7インフルエンザ発症体験記
いつものように花粉の症状が出て目が痒く鼻がムズムズして、何となく「行きたくないな〜」と思いながら柏駅に向かったら、電車が遅れて混んでいたので立って通勤、久し振りに疲れた。会社は少し仕事したが人が少なくて後半はダベって過ごし、6時に退出。家に帰って夕食に小松菜の炒めものと「ちくわぶ(私の大好物)」に最近お気に入りのカカオを足して完食。10時頃になってコンビニに行こうと外に出たら、妙に足首の辺りがぞくぞくっとして寒気を感じ、変だな?と思いながら買い物を済ませたが、帰り道で体全体に震えが来てしまい重症。家に帰ってエアコンを25度にあげ、股引と厚手の上着を来て体を温めたが「どんどん悪化」して、右手も動かなくなりガタガタ震えが止まらなくなってしまった。熱も出てきて以前使っていた体温計(4年前)を整理ボックスから引っ張り出してきて計ってみたらなんと「39度5分」もあ〜るじゃありませんか!。これはいかんと思っているうちに更に悪化してもう「死ぬ!死ぬ!」状態。焦って血圧を計ったら138ー85である、「やばい!やばい!」。どうしようもなくて布団に電気毛布のスイッチを入れ、前に買っておいた「熱ピタッ止シート」をおでこに張り、服を着たままドッと寝込んで何とか鎮まるのを期待したが、心臓の音が「今まで聞いたこともないくらい速くて」全然寝られない。このまま体力を奪われて大原麗子状態になるのでは?と一瞬不安が頭をよぎったので、フラフラしながら起き出して「スマホ充電器2つとお薬手帳」を準備、万一入院なんてときのために備えてもう一度布団に入った。1時間毎に起きてトイレに行くが、全然寝れない。すったもんだ起きたり寝返りを繰り返したりしているうちに、それでもいつしか寝込んでしまったようで、明け方6時頃目が覚めた時には、「不思議なことに熱が下がり、気持ちが落ち着いて」治ってきているな、と実感できた。なんか、インフルエンザも言うほど暴れてるわけじゃなくて「チョロいじゃん!」と気分爽快、全快宣言も飛び出して窓を開け、晴れやかな青空を見上げて「己の免疫力」に感謝安堵した。日頃、食べ物に注意して生活していた効果が、ようやくここに来て出てきたようである。私の免疫力、最強!
8高野連の新潟球数制限は想像力を膨らまして解決すべし
球数制限というのは、スポーツ医学の見地から出た「ケガ防止」を目的としている。怪我を防止することはそれなりに尊重すべきではあるが、当然個人差があり100球が過剰かどうかも含めて、もっと広範囲なデータを集めて結論を出すべきじゃなかろうか。球数制限をすればどんな選手でも一律に交代しなければならなくなり、打者がファウルで粘れば戦術として交代させられることにもなり、単なる球数だけの問題ではなくなってくる。個人差があるということは同じ100球を投げてもA選手は大丈夫で、B選手はケガするということが起きるから一概に「何球」と決めていいものか。また、速球投手と変化球投手とでは、肘への負担が違うのは当たり前だろう。現実的には、投げすぎて危険な状況の選手は休ませる、というのが当然なのだが試合になるとどうしても勝ちたいから、「その投手を信頼しているナインの気持ちを考えると無理をして投げてしまう」ということが起きる。しかも投手本人が投げたいと言っている時に交代させるというのは難しいかも知れない。何より「調子がいい」のだから大丈夫と言えないのが肘の怪我である。実際に「違和感を感じて病院で検査する」というのは、相当病状が進んだ状態とも言える。つまり、怪我するまで本人は大丈夫と思い込んでいた、ということだから予防といっても大変難しいのである。それが組織としてきちんとしたトレーナーに体のケアを任せているプロ選手ならいざ知らず、世代的に根性論で育った鬼監督・コーチの下で必死に努力することしか教えてもらっていない高校生であればなおさら危険だし、知らないうちに限界を超えて投げてしまうのは無理もない。オマケにこれを助長しているのが「日本人特有の精神論」である。エースとしてチームを背負い一人で何試合も投げ続けるということは、弱小高校では良くあることである。その投手は高校のヒーローとなりチームのナインからも信頼され、皆の期待を一身に纏ってマウンドに上がるのだ。それを100球投げたぐらいで交代させなきゃならないというのは、気持ち的には余りに可哀想な気もする。「孤立無援の不利な状況を、たった一人、人間離れした根性でひっくり返す快挙」を成し遂げる、というのは選手の理想でもある。これは間違いなくスポーツ紙で取り上げられ、全国的にも「感動」が巻き起こって、選手はスターのような気分であろう。いや、むしろ「そのような感動ドラマ」を味わうために高校野球を見る、と言うファンが大勢いるというのが今の高校野球の現実である。だから40度にもなる真夏の甲子園での試合をやめて冷房の効いた後楽園ドームでやればいいのにと私なんか思うのだが、毎年一向にやめる気配がない。困難な状況であればあるほど感動が倍増する仕組みの原点が、「日本人のメンタリティ」と私は考えている。それは古くは義経の鵯越や信長の桶狭間に始まり、第二次世界大戦の特攻に受け継がれた「不屈の精神」である。つまり「日本人の大和魂」が人々に喜ばれるからに他ならない。日本人は投げ過ぎなのだろうか?。アメリカに渡って大リーグに挑戦する日本人投手は数多くいるが、松坂・田中・ダルビッシュ・大谷翔平ら、超一流投手が相次いで肘のケガでダウンしているのを考えると、何か「ハッキリした原因がある」と思わざるを得ない。つまり日本で投げているピッチャーがアメリカの球数制限の大リーグに行くと「コロコロ怪我している」事実は、怪我の原因に「球数以外の要因」があるということを明確に示しているのだ。ネットによると「速球投手は球が遅い投手より怪我をしやすい」とある。また投球フォームによる影響も指摘されている。アメリカのマウンドは高低差が日本より大きく、より肘に負担がかかるのだそうだ。また日米のボールの違いもあり、アメリカは滑りやすい革質で肘に悪いという。要するに、総合的な判断が求められていて、単に球数制限をすれば解決するというものではない、というのが結論である。今のピッチャーは子供の頃から既に「肘が疲労していて」、日本の投げ込み練習とか特訓とかに代表される「限界を突破する精神力を養う」ことが筋肉や腱の疲労に拍車をかけているとも言える。つまり高校野球から球数制限をするのではなく、もっと子供の時から「正しいフォーム・肘に負担が少ない投球術」を教えていき、日常的に怪我しやすい部位のチェック・MRI検査などをしてゆくことが、怪我の防止に役立つと考えられるのだ。高野連は審議するなら「怪我防止のためのスポーツ医学の導入」を真剣に考え、改善点に取り入れることだ。単に強豪校が余計強くなってしまうなんて政治的な駆け引きから待ったをかけているのだとしたら、高野連は即刻解散すべきである。そもそもアマチュアの祭典であるはずの高校野球に、プロ野球へのアピールの場を持ち込んだのは高野連の最大の過ちである。高校生といえば人生目標に野球選手になる、と夢を描く子供は多い。ならば高校野球を「プロ選手育成の場」と「アマチュア野球」とに区別し、アマチュア野球を選んだ選手は「プロにはなれない」前提で、青春を燃やし尽くす、というのはどうだろう。こうすれば話がスッキリして楽しめることは請け合いだと思う。なお、私はスポーツを「生きる目標」にするのには賛成しない。スポーツが好きで才能があり、世界の舞台で活躍できる力があるとしても、である。スポーツはあくまで「自分のためにするもの」、それを人生の目標にしたら「生きる意味を見失ってしまい」かねない。自分の欲望を満たすためにだけに生きるのは、人間という動物には向いてないのだ。人間は「他者のために生きる」ことを宿命づけられている稀有の動物である。だからスポーツは人生の一時期に力いっぱい努力してやるものではあるが、その時期は案外短い。もっと大事なことが「人生にはある」のである。そのためにも、怪我してまでスポーツをやるのは本末転倒だと言いたい。スポーツはあくまで「楽しみ」としてやるもの。人生の本義は別にある、そう思いませんか?
PS:インフルエンザのその後
病院で検査したらインフルエンザじゃなくてCRP異常値と出た。「得体の知れない細菌感染による炎症」と医者は言うのだが、それって何なの?。ふざけるんじゃないよ!、何だかわからないって、ただ不安を煽るだけじゃないか!。と、プンプンしながら薬を貰って家に帰ってネットを検索、結局CRPってのは「何でもあり」の検査結果みたいだ。原因はわからない。悩んでいてもしょうがないので、明日、柏の大病院に行って見てもらうことにするつもり。やっぱ検査は「何が原因か」まで調べないと意味がないと思うんだけど、医者も薬局も全然関心がないみたいだ。何か間違ってるぞ、日本の医療!
いつものように花粉の症状が出て目が痒く鼻がムズムズして、何となく「行きたくないな〜」と思いながら柏駅に向かったら、電車が遅れて混んでいたので立って通勤、久し振りに疲れた。会社は少し仕事したが人が少なくて後半はダベって過ごし、6時に退出。家に帰って夕食に小松菜の炒めものと「ちくわぶ(私の大好物)」に最近お気に入りのカカオを足して完食。10時頃になってコンビニに行こうと外に出たら、妙に足首の辺りがぞくぞくっとして寒気を感じ、変だな?と思いながら買い物を済ませたが、帰り道で体全体に震えが来てしまい重症。家に帰ってエアコンを25度にあげ、股引と厚手の上着を来て体を温めたが「どんどん悪化」して、右手も動かなくなりガタガタ震えが止まらなくなってしまった。熱も出てきて以前使っていた体温計(4年前)を整理ボックスから引っ張り出してきて計ってみたらなんと「39度5分」もあ〜るじゃありませんか!。これはいかんと思っているうちに更に悪化してもう「死ぬ!死ぬ!」状態。焦って血圧を計ったら138ー85である、「やばい!やばい!」。どうしようもなくて布団に電気毛布のスイッチを入れ、前に買っておいた「熱ピタッ止シート」をおでこに張り、服を着たままドッと寝込んで何とか鎮まるのを期待したが、心臓の音が「今まで聞いたこともないくらい速くて」全然寝られない。このまま体力を奪われて大原麗子状態になるのでは?と一瞬不安が頭をよぎったので、フラフラしながら起き出して「スマホ充電器2つとお薬手帳」を準備、万一入院なんてときのために備えてもう一度布団に入った。1時間毎に起きてトイレに行くが、全然寝れない。すったもんだ起きたり寝返りを繰り返したりしているうちに、それでもいつしか寝込んでしまったようで、明け方6時頃目が覚めた時には、「不思議なことに熱が下がり、気持ちが落ち着いて」治ってきているな、と実感できた。なんか、インフルエンザも言うほど暴れてるわけじゃなくて「チョロいじゃん!」と気分爽快、全快宣言も飛び出して窓を開け、晴れやかな青空を見上げて「己の免疫力」に感謝安堵した。日頃、食べ物に注意して生活していた効果が、ようやくここに来て出てきたようである。私の免疫力、最強!
8高野連の新潟球数制限は想像力を膨らまして解決すべし
球数制限というのは、スポーツ医学の見地から出た「ケガ防止」を目的としている。怪我を防止することはそれなりに尊重すべきではあるが、当然個人差があり100球が過剰かどうかも含めて、もっと広範囲なデータを集めて結論を出すべきじゃなかろうか。球数制限をすればどんな選手でも一律に交代しなければならなくなり、打者がファウルで粘れば戦術として交代させられることにもなり、単なる球数だけの問題ではなくなってくる。個人差があるということは同じ100球を投げてもA選手は大丈夫で、B選手はケガするということが起きるから一概に「何球」と決めていいものか。また、速球投手と変化球投手とでは、肘への負担が違うのは当たり前だろう。現実的には、投げすぎて危険な状況の選手は休ませる、というのが当然なのだが試合になるとどうしても勝ちたいから、「その投手を信頼しているナインの気持ちを考えると無理をして投げてしまう」ということが起きる。しかも投手本人が投げたいと言っている時に交代させるというのは難しいかも知れない。何より「調子がいい」のだから大丈夫と言えないのが肘の怪我である。実際に「違和感を感じて病院で検査する」というのは、相当病状が進んだ状態とも言える。つまり、怪我するまで本人は大丈夫と思い込んでいた、ということだから予防といっても大変難しいのである。それが組織としてきちんとしたトレーナーに体のケアを任せているプロ選手ならいざ知らず、世代的に根性論で育った鬼監督・コーチの下で必死に努力することしか教えてもらっていない高校生であればなおさら危険だし、知らないうちに限界を超えて投げてしまうのは無理もない。オマケにこれを助長しているのが「日本人特有の精神論」である。エースとしてチームを背負い一人で何試合も投げ続けるということは、弱小高校では良くあることである。その投手は高校のヒーローとなりチームのナインからも信頼され、皆の期待を一身に纏ってマウンドに上がるのだ。それを100球投げたぐらいで交代させなきゃならないというのは、気持ち的には余りに可哀想な気もする。「孤立無援の不利な状況を、たった一人、人間離れした根性でひっくり返す快挙」を成し遂げる、というのは選手の理想でもある。これは間違いなくスポーツ紙で取り上げられ、全国的にも「感動」が巻き起こって、選手はスターのような気分であろう。いや、むしろ「そのような感動ドラマ」を味わうために高校野球を見る、と言うファンが大勢いるというのが今の高校野球の現実である。だから40度にもなる真夏の甲子園での試合をやめて冷房の効いた後楽園ドームでやればいいのにと私なんか思うのだが、毎年一向にやめる気配がない。困難な状況であればあるほど感動が倍増する仕組みの原点が、「日本人のメンタリティ」と私は考えている。それは古くは義経の鵯越や信長の桶狭間に始まり、第二次世界大戦の特攻に受け継がれた「不屈の精神」である。つまり「日本人の大和魂」が人々に喜ばれるからに他ならない。日本人は投げ過ぎなのだろうか?。アメリカに渡って大リーグに挑戦する日本人投手は数多くいるが、松坂・田中・ダルビッシュ・大谷翔平ら、超一流投手が相次いで肘のケガでダウンしているのを考えると、何か「ハッキリした原因がある」と思わざるを得ない。つまり日本で投げているピッチャーがアメリカの球数制限の大リーグに行くと「コロコロ怪我している」事実は、怪我の原因に「球数以外の要因」があるということを明確に示しているのだ。ネットによると「速球投手は球が遅い投手より怪我をしやすい」とある。また投球フォームによる影響も指摘されている。アメリカのマウンドは高低差が日本より大きく、より肘に負担がかかるのだそうだ。また日米のボールの違いもあり、アメリカは滑りやすい革質で肘に悪いという。要するに、総合的な判断が求められていて、単に球数制限をすれば解決するというものではない、というのが結論である。今のピッチャーは子供の頃から既に「肘が疲労していて」、日本の投げ込み練習とか特訓とかに代表される「限界を突破する精神力を養う」ことが筋肉や腱の疲労に拍車をかけているとも言える。つまり高校野球から球数制限をするのではなく、もっと子供の時から「正しいフォーム・肘に負担が少ない投球術」を教えていき、日常的に怪我しやすい部位のチェック・MRI検査などをしてゆくことが、怪我の防止に役立つと考えられるのだ。高野連は審議するなら「怪我防止のためのスポーツ医学の導入」を真剣に考え、改善点に取り入れることだ。単に強豪校が余計強くなってしまうなんて政治的な駆け引きから待ったをかけているのだとしたら、高野連は即刻解散すべきである。そもそもアマチュアの祭典であるはずの高校野球に、プロ野球へのアピールの場を持ち込んだのは高野連の最大の過ちである。高校生といえば人生目標に野球選手になる、と夢を描く子供は多い。ならば高校野球を「プロ選手育成の場」と「アマチュア野球」とに区別し、アマチュア野球を選んだ選手は「プロにはなれない」前提で、青春を燃やし尽くす、というのはどうだろう。こうすれば話がスッキリして楽しめることは請け合いだと思う。なお、私はスポーツを「生きる目標」にするのには賛成しない。スポーツが好きで才能があり、世界の舞台で活躍できる力があるとしても、である。スポーツはあくまで「自分のためにするもの」、それを人生の目標にしたら「生きる意味を見失ってしまい」かねない。自分の欲望を満たすためにだけに生きるのは、人間という動物には向いてないのだ。人間は「他者のために生きる」ことを宿命づけられている稀有の動物である。だからスポーツは人生の一時期に力いっぱい努力してやるものではあるが、その時期は案外短い。もっと大事なことが「人生にはある」のである。そのためにも、怪我してまでスポーツをやるのは本末転倒だと言いたい。スポーツはあくまで「楽しみ」としてやるもの。人生の本義は別にある、そう思いませんか?
PS:インフルエンザのその後
病院で検査したらインフルエンザじゃなくてCRP異常値と出た。「得体の知れない細菌感染による炎症」と医者は言うのだが、それって何なの?。ふざけるんじゃないよ!、何だかわからないって、ただ不安を煽るだけじゃないか!。と、プンプンしながら薬を貰って家に帰ってネットを検索、結局CRPってのは「何でもあり」の検査結果みたいだ。原因はわからない。悩んでいてもしょうがないので、明日、柏の大病院に行って見てもらうことにするつもり。やっぱ検査は「何が原因か」まで調べないと意味がないと思うんだけど、医者も薬局も全然関心がないみたいだ。何か間違ってるぞ、日本の医療!
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