明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

人間の自意識がある限り

2018-01-13 21:15:00 | 科学・デジタル
AIは人間に取って代われるだろうか?

これは切実な問題である。昔から哲学や宗教の問題として取り上げられてきたことだが、人間が人間である証は「考える事」にある。これはパスカルの言ったことだが(似たようなことだと記憶している)、本当はAIも考えるのだ。考えなければAIじゃない。ただ1台目のAIが考えて出した答えと、2台目のAIが出した答えとが「全く同じ」である限り、1台目も2台目もそして何台目であっても「AIは自己を持たない」ままである。

つまりAIの頭の中で「彼または彼女と自分とが、入れ替え可能の物体」だと認識できている間は機械である。人間は自分と他人を区別する。ただ単に別個の存在として動くだけでなく、意識の中で「自分の選択の自由意思」を自覚しているのだ。そこがAIとの決定的な違いである、と私は思う。勿論そうは思わない人が居ることも知っていて、皆と考えが同じだということで安心するのも生き方である。だが私は「自分の考え」にこだわり、それを持つということが即ち「自己のアイデンティティー」にも繋がり、私の存在を証明することになるのである。

言い換えれば、同じ環境下に置かれて同じ行動をするとしても、人は「それぞれ違った考え」を持つことが出来る。これは逆に100%同じ考えの人間があなたのそばに「うじゃうじゃ居る」としたら、あなたは自分の存在を果たして特別視出来るだろうか、ということでもある。あなたが死んでも寸分違わない思考と意識の「別のあなた」がいるとしたら、あなたは「天国に召される」などと悠長に考える余裕はなくなるのではないだろうか。顔や姿が違っていても頭の中が同じなら、それは既に「あなた自身」である。そしてその事はすなわち「あなたがAIである」という可能性を否定できないことの証明でもあるのだ。

という事で結局AIは人間にはなれない、というのが私の結論である。何百万何千万というビッグデータを処理して確率を計算したAIは、同じデータから同じ結論を導くに違いない。そうでなければ優秀なAIを導入する意味がないからである。そして「そのことが逆に」AIの限界を作ってしまう。人間は同じデータから違った結論をだす動物である。人間の遺伝子はその殆どが使われていないという。そして日々その遺伝子から「新しい突然変異が日常的に発生している」というのだ。つまり人間は考える葦でもあり「変化し続けるタンパク質」でもあるのだ。この千変万化の流れの中に「あなたはいる」のである、「世界にただ一つの自分」という意識を持ちながら。

私はAIと自分自身との差を考えて「AIは私にはなれない」と結論づけた。これはクローンの問題とも密接にリンクしている。もし私の脳を他の脳に「完全コピー」したらその脳は「私自身である」と意識するのか、という問題である。もし街なかでそんな人に出会ったら、私はその人を「他人だと思えない不思議な同一性」つまり「なんだか分からないが自分の姿を外から見ている」ような気分に陥るであろう。もしこれが出来たら(つまりコピーが出来たらという意味だが)、私は永遠の命を得ることが出来るし、好きな顔や素晴らしい身体能力やピアノや詩や絵画の才能も選び放題になれる。これは人類の夢ではないか。だが脳の機能を完全コピーするということは即ち「欠点も一緒にコピーする」ことだから、今持ってない能力は新しく獲得することは出来ないということも考慮する必要がある。 クローンというのは「コピー」なんだから。

だが人間は果たして永遠のコピー人生で「幸せ」なんだろか。人は他人と考えが一緒であることに安心感を覚える。共感するということは「大勢の中に自分の個性が消えていく」ことでもある。そして全体の中に消えていくことによって「世界の中で独りぼっちという自意識の恐怖」から開放される。その全体の中に埋没することで「死をも恐れぬ」精神状態になれるのである。私は他人と違うということから「どうしても逃れられなかった」人間である。勿論犬や猫でも個性はある。一匹一匹が同じではない、が、我々人間から見てみれば「同じようなもの」に見える。人間も外から見れば「そんなもの」に違いない。昆虫や魚や鳥の個性を見分けるのは難しいように。人間も「高度な存在から見れば」どれも同じに見えても何の不思議もない。自意識というものは「人間が生きるのには、必要がない」ものであるのだ。

以前、ミツバチが黄色スズメバチに襲われて反撃虚しく全員討ち死にする映像をテレビで見た。彼らは女王蜂を守るために、勝てないと分かっている相手に果敢に立ち向かい、死んでいくのである。周囲には累々と仲間の死骸が重なっている。これらのハチを人は遺伝子の命令に従って戦っている「自動機械」だと思っているのかも知れないが、本当は彼らも痛みを知っていて死ぬことも自覚しているかも知れない。そうでなければ自然界で生き延びることは不可能だからだ。だが彼らは決して死を恐れることはない。それは「仲間がいるから」ではないだろうか。その仲間とは「同一の思考プロセスを共有する」別の個体である。つまり同じ共同体に属する生命体である。ただ個々の自意識だけが欠けている。そしてそれは人間においては、同じ宗教・同じ習慣・同じ人種のグループを意味することでもあるのだ。グローバリゼーションの真の進化は、「人間の中に同じものを見つける作業」を通して、宗教・習慣・人種の違いを乗り越える所に存在するのではないだろうか。AIがそこまで上手に設計されてくるようになるまでには、まだ相当の時間が掛かりそうである。

以上、とりとめもなくAIについて考えを廻らしてしまったが、それ程の出来でもない「単純なAI」が、普通にその辺を歩いている時代がもう少しで来るかもしれない。その時代に「映画のブレードランナーの女性アンドロイド」のように「自分がAIであることに気が付かない人間」が出てきたら、どうやって「その人にAIだということを教えたら良いのだろうか?」。あるいはAIであっても人間と同じように生活して行くのだから、どちらでも構わないと思うかも。そうであれば既にあなたが「アンドロイドだったりして」も、何も心配することはないわけであるが。

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