明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

居酒屋のお通しには深い訳があった

2018-01-14 23:00:00 | 今日の話題
居酒屋のお通しに外国人が批判を寄せているという。理由は、料理はお客が金を払って注文するのだから、好きなものを頼む権利がある、ということらしい。これは日本的なおもてなしの文化を知らないからだろう。ではおもてなしとはどういうものか、それを考えてみた。

我々が居酒屋に行く時、酒を飲みに行くという単純な目的に対して「サービスを提供している」というだけの店ではない。勿論そういう店もある。だがそれではキヨスクと何ら変わらない「飲める」酒屋である。本当の居酒屋とは、「店主の家を訪問して接待を受ける」場所なのである。

ちょっと視点を変えてみたらよいが、茶道で茶室に呼ばれる感覚に近い、と言えるだろうか。にじり口から入って狭い空間を客人と主人が共有して、同じ茶碗を回し飲みする「あの茶会」が居酒屋の原点であり、日本人の接客の基本なのである。主人が接客で発揮する種々の「美学」を、客は堪能して感心して帰るのだ。主人の美意識を発表する場なのである。

お客が好き放題をして居心地が良い空間は、訪問すると言うよりも「ホテルの部屋」のような自分の自由なリラックスした場所に近い。だから西洋的な感覚で言うならば、お金を払って「自由を買う」のである。嫌なら料理を変えるし、店だって選ぶ。ところが日本の居酒屋は「自由のないお仕着せのメニュー」で金を取る、と怒るのだ。

こういう誤解は何も居酒屋に限ったことではなく、他のあらゆる所に存在する「おもてなし」に現れている。お茶に始まり生花にしても舞踊にしても、料理・書道と何でも「道」とつくものは皆「やり方は主人のお仕着せ」である。それを訪問した家から外に出て「あれこれ批評する」のが、京都に今もなお脈々として流れている「おもてなし」の基本なのだ。

だから居酒屋では、客は主人の高説を拝聴して「主人の美学に基づいたおもてなし」を楽しむことが「要求」される。その最初の試練が「お通し」なのである。この理屈、外国人に分かってもらえるかな〜。

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