人々はコロナが感染爆発したら、ひたすら家に籠もって「じっと収まるのを待って」いるだけ。政府も国民の要求を呑んで、いやいや「緊急事態宣言」を発出した。ただ去年の春先から比べると、人々の「コロナ恐怖症」が大分減ってきていて、それぞれ自分なりの対策で「コロナを必要以上に怖がる必要はない」と考え始めたように思える。これを「慣れ」と揶揄するマスコミや医療関係者の発言が多くあったが、事実を冷静に見れば「コロナを理解し始めた」のだと言える。東京都で新規感染者数が2591人出た時でも、人々はある程度の対応をしていれば「自分は大丈夫」と感じているに違いない。
以前はわけも分からずに「ちょっとでもコロナが付いたら」アルコールで徹底除去しなければ「夜も眠れなかった」のに、今では「飛沫さえ」避ければコロナには罹らない、という風に変わってきているのである。勿論、感染経路が不明という人も一定数いるのは確かだ。だがそういう人は「何かミスをしている」に違いない、と人々は思っている。東京都の一日当たりの新規感染者数が5000人もしくは10000人になったとしても、自分はちゃんとやっているから大丈夫、と思うのではないだろうか。例えばテレビのワイドショーで出演しているタレントや専門家・コメンテーターなどは、アクリル板で区切って距離を取っているから殆どコロナに罹っていないのである。他のエンタテイメントに関わる人々も、たまにコロナに罹ったとニュースに出る位で、殆ど皆んな元気で仕事をしている。コロナが発生して一年間経ってるわけだが、大丈夫な人は相変わらず「大丈夫」なのだ。菅首相ではないが、現在は「緊急事態宣言」を発出する状況などでは、無い!。
年に何十件か交通死亡事故があるからと言って、「車の運転」を全面禁止しようと言う人はいない。肺ガンのリスクが何%か上がるからと言って、タバコを禁止するのは可哀想だし、コンビニも取り扱いをやめないだろう。飲酒に関わる事件は枚挙に暇がないのにも関わらず、「それじゃ禁酒にしよう」と言う人はいない。クライム・ムービーに出てくるロシアンルーレットと言うのがある。回転式拳銃の弾倉に玉を1発だけ入れて順番に頭に当てる「死の運試し」だ。6回に1回死ぬとわかれば「誰だってやらない」。それが1年経った段階で、10万人当たり50人しか死んでない(東京都の場合)というのがコロナの現実だ(一日換算で100万人に1人である)。しかも年代別に分析すれば、その殆どは「70歳以上の高齢者」なのだ(スゲェー!)。これじゃ誰だって「自分の事と考える」のは無理であろう。ましてや死者ゼロの20代以下の若者にしてみれば、よっぽど「インフルエンザの方が怖い」くらいの「大した病気」では、無い!。
アメリカやヨーロッパならまだしも、日本では世間の騒ぎ方は「異常」としか思えない喧噪状態である。世の中にはもっと怖い「癌・心臓病・脳卒中・肺炎」などもあるのだ。しかも死者数はずっと多い。コロナはきちんと対策を取れば「インフルエンザ並みの死亡率に収まる」病気ではないだろうか。それを無闇に怖がって「全員引きこもり」を要請したり、飲食店に時短営業を強要して「軒並み倒産」にするとか、余りにも無策である。国民に巣篭もりを強制して、コロナが通り過ぎるのを待つだけではダメなのだ。もっとアイディアを出して、コロナに負けない社会を作って行かなければ「全員沈没」してしまうのは目に見えている。
今回の諮問委員会からの提言が「飲食」という切り口でコロナをやっつけよう、というのは「頭が悪い人の、雑な判断」と言える。何故なら飲食店にも「色々なパターン」があって、どういう時に感染が起きるのか「十分に検証したとは思えない」意見だからだ。例えば大きな座卓を囲んで客がワーワー騒いでる飲み屋もあれば、完全に個室みたいに区切って、会話もなく静かにコーヒーを飲むだけの喫茶店もある。そういう違いを無視して「飲食業と十把一絡げ」に括って時短要請をするのは「むちゃくちゃ」なやり方であろう(飲食業の皆さんには、ただただお悔やみを申し上げるしかない)。
雨が降ったら傘をさすし、寒かったら服を重ね着して出かける。これが人間の智慧だ。環境が合わないからと言って家に籠もっていれば、外にある「エサ」は手に入らないのである。どうやったら身を守りながらエサにありつけるか、それが動物の生き抜く力なのじゃないだろうか?
コロナが増えたから人と会わないように店を閉めるというのでは、政治家として「策がなさ過ぎる」のである。コロナはウィルスが気道や粘膜にくっつくことで感染・伝播する。その感染経路を絶ちながら、なんとか通常の生活が出来るようにするのが政治である。ワクチンは確かに有効かもしれない。しかしまず我々は、医療で解決するより前にもっとやるべき事がある筈じゃないか。少なくともアメリカと比べれば、日本はまだまだ大丈夫な国なのだから。
そこで私の「コロナ対策の戦略」を提案する
1、コロナは季節性インフルエンザと同じ性質
コロナは季節によって増減する。諸悪の元凶のようにマスコミに叩かれたGOTOトラベルを停止して沈静化する予定だったのに、皮肉にも逆に「感染が急増」したのはその一例である。人々が出歩くようになったせいも多少あるだろう。だが今年の冬になって感染が爆発的に増えた原因は、季節的要因が大だと言える。季節性とは、流行する時期が「だいたい」決まっているわけだ。だから政府・国民のやれることは「ピークを下げる」事だけである。コロナを避けながら出来るだけ普通の生活をしていく方法を実行し、「多少の感染者」が出ることは織り込み済みとして「収束を待つ」、である。例えばインフルエンザの場合は「手洗い・マスク」を励行するように、ちょっと不自由だがしっかり守ることで流行をやり過ごすことが出来るのだ。しかしコロナに対しては、「個人で何かする」というのは限界がある。
○ コロナには「社会インフラの整備」が不可欠だ!
2、医療体制とコロナ
患者が多すぎるから経済を止めろ、というのは本末転倒である。本来は「患者の数に合わせて」医療体制を整えるべきではないだろうか(正論!)。ただ現在は、日本の医療体制がコロナの実情に追いついていない。それは、医療体制をヨーロッパ並に拡充する努力をしてこなかった政府と、その方針に唯々諾々と従ってきた医療関係者、双方の責任と言えよう。ただ繰り返すが、医療が逼迫しているのは事実である。何らかの対応策を取る必要があるだろう。国民に我慢を強いるだけでなく、医師会もリーダーシップを発揮して、早期に「抜本的な具体的改革」をするべきである。
○ 医療体制に合わせて病気を減らすのではなく、患者数に合わせて医療態勢を強化するべき!
3、コロナを撲滅するのではなく、感染しない環境を作る
コロナを身の回りから完全に無くすというような考え方は、10年20年後はまだしも、1年かそこらで実行出来るなどとは思わないこと。コロナはこれからも、毎年やってきて猛威を振るうのは確実であろう。その度に自粛・時短・休業をしていたら、我々の生活がどうなるだろうか?。社会が崩壊し、弱者は露頭に迷うに違いない。防御対策の基本を個人の生活態度に求めるのは「ただの無能・無策」である。人々の「気の緩み」などというのは、口うるさい老人の戯言に過ぎない。コロナと共存して生活するには、絶対に環境を変えなきゃダメなのだ。
○ コロナに強い社会インフラを構築せよ。それには飛沫を防ぐことだ!
a. 個人の対策をまずしっかりやる
外ではマスク・フェイスシールド・ゴーグルなどを必ずつけ、口や鼻や目を守る。同時にアルコール・手洗いなどを完全に実行すること。普段からソーシャルディスタンスを守って行動し、会話は出来るだけせずにすむようにして、「マスクは外さない」ことを徹底する。
b. オゾン・ルームで撃退する。
百貨店・商業施設・スーパーやコンビニ・その他の室内店舗・映画館・美術館・コンサートホールなどは、出入り口にオゾン・シャワー設備を設けて入ってくる人を「丸ごとクリーン」にすることを「義務づける」。どこか店舗に入る時は「自動的にウィルスを除去する工夫」で身を守るというのが安心である。勿論、換気なども「オゾン風を使用する」などの工夫が必要だ。一部のライブ会場やロックコンサートなど、どうしても「飛沫飛びまくり」の環境が必須な場合は、「フルフェイス」型の完全防護服を用意して(頭だけ)、入場する観客に配るのも手である。自粛するのではなく「やれる方法を必死で考える」のだ。それが人間である。
c. 飲食関係はウィルス・シャットアウトで通常営業。
お客を一人ひとりアクリル板で完全に囲ってしまえば、飛沫が飛んで感染する恐れは「全く」ない。そういう環境で食事やお酒を飲み、会話すれば何の心配もない筈である。そういうコロナ対策のしっかりした店は、何も時短営業をする「理由がない」ではないか。夜遅くまで呑んでいると「帰りに気が緩んで」うっかり感染しちゃう人が出るかも知れない?からって、「店から出た後の責任」まで取らせて挙げ句に店名公表だなどと無茶いうのは、政治家の「弱い者イジメ」でしか無い。まるで飲み屋が「店でコロナをばらまいている」かのように悪者扱いをするのは、不当を通り越して「人権侵害そのもの」である。政治家や諮問会議の連中は、単に対策を講じているという「ポーズ」を取っているに過ぎない。マスコミも政治の無策を糾弾しないで、安易に飲食業叩きを容認しているのは如何なものか。アクリル板をテーブルに置くだけだから、費用は自治体持ちで十分賄える筈である。後は換気と、席から立ったら「無言」を徹底すること。逆に一番安全なのが「飲食店」だ、という位に徹底すれば、テイクアウトなどしなくても客は集まり「存分に利益が出る」筈である。時短営業など「効果がないだけに」無惨極まる。
d. イベント施設など大規模会場とスポーツ
これはもう、フェイスシールドを一人ひとりに付けさせるしかないだろう。大声での応援がなければ、サッカーや野球などのスポーツは成り立たない。選手は防護策は取れないが、観客は十分な対策を取れる筈である。せっかく世界一のコンピューター富岳があるのだから、これを使ってコロナの拡散状況をシミュレートし、一番安全なプラスチック製の「顔」防御カバーを作ればいい。これを観客の分だけ今から作るのは24時間ぶっ続けで製造しても数ヶ月はかかると思うが、これが出来れば「オリンピックだって夢じゃない」!(今や菅政権の悲願のオリンピックだ)。こんなもん、やらなきゃどうする?、ってアイディアである。少し異様な光景に見えるかも知れないが、観客全員が「感染しない」のだから、誰が何と言っても「安全・安心」なのは間違いない。
e. 個人向けにも完全シールドを販売
これさえつければ「コロナ無敵」のアイテムを発売する。1個5000円以上はしそうだが、コロナに罹らないと思えば安いものである。国民全員に一律給付金を10万円配ったことを思えば、国が配ったって「屁でもない」だろう。今更言うのも何だが「アベノマスク」なんか配るよりよっぽど良いのである。今からでも遅くないから菅首相、やってくれないかなぁ・・・
○ コロナはハイテクでやっつけよ!
以上だ。
これなら経済を止めずに、誰も失業しないでコロナと共生出来る。休業補償金とか時短営業協力金とか、いくら掛かるか知らないが「こっちを作る方にお金をかけたほうが、よっぽどマシ」である。
このアイディアを先週の金曜日にチラッと書いたが、ブログ・ユーザーは全く反応がなかった。私は良いと思っているのだが、なんで皆んな分からないのかなぁ。もし「ごちゃごちゃ言わないで時短・休業すればいいんだ!」と言う人がいるとしたら、それは「生きることの根本」が分かっていないと私は思う。多分、時短や休業しても「何の不都合もない」お気楽な生活をしている人なんだろうなって想像するけど・・・。実際には2度目の緊急事態宣言の発出で、この寒空に「露頭に迷う人」が何百人・何千人と出るのである。人間は被害を出さずに何とか社会を維持し、なお且つコロナも撃退する方策を見つけなければならない。無い知恵を絞って必死に考えなければ、何れコロナより何倍も危険なウィルスが出た時に、人類の存続を脅かす事態が起きるに違いないのだ。逆に、前線に出てウィルスと戦っていれば、だんだんと人間側も進化して「自然免疫が付く」可能性もある。人類はそうやって進化してきた。家に巣ごもりして「じっと隠れているだけ」の人は、ただウィルスの前に絶滅するしかないのである(おおっ、恐ろしい予言!)。戦うべし!。
コロナという試練を乗り越えるかそれとも地面に這いつくばって命乞いをするか、ここで政治家の実力が出る。菅首相、一刻も早く環境整備をお願いします!
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