中国語を勉強しようと思い立ってからニュースや歴史本などで取り上げられている「本場中国」の言葉の取り扱いが、実はヘンテコリンな「日本語読み」で表記されていることに違和感が出て来てどうにも気になって仕方ありません。以前は全然気にならなかったんですが、例えば「習近平」氏は彼の生まれた中国では「シージンピン」と発音されていますね。しかし日本では日本語読みのほうが国民に分かりやすいという理由からか「シュウキンペイ」と発音していて、これは「本人の与り知らない名前」なんです。文字は確かに習近平で同じですが、発音すると「全く知らない別人」になってしまうんですよ、おかしくないですか?。本人は生まれてからずーっと「シージンピン」で生活してるわけで、シュウキンペイなどと言われても「誰?」となるのは当然でしょう。もし逆に石破茂氏が中国でテレビニュースになる時には、中国読みで「シーポウマオ」とか呼ばれてるんだと思うんです(この発音は正しいかどうかは分かりませんが)。これ、一体誰の事を言ってるのか腹立ちませんか?って話です。人の名前を間違って呼ぶというのは、失礼を通り越して「喧嘩売ってるのか?」ってレベルですよね、だって「まったく訂正しない」んですから確信犯なんです。
まあこれは日本と中国とで漢字の読みをどう扱うかの「取り決め」があって、中国では中国読みで全部処理し、日本では日本読みで統一する、という事なんだそうです(面と向かって名前を呼ぶ時は、流石にこんな失礼な事はしないでしょうけどねぇ・・・分かりませんが)。とにかく随分昔に決めたことのようで、もうそろそろ「現代に合うような形」に改訂する時が来てると思います。少なくともお互いに固有の「人名や都市名」については、それぞれの国の呼び方つまり中国の名前は中国読みで日本でも同じ発音にし、日本の名前は日本読みで中国でもそれで統一する、というやり方に変えるべきでしょう(例えば北京は日本でも「ベイジン」と呼び南京は「ナンジン」と呼ぶ、みたいな・・・)。
まあ日本は上手い具合に漢字以外にカタカナやひらがなも使えて、なんならアルファベット表記だって文章の中に入れちゃうことも出来る「フレキシブル」な言語体系だから問題は無いですが、果たして簡体字だけを頑なに守っている中国語は、果たしてどうやって発音を「外国風に表記する」のでしょうか。例えばドナルド・トランプなんかどうしてるかというと、新聞などで正式に文字にする場合は「無理やり発音が似てる文字」に置き換え、モロ当て字で書いてるそうなんです。大変です。まあ、文字だけ使って「発音を勝手に変えられる」よりはマシだとは思うんですけど、それにしてもねぇ。
で、中国はまあ他人の国だから勝手にすればいいとして、日本はもともと漢字は「中国から借りて来て使っている当て字文化」なんですね(ラッキーっ!)。本来は自国の文字を造れば良かったんですが(韓国のように)、ついつい便利だからと言って「そのまま流用」して読み方だけを「ちゃっかり日本語で読んじゃった」と言う訳です(これを和魂洋才と言って、日本人の良くやるパクリの典型でしょう)。その最たるものが一つの文字に読み方が「何十通り」もあるという「奇想天外な言語」が出来上がった、というわけです。無茶苦茶です(オーマイガッ!)。世界で自国の文字に発音の仕方がいくつも存在するなんてことを何の疑問も抱かずに許している国は「日本だけ」じゃないでしょうか?(中国は漢字一つに読み一つで、これが世界標準だと私は思います)。
まあ基本的に日本は「ひらがなの国」なんですよ、小学生みたいですけど(これ、間違いありませんです)。おまけにカタカナは主に「外来語」に使ってるわけですが、これが「全然外国で通じない和製英語の宝庫」になっちゃってて、もうニッチもサッチモ状態になってるわけです(はっきり言います、バカ丸出しです!)。日本語は難しいとかなんとか自慢げに言ってる人が多いようだけど、難しいんじゃなくて「言語としての体をなしていない原住民レベルの出鱈目」というのが正直なところでしょうかね、我ながら悲しくなります。一体我が国の国語教育はどうなってるんでしょうか。いい加減に「まともな言葉」にしようとは思わないんですかねぇ文科省は・・・困ったもんです。
そこでこの問題の根本的な解決策を私が考えました。
① 中国の固有名詞は全部「現地の発音をそのまま使う」(例えば習近平は今後「シージンピン」で統一する
② 文章で書く場合は現地の発音をそのまま「カタカナ表記」し、後ろにカッコで括って「中国の文字」を入れる。例えばシージンピン(習近平)と書く
③ どうしても漢字名でそのまま書きたかったら、その場合は「文章全部を漢字だけにする」こと、つまり中国語で書く
以上です。
なお、今まで日本で使っていたカタカナについては「すべて和製英語」と考えて、もうこれは「純然だる日本語なんだ」という認識で全国民と内外に衆知・統一すること。もし正確な英語表現を文章の中に入れたかったら、英語表記を「そのままアルファベットで書く」ことにする。本来は日本語の文章に英語をそのまま入れることは発音からして無理があるんですが、なるべく現地の人の言葉を正確に伝えたい場合はそれが「英語ですよ」とはっきり分かるように、アルファベット表記をせざるを得ないと思っています。
ちなみに日本では「アルバイトとかマンションとかエネルギーとか」普通に会話して通用していますが、これが外国ではそのままでは通じない「誤った使用方法ないし発音」なんですね。そのことを知らない日本人が余りにも多い、ってのが問題なんです。これらはもう「完全に日本語」と思わないと、外国にいって大恥をかきます。だから「カタカナ語は外来語であって、本当は外国語ではなく日本語なんだ」とハッキリ文科省が全国民に向けて発表すべきです。だからこういう不都合を野放しにし、見て見ぬふりをしている役人は「アホ」だと言われちゃうんですよ、ホンマにもう!
今からでも遅くはないから(例え遅くてもやらないよりマシです)、この日本語と外国語の「言葉の問題」を理解しキチンと向き合って「正しく改めていく」ことしかありません。要は「ハッキリ決める事」です(ハッキリしないのは日本人の悪い癖です)。何でもウヤムヤにするという悪癖をこの際「すっぱりと体から捨て去って」、日本語本来の美しさを「再発見、再構築」しようではありませんか、って話です。文科大臣、分かるかなぁ?
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