明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

デジタル弱者の戦い(8)今のデジタル世代は言葉の代わりに「写真」を使う!

2023-10-04 14:53:00 | 科学・デジタル

人が情報を他人と共有する場合、今までは言葉を介してやり取りしていた。先人達の長い間の努力によって、この世のものには全て「名前」が付けられ、人々の間で自由に「共有」できるように言葉も進化して来たのである。ところが今やスマホ時代になって、写真や動画が簡単に撮れるようになり、ネットを通じて自由に共有出来る社会に変化してきたことによって、何かを伝えるツールとしては「言葉はもう要らなく」なったと言える。日常的なコミュニケーションでは、もはや言葉は「旧時代のもの」としてタンスにしまっておく思い出の品になったのである。昔は「旅日記とか紀行文」であったものが、今では「インスタグラムの写真」に取って変わられている時代なのだ。

じゃあ、もう言葉のような「面倒くさい道具」は必要ないかというと、心の内や理念・感情を伝えるにはやはり昔ながらの哲学や詩・音楽・絵画と言った、より「創造的かつ芸術的」な方法に頼るしか無いのである。例えばあなたが美しい風景に出会って何か特別な感情を持ったとしよう。ところがそれを誰かに伝えるためには「写真に撮って送る」だけでは充分とは言えないのではないだろうか。それは、目の前の風景にあなたが感じたものが必ずしも他人の感じるものと「同じ」ではないからだ。だから、あなたが感じたもの「そのもの」を伝えようとして写真に撮ってそれを見せても、受け取った相手に「同じ感情」が起きるのを「待つ」事しか出来ないのである。

単純な、画一的なリアクションであれば確かに「ほぼ」同じ感情は伝えられるだろう。よく若者が口にする「可愛い〜、凄〜い、やば〜い」などだ(私はこの3つで会話が成立する説を広めようと運動している)。が、ちょっと個人的な「複雑な感情」となると簡単にはいかない。最終的には当然だが、「同じ感情が起こらない」場合も普通にあり得るのである。じゃあどうすれば正しく思いを伝えられるのか?

やはり普段から「言葉を自由に操れる」よう、練習するしかないと思う。勿論、言葉を自由に使うということは「論理的な思考」を強化することにもつながる筈である。例えば、何かを伝えるのにスマホに撮り溜めた画像を検索して相手に見せて共有するのでは無く、言葉で「同じ内容を表現」して伝えるのである。一見、時代の流れに「逆行する」ように思えるかも知れないが、これがあなた自身の脳を鍛えることになり、最終的には心に思っている事を「自由に表現する能力」が身につくのだと私は信じている。例えば皆さんが毎日のようにテレビで見るであろう「グルメ番組の食レポ」などは結局のところ、甘味・酸味・塩味・苦味・辛味、それと旨味に代表される味覚と舌触り・噛み応えなどの食感を「言葉で表現」するしか無いのである。最後は言葉なのだ。人間の感覚・感情は、「言葉」でなければ伝わらないのである。

これに代わるものがあるとしたら、それはもう他人の感じた感覚を「自分の脳内で再体験する」しかないだろう。例えば交通事故にあって足を骨折したという感覚をデジタル化して他人に送り、受け取った人はVRとかARとかの技術を駆使して脳内で「同じ電気信号を追体験」するのである。そうすれば「痛みや恐怖や怒り」といった感覚とか感情が「完全に共有」されることは想像できるであろう。しかしそれでも共有できるのは「体験」でしかない。そこから生まれるであろう「希望や愛や勇気」といった形而上学的な思念に関しては、脳自体つまりその人の「経験や思考の蓄積」が必要だからである。

やっぱり言葉はコミュニケーションにとって欠かせないツールなのだ。これからは写真だけでなく「もっと言葉を使って」意思疎通を図って行こう!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿