった」と一言語られていたのが印象的だった。


面シリーズは、百面と言わず、三十三間堂のように、ぜひ千一面作ってほしい。
今年80歳、こんな陶芸家もいるのである。(は)



時間があったので、伊藤さんと本郷新美術館に行ってきた。
作品は広島の平和記念公園にも、六本木交差点にもある。