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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

私の引っ越し履歴(6)狛江の慈恵医大付属病院 ① 脳梗塞の前兆

2021-12-27 20:33:32 | 歴史・旅行

その前の年、私の健康にもようやく陰りが見え始め、生来の高血圧もいよいよ危険水域に入っていた。その当時、私の血圧は160をとっくに超えていて、会社の定期健康診断では毎回医者から高血圧を注意されていた。それでも私は先生から注意される度に、いつも「じゃあ、どうすればいいの?」とイラッと不貞腐れるだけで、何か特別に対策を取るまでには至らなかった。事実、特別日常生活で「味噌汁やラーメン」など、塩気の多い食事は取ってなかったので、自分のは「本態性高血圧」だろうと勝手に判断し、遺伝的なものと半ば諦めていたのである。

それがこの年、いよいよもって何とかしないといけないレベルに達してしまった。肝機能とか中性脂肪とか糖尿とか、その他の重大な疾患の徴候は全く無く、概ね健康そのものの状態だったがただ一つ、「脂質代謝異常症」との診断は以前から出ていて気になっていた。高血圧と脂質代謝異常症、それにタバコ!。今思えば「脳血管障害まっしぐら」で、いわゆる死の四重奏に近かったのである。巡回の先生もボソボソと血圧についての注意を言っていたように思うが自分では「タバコはそろそろ止めようか」ぐらいに考えていて、それほど危機感は感じていなかった。傍目には聞き流しているように聴こえたかも知れない。

そうこうしていた夏頃、自宅で夜食を食べている時に「唇の裏」を思いっきり噛んでしまって、口の中にザックリ大きな傷を作ってしまったことがあった。そのせいでそれから暫くの間、「言葉が思うように喋れない」状態が1週間ほど続き、会話に困ると言うほどではないが、社内でも「あれっ?、どうしたの?」という反応が出るようになっていた。自分でも「口の中を噛んじゃって」と言い訳していたが、ちょっと発音が思うようにいかない原因は、口を噛んだせいだと思っていたのである。専門的にはどうだか分からないが、実は「脳梗塞の最初の前兆」だったのではないかと今では思っている。そのころには血圧も更に高くなって、たまに190を超える数値がでるようになっていた。

この頃には私も、色々と民間療法などを試そうとして本を読んだりストレッチをしたり食事を変えたりして、たまに血圧が下がったりした時もあったのだが、ある時「歩くと良い」というので最寄り駅より2つ程手前の駅で降り、散歩がてら家まで歩いたことがあった。夜8時頃だったが何故かその時は大切なメガネを忘れてしまい、真っ暗闇の中をまるで夢遊病者のようにフラフラしながら必死で家まで帰った記憶がある。この時も相当血圧が高く「ボーッとして」歩いていたので、私の身体は既に危険な状況だったのだろう。ただ私は「困ったな」という程度で日々を過ごしていた。私は小学校3年の時、大病をして半年ほど入院したことがあるが、どこか痛いという記憶は全く無く、自分では健康優良児と思っていた。事実、会社の健康保険は10年間一度も使わないで過ごしたので、社内で唯一表彰されたぐらいである。

そんな時に10月末、会社で健康診断があり、結果はまたしても思った通りに「高血圧」と出た。この時点で私の高血圧は「制御不能」だったのだ。仕方なく新宿のクリニックへ再検査に行って、後日検査結果が届いて読んでみると血圧が「201」で高血圧と書いてあったが、私はもう驚かなかった。既に高血圧は医者にかかるレベルと分かっていたのである。しかしそれ以外に、「胆嚢ポリープとPSAタンデムが異常」と書いてあるではないか。全く、何だかなぁ〜。長年の高血圧だけじゃなく、ガンの可能性も出てきたのだ!

まあそんなこんなで、意を決して調布駅前の大きな病院を受診したところ、結構親切な女医さんだったが、血圧を測ってもらったらやっぱり「200オーバー」と高かった。先生も慣れたもので全く慌てる素振りもなく、「ちょっと様子をみよう」となって早速アムロジビンを処方してもらい、駅前の薬局で薬を購入。「その日から毎朝1錠ずつ」飲むようにした。なんだか人生のツケが一気に来た感じである。

今ちょっと試しに、当時の日記を検索してみると、なんと2011年から血圧に関する記事が目白押しに出てくる。因みに私はスマホの「100年日記」というアプリを愛用しているが、これは同じ日付を「1頁にまとめて100年間」書けるもので、日記アプリの中では超スグレモノだと評価している無料アプリだ。それによると、2011年の5月13日に、血圧「190」が出た、とある。随分前から症状は出ていたのだ(日記に書いているので気付かなかった訳ではないが、記憶から消えていたのである)。それで肝心の2014年の記事を読むと、どうも「ふらつく」とか体調が「おかしい」とか、結構な頻度で身体に異常が現れている。11月1日に薬をもらって飲んでいるのに、2日に測ってみるとまたまた「200オーバー」が出た、と不満げに書いている。「なんだよ!」と少しむくれて文句を言っているが、当然薬を飲んでもすぐには効かない。しばらく飲み続けて7日に測ってみたら、何と「145」という低い数値が出たのだ!(これでも一般的な血圧からみれば、とんでもなく高いのだが)。これには「飛び上がるくらい」嬉しかったようである。症状は小康状態だったようだ。

その後も10日に「139」と絶好調の値が出ている。血圧が何とか下がったので、ルンルンで17日に山梨県大月のゴルフ場に行った。楽しくラウンドして風呂に入り、出てから血圧を測ったら正常値だった、と日記には書いてある。自分なりには、結構気にしているのだ。その日は皆んなでワイワイ騒ぎながら、帰りに大月駅前で居酒屋に入った。ところが確かチューハイを2杯飲んだかどうか、知らない内に「眠っていた」みたいなのだ。私はそんな風に飲み屋で寝てしまうなどということは一度もしたことのない人間なのだが、この時既に「異変が起きていた」と気がつくべきだったのかも知れない。仲間に起こされて電車で大月から高雄まで行き、帰り道が一緒のH氏と京王線で帰ることにしたが、途中では殆ど「会話せず」にいたと思う。この時私は「上手く喋れない」ことに気付いていた。「言葉が出ない」のである。これは今思えば「明らかに脳梗塞の症状」なのだ!。何故この時に素早く病院に行かなかったのか。だが当時、私は脳梗塞が「どういう症状」を伴う病気なのか、殆ど全く知らなかった。

実は私の会社ではそれまでに2人も脳梗塞になった人が出て、その後の後遺症に苦しんでいる事例を他人事ながら知ってはいた。せっかく身近に脳梗塞の発症例があったにも関わらず、その時は「自分の高血圧と結びつけ」て考えることが出来なかったのである。私の部下でもあったY氏が倒れたのは、確か2009年頃だった。その頃私は血圧もそれほど高くなく、まさか自分が同じ脳梗塞でリハビリに苦労するとは思ってもいなかった頃である。だから「言葉が出ない」という紛れもない徴候が出ていても、「何か変だな」位にしか思っていなかった(皆さんは信じないと思うが、事実である)。高尾の駅で京王線に乗り換えようとした時、ちょっとトイレに寄ってからホームに上がってH氏と合流した時、偶然にも言葉が普通に喋れるようになっていて、私は「治ったみたい!」と喜んでいたのを覚えている。

脳梗塞の症状は、奇跡的に回復し、表面的には一時的に治ったように見えていた。それでH氏と楽しく会話して調布で別れた後、駅前のイトーヨーカドーで買い物をし、家に帰ってから「相棒」を見たりして、11時頃だと思うが布団に入った。実はこの時が「脳梗塞」になった瞬間だったのだが、私自身はそんな異変が体に起きているなんて「微塵も」疑ってはいなかったのである。私の運命は、大きな転回点に差し掛かっていた。

(続く)

 

(参考)私の引越し履歴一覧(★マークは過去記事有り)
(1)水戸=酒門ー元吉田町
(2)大分★
(3)世田谷赤堤★
(4)巣鴨★
(5)市ヶ谷富久町
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(9)金町★
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