明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

マドリーのサッカーが好き!(12)日本人森保監督の限界(中編)

2022-12-08 17:40:02 | スポーツ・ゴルフ

2、久保の不満、堂安の不完全燃焼
スペイン1部リーグのレアル・ソシエダでレギュラーを任せられている久保建英。今回は内外から活躍を期待されていたのにフタを開ければ大した使われ方もせず、体調不良でベンチにも入らなかったというのであれば、まずコロナを疑うべきだろう。しかし彼のコメントなどから伺えるのは「森保ジャパン」に対する不信感である。ドイツ戦で起死回生の同点弾を叩き込み、スペイン戦では目の覚めるようなビューティフルゴールを演出して「日本の切り札」と自他共に認める活躍を見せた堂安もしかり。

久保も堂安も日本人には珍しい「自己主張が強く」て、自分の得点で勝つことを何よりも優先する男である。このタイプは往々にして自分の技術を高めることには一生懸命だが、ややチーム内の融和を重んじる事には熱心ではない、と言われることがあるようだ。しかし久保も堂安も「A型」で、規律や献身といったメンタリティはむしろ他の人よりも強い筈である。まず「チーム」を大事に考える筈のA型にしては、今回は「真逆の感情」を口にしていた。では、何が彼らを怒らせたのか?。・・・それはチームの戦い方、もっと言えば「森保監督の采配」が、勝利を目指す彼等の「考え方」と相容れないものだったからである(と私は想像する)。

久保がハーフタイムで森保監督から交代告げられた時(スペイン戦か?)に、「交代?俺が?」という顔で森保監督の方を振り返っていた映像が印象的である(実は声は聞こえていなかったので、本当の所は謎である)。久保は「前半で1番良かったのは俺だ」とコメントしてたように、代えられた理由に納得してなかったのは確かだったようだ。堂安も良いところを見せられず終いに交代させられているが、やはり不満なように見えた(交代させられる選手はだいたい不満そうに見えるもの)。結局堂安はコメントしてないみたいなので分からないが、久保のコメントは監督批判とも取られかねない内容で、不満アリアリだったようである。

しかし、この時点での監督批判は「久保の真意」ではないだろう。久保は暗黙のうちにチーム内で共通認識になりつつある「失点しないサッカー」というものに、「そんなんじゃ勝てないよ!」と言い続けていたのではないだろうか?

案の定、弱っているクロアチアにズルズル粘られて、結局PKで立て続けに3つ止められ、涙をのんだ。久保や堂安の考えはもしその通り採用していたら、逆にグループリーグで敗退してたかも知れない。サッカーは計算通りにはいかないものである。しかし負けたとしても「新しい景色」は見えたんじゃないかと思っている。

もし戦って「勝負し」、力の差で已む無く破れたのなら、そこを改善して「またチャレンジする」ことも可能だ。それが日本代表の「有るべき姿」の筈である。だが森保監督と多くのチームメンバーは、堅守速攻と言いながら最後のゴールを「どうお膳立てする」のか、つまり「速攻」のコンセンサスが出来てなかったように見える。

結局、最終的に「どう得点するか」がそもそも頭に無かったのだ。これじゃ日本代表は、「ベスト8を戦うチーム」とはとても言えない。少なくともゴールまでのプロセスについては、「ああしたらこう、こうなった時にはこう」と、ある程度のオプションが欲しかった。そこが森保監督の5「最大の戦術的欠陥」である。

自分の「決め技」を磨くこと。それが日本代表には「スタートから」欠けていた。

3、闘莉王の疑問
激しい辛口満載のコメントで世間を沸かしている闘莉王だが、彼の主張にも一理あると私は感じている。それは、森保監督は就任してから今年Wカップが始まるまでは、代表のシステムを4バックにして戦っていた。それが直前になって「急に5バックにした」というのである。そもそも森保監督は昔から5バックを好んでいたらしい。それが最初、4バックでずっとやっていながら、Wカップに入った途端に「守り重視の5バック」に代えた理由が分からないと闘莉王は言う。

サッカーに限らず相手のあるスボーツでは、自分の最も得意とする決め技を「如何にして使って」相手を仕留めるかが勝負である。決め技を使うには使う「お膳立て」が当然あって、完璧に術中に嵌まった相手は「為す術もなく」やられてしまう算段だ。これが堂安の言うところの「俺のコース」という理由である。これを、どう組み立ててどう決めるか?。代表での合同練習とは「この段取りに費やす」べきだと私は考える。

ところが森保監督のチームはそういう緻密な練習をやっているようには見えなくて(練習をみてた訳じゃないので、あくまで試合の動きから感じただけだが)、皆で練習していく中で「自然に選手達が感じ取って」行くような、いわゆる「阿吽の呼吸」を考えていたのかも知れない。もちろん代表に選ばれるクラスの選手達であるから、今更いちいち「戦術の練習でもない」のかも知れない。

とにかく闘莉王の言う通り、森保監督には「こうして勝つ!」という不動の信念が「欠けていた」、としか思えないのである。自分の得意とする「必殺技」の無い剣豪なんか聞いた事がないのと同じで、最後で「どう決めるかのイメージ」がチーム全体で共有されてない状態で、闇雲に走り回って「神頼みのラッキーゴール」を目指すというのでは、余りにも寂しいではないか。

自分の決め技を磨くこと。それが日本代表には「決定的に」欠けていた。

4、三笘の悔しさ
三笘はクロアチア戦で後半ピッチに投入されたが、ポジションは左サイドバックで「得意の左ウィング」では無かった(おおっ、ノオ〜っ!)。後半唯一「ゴールの匂い」がしたシーンでも、自陣の深い所から持ち上がって切れ込むという、サポートなしで「たった一人での逆襲」という孤軍奮闘の戦いを強いられた。何故わざわざ三笘を「5バックの入れ替え」に使ったのか?。私の答えは至極簡単だ、「守りを固める」為である。

三笘はゴールに近い位置でボールを持って初めて活きるドリブラーだ。得意のドリブルでディフェンスを切り裂いて、クロアチアの「守りを崩壊させる」役回りで使ってこそ、日本代表の「逆転の切り札」である。クロアチアに敗れた後の三笘のコメントには、自分を守りに使って自ら得意技を封印するなんて「おかしいじゃないか?」とでも言いたげな、悲しげな雰囲気が画面からビンビン伝わって来て、やはり森保監督の采配に「納得してない」ような感じがした(これはあくまで私の想像である)。

森保監督の「失点しないサッカー」は、そもそもWカップでは通用しないのではないか?、と私は思う。よく言われる「守ってカウンターで勝つ」などは、マドリークラスの「絶対の攻撃力」があって初めて可能な戦法なのだ。それを弱小日本が同じように採用しても、守れるかもしれないが「勝つ」方法がそもそも無いから無意味であろう。攻めの無い「防戦一方の戦い」などは、三苫ほどの攻撃力のある選手にとっては「屈辱」以外の何物でもない。

結局日本は「PKに勝敗を委ねる」しかなかった。

5、PKは自己責任?
大前提として、PKは「監督が全責任を負うべき」だ、というのが私の理解である。選手同士で話し合った決めたと報道されているが、もしそれが本当なら監督の「責任逃れ」としか言いようがない。南野が最初にPKを外したことでファンからはバッシングを受けてるようだが、そもそも「そういう可能性があるからこそ」監督はすべての責任を引き受けることで、選手の不安を取り除き、PKに集中させて勝利を呼び込むのである。

なんなら相手キーパーの弱点といった情報も話し合い、どういうタイミングでどこに蹴るか、まで打ち合わせて置くべきだと私は考える。何故なら事前に監督の指示があったなら、例えキーパーに阻止されても「選手の責任は無い」からだ。何故もっと上を狙わない?とか、蹴る前に一瞬止まってキーパーの動きをみたらいいのに!とか、失敗した選手には色々アドバイスが集中する。しかし全ては結果論なのだ。そこで監督が「私が指示しました」と言って、選手を守るのである。

PKで負けたあとのインタビューほど辛いものは無い。しかもそれが「自分から進んで蹴った」と言うんでは、選手は「浮かばれない」としか言えないではないか。だからあのPKは、森保監督の「選手に責任を負わせた」最低の行動だと断罪する。この決定は、選手のためにも「メディアがもっと叩くべきだ」と私は思う。

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以上、私が思う「森保監督の限界」である。だか森保監督を一方的に責めるだけで、日本代表の実力はどうだったのか?というと、こちらもグループリーグを突破するには力不足というのが「妥当の評価」だったのではないか。

・・・その点をじっくりと「後編」で書こうと思います(前編も読んでね!)。



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