明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

考えるヒント(9)美しい、は能力である

2022-11-07 19:56:00 | 今日の話題

1、セクハラ新発見
健康でいることだって、能力の一つだ。この考えは今までなかった。

100mを10秒で走れる人は勿論すごい能力だが、だからと言って、20秒でしか走れない人より「人間として優れている」訳じゃない。これは昔から誰もが知っている事実だ。だから有名スポーツ選手が選挙に出馬して当選し議員などになると、大抵「何も出来ない」数合わせ議員に成り下るのである。世の中ってそういうもの。

私は「なぜ美人を美人として誉めてはいけないか?」というネットの記事を見て、なるほどと気がついた。

詳しくはこの記事に書かれているので説明は避けるが、この記事の主張を敷衍して「基本を押さえれば人間関係は上手く行く」と私は言いたい。例えばこの記事では「どんな相手にもどんな状況にも当てはまる基準や法則なんてありません」と書いているが、ホントはもっとシンプルなんじゃないか。

つまり、そう言ったら「お終いだ」、である。

基本の法則は出来ているし、それを元に考えれば答えは出るはずだ。そうでなければ六法全書丸暗記みたいな、無限の知識が必要になって現実問題として役に立たない。まずすべての人間関係の「基本のキ」を覚えるのが大事である。

① 生活する中の殆どの場面では、男女を意識する、は「異常なこと」である

② 男と女を意識した瞬間、いま「危険な状況」に自分はいると知ること

③ 相手が男女を意識しているかどうかは、冷静にならなくても「当然分かる」筈だ

④ 相手が男女を意識してないのに自分が意識した行動を取ると、それが何であれ、途端に「アウト!」になる。これがセクハラ。

⑤ したがってセクハラは「男でも女でも」、どちらでも起こりうる

以上。

基本は「美しいは能力だ」である。じゃがいもの皮むきも、レジを処理するのも、重たい資材を持ち上げるのも、すべて同じ能力だ。人はそれぞれ自分の能力を知って、それに精一杯「磨き」をかける。アスリートはアスリートの、美人は美人の努力があり、そこには人知れぬ努力や苦労もあると思う。人が自分に「何を求めるか」はそれぞれであるし、他人にどんな能力を求めるかもまた「千差万別」ではないだろうか。天は二物を与えずというが、二兎を追う者は一兎をも得ず、とも言う。

つまり、今ある「人に秀でた能力」を外したら、後に残るのは「ただの普通の人」という事実である。まあ、せっかくだから、与えられた能力を「とことん伸ばして」精々楽しもう!

但し、それは天から与えられたもの(英語では Gifted と言うらしい)だから、それを常に意識して「謙虚」でいること。これを忘れると嫌な人間になってしまう(そう言うの、多いけど)。

ついでに言うと「努力」も一つの能力である。じゃあ、全部の能力を剝ぎ取ったら何が残るんだろう。答えは人間そのもの、人間の原点である。それは何なのか?って言えば、食べて寝て笑う事。皆んなで笑えばすべてハッピー!

追記:持って生まれた才能とよく言うが、それは才能を人間に含めた考えだ。私は「持って生まれた」・・・では無く、単に一人の人間に「外部から一時的に与えられた道具」だと解釈している。本当の「人間という存在」は、道具を外した「素の姿」にあると考えている。ご賛同を願う。

2、韓国の梨泰院事故報道に見る韓民族の人間性
韓国ではあの事故以来、次々と警察や市の対応の杜撰さがニュースになっている。勿論実際に彼らの対応は酷かった。しかし韓国人の「人を責める体質」は例えば日本と比べると、朴政権を倒したセウォル号事件の時もそうだったが、何か事件が起こるとその原因の解明が、何故か政府のトップに向かうのである。この傾向は今回も顕著であり、あんなにも人が集まったことに対して「反省する意見」は皆無なようだ。

ではこのような政府批判は、なぜ幾度も「繰り返される」のだろうか?

それは韓国人の民族性だ、とも言う。つまり、市民が政府の要職にいるものを非難して、その恵まれた地位から引きずり下ろすのは、ある意味、人々の心の中にある「漠然とした高位の者への「やっかみ、うらやましい気持ち」の裏返しだというのである。勿論、日本でも同じような気持ちは誰にでも多少はあると思うが、それが韓国では「異常なくらい激しい」のだ。この辺に国民性が出ていると言われる所以である。

しかし一方、政府機関は市民の通報を無視したかのような仕事ぶりで、こちらも「ちょっと日本では考えられない」対応である。まるで自分たちは公務員だから、おまえたち庶民のことなど考える必要はない、とでも言わんばかりである。要は、「身分が違う」とでも言おうか。ひと昔の江戸時代やもっと昔の平安時代を見てるようだ。庶民の側の興奮体質か、政府の側の選民意識か、一体どちらが「本当の韓国人」の姿なのか?

私が考えるに、韓国はまだ「明治維新」を体験していない、古い氏姓制度・家父長制度が残った「個人が自立した社会」に成り切れていない未分化社会なんだろう、ということだ。こういうと猛烈な反発が韓国人から堰を切ったように出て来るのは充分承知している。が、歴史が証明するように、韓国とは、明治維新も第二次世界大戦も朝鮮動乱も「自前で経験」せず、すべて外からの圧力で国を左右されて来た民族なのである。

サムスンを始めとする韓国の大企業は昔の財閥と一緒だし、その過酷さでニュースになる受験戦争も日本の比ではない。まだ「社会制度の面で遅れている国」、それが韓国なんじゃないだろうか?(何か、とんでもなく炎上しそうで怖い)。

今回の梨泰院事故で私が感じた違和感の正体は、なぜそんなにも大群衆が集まっても、誰も「こりゃ多すぎるから行くのは止めよう」と思わなかったのか?、である。ここに今回の大事故の遠因がある。


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