明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

議論できない日本人

2018-12-16 20:43:23 | ニュース
今日の SMARTNEWS で、仕事中にマジギレする人が増えている、という文章を見つけた。その中に、昔の日本企業は人材が均質で、育った環境や学歴などが比較的似ている社員が同じ職場に集まっていた、という認識がある。つまり、現在は違った国や環境・文化で生まれ育ち、異なる価値観を持った人々が同じ組織に在籍することが普通になっている、と続く。ここまでは良い。だがその後に、「そのため、議論をしても噛み合わず、云々」と書いてあって驚いた!。記事は ITMedeia の濱口翔太郎という人が書いているが、議論というのは「異なった意見を精査して、共通理解に到達する」ために行う思考方法ではないのだろうか。記事の内容はもっともな事を書いているので、この人自体は問題ない。私が食いついたのは「議論の意味」である。議論が単に思考の選択に終わるのであれば、それは議論ではなく「好き嫌い」になってしまう。議論とはお互いの論理を理解することから始まって、その上で両方の考えを「もう一段上のレベルで統合・解決する」ことを言うのである。例えば

1 Aさんが「僕はインドカレーが好きだ」という
2 Bさんが「私はキスの天ぷらが好き」という

このままでは意見は平行線だ。

3 そこで「インドカレーのどういった所が好きか」と「キスの天ぷらのどういった所が好きか」をお互いに理解して、その両方の歩み寄りの結果「魚介類のミートパスタ」に辿り着く、というのが議論である(これはあくまで道筋の例です)。

カレーと天ぷらの「どちらが好きか」という、お互いの「主張の言い合い」ではないのだ。こういう議論をして行く段階では、お互いは意見の統合解決を目指す「研究仲間」である。だから反目し合うという対決姿勢ではなく、知見を共有して高度の解決を話し合う協力関係であるのだ。つまり、議論する前よりも更に「仲良くなっている」筈である。

日本人は議論をする習慣が出来ていない。これはこのブログでずっと私が言い続けてきたテーマである。考えること、すなわち議論することが私は大好きなのだ。勝つことが好きなわけではない、「解決すること」が大好きなのである。だから相手の出した答えが問題を解決したのであれば、両手を上げて賛成する。勝ち負けではない、強いて言えば「両方勝者」である。この探求・解決の喜びを味わうために議論している、とも言えるのだ。その楽しみが日本人には分からない。いや、教えてもらっていないのだ。いつからであろう?、それは小学校しかない。小学校でこそ、議論の大切さ・楽しさを教えるべきである。議論することは自分の考えと異なる考えを認めることであり、同時に「より良い解決を、共に見つける共同作業の仲間」を増やすことでもある。同じ小学校に通っていてる子供同士であれば、話が合わないという事は考えにくい。そういう二人が考え方の違いを乗り越える方法を学校で学べるとすれば、これ以上の教育はないと言えるのではないだろうか。何より「寛容性と想像力」を身につける絶好の機会である。子どもたちはそのような環境の中で、色んな人の考えを学ぶことが出来る。自分の考えが、新しい考え(それはより良く問題を解決できる)を発見して変わっていくことを経験することで、「考え方は変化する」ことを学ぶのである。皆んなが学んで変わっていけば、「いじめ」などで作りあげられた仲間意識などは、実は無意味だということも分かってくるであろう。先生たちは、その事実に早く気づくべきである。

横道にそれたが、本題は「議論が出来ない日本人」だった。NHKの番組「クールジャパン」でも、日本人は政治の話をしないという外国人の意見を取り上げていたが、しないのではなく「出来ない」のである。つまり議論の方法を知らないし、教えても分からないのだ。議論はロジカルな思考を積み重ねていく演繹という作業である。Aは正である、同時にBが正であるとすれば、Cは正になる、というのが議論だ。例を挙げるならば、A 原子力は一旦事故が起きると人間の力では制御できない、B 原子力発電所も人工の機械であるから事故をゼロにすることは出来ない、C だから原子力発電はやるべきではない。と、こんな感じである。それが理解できないのだから、日本人は議論が出来ないと言われてしまうのも無理はないであろう。

今からでも遅くはない、小学校のカリキュラムに「議論の方法論」を入れることで、議論が出来る「寛容性と想像力」の豊かな小学生が増えることを期待したい。・・・といっても安倍政権の文部科学大臣には「わっかんねーだろうな、ガチョーーン」って、クレイジーキャッツの決め台詞!、でした。お粗末さま。

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-12-20 00:55:13
「より良い解決を、共に見つける共同作業」というのは
人と人とが良好な関係を築くのに大切な姿勢ですね。
これは、Wikipediaの交渉の項にて説明されている
交渉の姿勢とも一致します。

小学生向けの教材としては
Eテレの「わかる国語 読み書きのツボ 5・6年」内に、
論理力に関する回と批判力に関する回があります。

また、高校生向けですが、
NHK高校講座「ロンリのちから」もあります。
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Unknown (Unknown)
2018-12-20 01:12:05
論証図のように書くとこうでしょうか。

原子力発電所は人工の機械である。・・・①
人工の機械の事故をゼロにすることは出来ない。・・・②
①と②より、原子力発電所の事故をゼロにすることは出来ない。・・・③
事故をゼロにすることが出来ないことはやるべきではない。・・・④
③+④より、原子力発電はやるべきではない。・・・⑤

少し表現が変わりますが、単純化して、
②+④より、人工の機械は使うべきではない。・・・⑥
にもできそうです。
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Unknown (Unknown)
2018-12-20 19:25:03
前回使わなかった文を用いるとこうでしょうか。

原子力発電は原子力を利用した発電方法である。・・・①
原子力は一旦事故が起きると人間の力では制御できない。・・・②
①と②より、原子力発電は一旦事故が起きると人間の力では制御できない。・・・③
一旦事故が起きると人間の力では制御できないことはやるべきではない。・・・④
③と④より、原子力発電はやるべきではない。・・・⑤
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