watabatakeのブツブツ

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あいまいな表現

2007-06-24 | Weblog
「しつけ」1歳男児殴られ重体
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007062400150

もうやめないかあいまいな表現
しつけとは、愛情の手段のひとつで、
決して重体になるような暴力ではないはずだ。
傷害罪でしょう。

家族間特に体力的に見て下位の者への
暴力は重罪にすべきだ。

記事では、食事時のマナーのしつけとあるが
1歳のこどもが重体になるほどの体罰が必要なのか

弁護士は、こんなところに熱弁をふるうとしたら
異常としか思えない

他人の子どもにでも手をあげてしまう私。
何度も注意して、はったおすぞと何度もおどして
加減を考えて手をあげる。

怒った後、殴った後は、何日も後悔する。

万引きという言葉も嫌い。
窃盗罪でしょう。
チビ達には、即刻警察へ連れて行くと脅している

罪への意識は、はっきりと胸に刻まなければ

6・23沖縄慰霊の日

2007-06-24 | Weblog
夕方、うどいの子どもたちに今日は、何の日かと尋ねるとたくさんの子どもたちが手を上げ答えてくれました。
なんのまよいの言葉も無く....
沖縄の方に向かい黙祷しました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20070623k0000e040055000c.html
(以下毎日新聞社Web 沖縄:教科書検定、国と溝 「自決強制」目撃の女性に怒り より)

 「日本軍がいなければ自決なんかしませんよ」。平和の礎(いしじ)に刻まれた親せきの名を前に、沖縄県南風原(はえばる)町の仲程(なかほど)シゲさん(77)は悔しさをにじませた。その額には62年前、沖縄戦で受けた艦砲射撃の砲弾の破片とともに、集団自決や日本兵による住民虐殺のいまわしい記憶が刻まれている。
 当時、本島南部の大里村(現南城市)に住んでいた仲程さんは、戦火が迫った5月28日、母カマさん(49)と13歳、10歳の弟、そしておじ、おばら計13人で南へと避難を始めた。6月19日、隠れていた糸満市真栄里のガマ(壕(ごう))に米軍の戦車が迫った。
 沖縄守備軍が現地で召集した防衛隊から逃げてきたおじが言った。「アメリカーにやられるより、自分で死んだ方がまし」。手投げ弾を持っていた。それを見たカマさんがおじの手に取りすがった。
 「いくら何でも生きている子供たちをなぜ殺せるか。まず待ちなさい」。子を持つ母親の訴えにおじは思いとどまった。
 夜、再び南へ。火炎放射器で焼き払われていた米須(こめす)集落で、激しい艦砲射撃に襲われた。おばがうめいて倒れたが、暗闇でどこをけがしたのかわからない。カマさんが「姉さん、恨まないでね」と額に手を当てると、息を引き取った。足の肉をえぐりとられて倒れたおじは「戦争が終わったら遺骨を取りにきてくれ」と言った。残していくしかなかった。
 翌日、隠れていた摩文仁の山中で砲弾がさく裂。仲程さんの額に破片がめり込んだ。さらに次の日、一人の沖縄の青年が、隠れている住民に呼びかけた。「アメリカの捕虜になったほうがいい。みんなで出て行こう」
 すると2人の日本兵が走り寄り「こんなバカがいるから沖縄は負けるんだ」と言い放つや、日本刀で青年の首を切った。
 怖くなって下りた摩文仁の断崖(だんがい)。海には赤ん坊の死体が浮き、岸辺には破傷風で苦しむ人たちが大勢いた。1週間近く、水だけでしのいだ。
 仲程さんが捕虜になったのは26日。別の日本兵が「日本は負けた。民間人は出て行ったほうがいい」と言ってくれた。当時、「米軍に捕まると、女は強姦(ごうかん)され、男は戦車でひき殺される」と言われていた。「この日本兵は命の恩人です」。だがおじ、おばらたくさんの親族を亡くした。