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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日々の話題を一撃で解決(8)スシロー事件の最終解決法=子供に分別を教え込む

2023-02-11 18:51:00 | ニュース

今回はスシローブログの総括です。まだ公の結論というか判決は出ていませんが、この事件に対する世間の評価を色々と読んでいくうちに、犯人をどう処置するかという「罰の軽重」だけ考えても駄目だな、と思うようになったわけです。それはこういう事件を起こす側の精神的背景に目を向けないと、本当の解決にはならないと感じたからでした。

最初に思ったのは「犯人の常識の無さ」です。これは誰もが感じたことですが、年齢は高校生なのに善悪の判断は小学生以下だということ。勿論彼は「こういうことをしたらいけない」との認識はあった筈である。それを知った上で、スシロー側の社員や他のお客、それらが属する一般の常識ある社会全体に対して、ちょっとルールを破って見せて自分の力を誇示した、というのが真相ではないだろうか。ちょと悪ぶってふざけて見せたのだ。ただその結果、自分がどのように社会から糾弾されるかについては、全く想像力が及ばなかったのである。彼の頭の中では、仲間から「ヤバいことやるな~!」といった評価と反応を期待したし、自分の悪目立ちする行為がルールに縛られない解放感と大人をあざ笑う爽快感の両方をもたらして高揚感に浸っていた、と想像できる。いわば芸人が「馬鹿なこと」をやって笑いを取るような感覚だろう。世間からすれば「考えつかないようなバカ」をやることで、それを面白がる仲間から拍手を浴びる喜びである。

多分、彼の頭の中では今でも「ちょっとふざけただけ」で、そんなに悪い事したとは思っていないのじゃないだろうか。彼は単純に笑ってほしかったのである。

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これが今回のスシロー事件の真相である。彼は「笑いを取った」と思っていた。多分彼の仲間の何人かは「面白いと思った」のではないだろか。しかし世間の反応は「絶対に許してはならない!見せしめに厳罰に処するべき!」の大合唱だった。彼にはこんな大事になるとは思っても無くて、「大人達の怒り」が想像できなかったのである。或いはSNSにアップしたけど、一般の人の目に触れるとは思わなかった、というのは本当だったのかも知れない。何れにしても仲間内の悪ふざけであり、趣味の悪いイタズラのつもりであったようだ。

昔もこういう悪ガキはいたし、他人の家の窓ガラスを割って囃し立てる子供は、仲間内からはヒーローにも見えたものである。大抵はその家の大人がガミガミ言う「こうるさいオヤジ」で、子供たちから見れば悪人であり「嫌われ者」であった。捕まればこっぴどく怒られて体罰を食らったりする恐怖があるが、それを乗り越えてガラスを破ることが、また仲間には「強さの象徴」にもなって受け入れられたのである。子供というのは大人の世界に対して「戦いを挑んでいく者」を自分達のヒーローと称える習性がある。多分、生物学的・理論的には「怖いものへの挑戦」ではないかと思われる。言わば「暴力が唯一絶対の世界」への適合であり、人間が「動物である」ことの名残でもある。

殆どの子供は徐々にその世界から抜け出して、社会に認められる能力を身に付けるように成長する。それが出来ない者は一部は反社会的勢力になり、一部は犯罪者になって一生を終えるわけだ。生まれて来る人間の中には、社会に適合できない性格のものが一定数は存在する。この不適合は、自然の「多様性」の一種なのだ。それが人類を発展進化させて来たのは事実である。今回の事件の犯人は果たして「適合不適合」どちらの道を歩んでいくのか?。年齢を考えれば「少し成長が遅れている」か、またはちょっと反社会的な方に片足を突っ込んでいるようにも思える。その意味では、「まだ子供なんだから許してやれよ」という意見も、分からないでもない。

私が今回のスシローの一件で改めて感じたのは、「常識」というものが余りにも欠けている、という驚きである。普通の子は周りの大人の行動を見て、「自然に」常識が身に付くものである。だがごく少数の子供は、自然に任せていては「いつまでも常識を身に付けられない」まま年を取る。これを解決するには、知識を教え込むしかないであろう。

それは、次の方法で行うしかないと思う。

1、社会適合免許の発行

先ず小学生の授業で「やって良い事とやっちゃいけない事」をはっきり覚えさせよう、ということ。勿論こんなことは、「各家庭で覚えさせる」のが当然なのだが、世の中そういう単純な話では片付けられないくらいに乱れているのが現状だ。これを正常に戻すためには、今いる人間を「再教育して正しい道に引き戻す」のでは、膨大なお金も時間も忍耐も必要になるんじゃないだろうか。だから、そういう大変な事はサッサと諦めてこれから大きくなる子供を対象に教育し、「真っ当な大人に育てる」事に集中する方が効果的で効率が良い。

それには小学校から運転免許を取る要領でカリキュラムを構成し、「実技と学習」の両面から徹底的に教え込むのが一番である。なおこれは、学校の授業で扱う「知識の習得」とは別のものとして、学年にこだわらず「覚えた順に卒業する」システムが良い。そしてこれは内容によって何段階かに別け、それぞれ卒業すると「免許証」が与えられ、「マイナンバー」に記録されるというのがミソだ(子供もマイナンバーカードを持つ)。要は、その人の現在の「社会常識の度合い」を表す数字または記号を「社会的な一般常識の得点評価」として活用する作戦である。

例えば私は「社会適合免許3級」で違反切符が現在4/25点です、といった具合に使う。

この免許証を「すべての国民」に一律に付与し、必要な場合は常に「参照できる」ように携帯するのが正しい。勿論、入社試験でもマイナンバーと社会適合免許何級かは「必須事項」である。更に言うと、各項目の実績が優良な人は「税金優遇措置」が与えられるなどの特典があると、モチベーションがアップして効果が高い。まあ人によってはこのシステムはいい大人を捕まえて、マナー違反を摘発するような感じがして「監視社会だ!」と憤る向きもあるかと思う。しかし人は見かけによらないもの。日常生活の中でも理不尽なマナー違反に憤慨している人は多いと聞く。だから一度試しに採用して「効果」を確かめてみるのは悪くはないとは思う。勿論、私は「ゴールド免許」を取る自信はあるけど。

とにかく、この「社会適合免許」の実際を少し書いてみよう。

2、犯罪シミレーション
やっていい事とやって悪い事を区別する、というのは全ての「常識の基本」である。それを毎日1時間ずつ、良い事と悪い事の両方を一つずつ再現フィルムみたいな映像にして生徒に見せ、何処が良いのか何処が何故いけないか、などと生徒間で意見を戦わせるのである。良い悪いの答えを覚えるのではなく、どうしてとか何故という「価値判断の基準」をそれぞれ自分の頭で考えることが授業の骨子である。

生徒はなぜ悪いのかを知った上で、それを破った場合に結果がどうなるかを「刑罰の実際」という別フィルムで知る、という仕組みである。今回のスシロー事件のようなタイムリーな映像も随時取り入れて、犯人の少年がどういう罰を受けたかを知ることがこの「授業の一番の眼目」である。犯罪を思い止まらせる方法は「捕まったらこうなる」というのを見せて「損得勘定に訴える」のが良い。勿論、犯罪を引き起こす感情自体に嫌悪感を覚えさせることも大事だが、子供というのは「権威に逆らう」ように出来ているものである。それを大人に成長するまでの間、犯罪に手を染めることから何としても遠ざけて、「正しく育てていくこと」が大人の役割だと言える。

このような「犯罪シミュレーション動画」を学校で生徒に見せることにより、子供の狭い範囲の知識を「社会の常識レベルにアップ」していくことが急務だと思う。彼らは未熟なので大人社会では一人前としては自由な行動が許されなく、基本的には大人になるまでは「保護者同伴が必要」だ。これが社会適合免許、いわゆる「常識免許」を携行するよう義務付ける理由である。例えば今後スシローなどの飲食店では「入店時にこの免許証を提示する」ことが必要になる、というのはどうだろう?

色々防止策は考えれば有るだろうが、何よりも「未熟な子供」は年齢に関わらず「社会で監視する」というのが双方にとっても正しいんじゃないかと思う。結局、常識がない人間は、最後には排除するしか無い。そうならないように守るのも大人の役目である。

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スシロー事件の少年への罰は、結論としては本人が事の重大さに驚き、親共々反省し陳謝している場合は罰則を以下の様にして、更生を図るというのが適切である。 

刑罰罰としては、器物損壊罪と威力業務妨害罪など。民事罰は① 店側の直接物的被害=器物の清掃や入替え、新しい監視カメラなどの設置や人員の追加、など管理諸費用。② 派生的人的被害=他のお客様が受けた、または受ける可能性があった精神的・医学的な被害の賠償金。③ この事実が知られたことによる企業の価値の損失の補填或いは業界イメージの低下などの損害賠償金、等が考えられる。

スシローの場合は被害が全国に広がってるので、その金額は相当なものになる可能性が高い。裁判ではそれらを一つ一つ「何円」と計算し、積み上げて「幾らになるか」を明らかにすべきである。もしかしたら何千万何億になるかも知れない。しかし賠償金は相手が子供だからといって斟酌せずに、計算結果は厳粛に受け止めるべきだろう。例えば仮に賠償金額が「100億」になったとしよう。それはそれでこの犯罪の損害を「金額化」したものであるから、犯人には支払う責任があると言える。

ただ、実際に支払うのは色々な要件を勘案して「より現実的な何十万」かに抑え、その代わり本人の反省の状態を確かめるために「社会貢献活動 ○ヶ月」を課す、ということにしてはどうだろうか。私の提案はスシローで「マナー推進活動を一定期間行う」というものてある(以前のブログを参照)。昔は重大な罪を犯したものは頭を丸めて坊主になり、社会の「欲望と無縁の世界」に身をおいて、残りの人生をかけて罪を償う、というやり方があった。今回の犯人も社会貢献活動を一生懸命にやることで、その期間は賠償金の支払いを一時停止するという判断である。もしくは更生の結果真人間になったと裁判所が認めれば「全額を免除」という場合もありえる。これこそ、罪を犯した人間が唯一「更生するチャンス」でもある。

やはり罪は償わなければならない。それには「良い事をし続け」て反省を世間に示すことが一番なのでは。もしこの犯人がスシローで「マナー推進」をすれば物珍しさで客が集まるのは間違いない。その観衆の奇異の目やヤジ・罵声に耐え、ひたすら己の犯したイタズラの結果をじっと我慢し続けることが出来れば、いつかは人々もこの犯人の悔い改めた心を認めてくれ、温かく「再出発への拍手」を送るのではないだろうか。世間はそれ程邪険じゃない。もうちょっと人々の温かみを信じてもいいと私は思う。

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以前、五木寛之が「親鸞」について語っていた事があって、「善人往生す、いわんや悪人をや」という悪人正機説について、こう語っていたのを思い出した。

この親鸞の説は悪人だったものが改心しその罪を悔い改めた者は、善人よりもさきに「真っ先に救われる」というもの。普通は何で悪事をしたものが善人より先に救われるのか?と訝しがるのが理屈だが、親鸞がいうには、悪人は自ら悪いことをしてしまったことで悪事の諸相を知り尽くしており、それが「改心して」悪事を憎むようになった結果、この世から悪事を無くすためにその対処法を身をもって実行し、善人たる一般人を犯罪から救おうと努力しているのだ、と説いた(私の解釈です)。

つまり善人は悪事の事を余り詳しくは知らないが、悪人で改心した者は悪事を良く知っており、まるで「医者が病気を治す」ように悪事を防ぐ、というわけだ。病気を治してくれる医者が尊敬されるように、「元悪人も尊敬されるべき」という理屈である。

というわけで、この犯人への賠償金はちゃんと数字を示し、賠償金は賠償金として、刑自体は「マナー推進」に励むということで一件落着がいいのでは。

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しかし悪者を一方的に叩くだけでは、人々はどんどん萎縮するだけである。むしろ「どのような人が偉いのか」を教えることが、悪いことをする人間を一番減らすことになる。それは分かりやすく言うと「社会に貢献してる人」が一番偉いのではないだろうか。

誰もやりたがらない仕事、でも皆んなが楽しく不自由なく暮らして行くためにはどうしても必要な仕事、そういう仕事に従事している人の評価をもっとあげていくことが社会の基準の適正化につながるのでは?。コロナ禍で「エッセンシャルワーカーの重要性」が増したように、これから色々な仕事の「評価」が変わって行っても良いように私は思う。自分の生活を守ってくれている社会。そんな社会を私達は継続させたいと願っている筈であるから、その社会を支える需要な仕事に対しては、もっと給料を払うべきだと言える。

そして我々が目指すべ理想の人間は、昔ながらの「徳のある人」である。一般に徳目と言えば、いわゆる「仁義礼智信忠孝悌」とあるがこれを全部身に付けるのは至難の技である。普通の人はこのうち一つでも実行出来たら御の字ではないだろうか。今の社会では能力があって金がある人は、わざわざ問題を起こす必要もないから、そのまま社会で成功してゆく。また、普通の生活ができればそれでいいという多くの人は、これまた問題なく暮らしていく。国民の大多数は犯罪とは無縁である。ただこういう人生がどうにも不満で、楽してお金を手にしたいとか、何かしら目立つことをして「人から凄いねぇ」と言われたい一部の「落ちこぼれ」などが色々と問題を起こすのである。これはもうDNAがそうだとしか言えないのではないか?。

そこで小学校でも犯罪の映像と同じく「良い人間の映像」も生徒に見せ、良い人間が周りの人から褒められるシーンを皆で議論し、良い行動の「具体例」を覚えるようにプログラムするのである。飴とムチを上手に使っていくことで、大多数の子供の頭にしっかりと「善悪の分別」を植え付ける。これがスシロー事件のような未熟な人間を「犯罪から守っていく唯一の方策」である。以上。

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最後に、SNSの犯罪利用が目立ってきている現状については、ネットは匿名でなく「全て実名」で発信する、に仕様変更すること。マイナンバーで「本人証明」が可能であるから、ネットを見る場合は必ずマイナンバーで自分であることを認証してから接続することにする。そうすれば段々と無思慮な発言や悪事の勧誘など「ネットを悪用する犯罪」は減っていくだろう。

これからはSNSは「実名で使う」のが正解だ!



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