明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(40)どうも眠りが浅いと思ってたら、実は睡眠障害だった?

2022-01-23 21:01:12 | 今日の話題

1、体のあちこちで、今までなかった痛みが出てきた
このところ経験の無い異変が続いている。左肩甲骨下の断続的な軽いチクッとした痛み、左小指側の腕の痺れ、右目がショボショボして瞼が重い、下痢っぽい、目眩が起きそうになる、何となく気持ちが悪い、体温が上がらず寒い、左手甲の骨に激痛、両足首に靴下の跡が浮腫んで残る、左腰の背中側の上あたりが痛い、朝起きる時に右鎖骨が痛い、右目の裏がズーンと痛い、左の二の腕が痛い、などなど。幸いなことに、いずれも2、3日したら不思議と消えている。まあ、結果として何という事はなかったのだが、これが何かの重大な疾患の「前触れ」ということも考えられるので、不安は残る。来月行きつけの北柏リハビリ病院で定例血液検査が予定されているので、この結果を見ながら「色々と主治医の先生に質問しておこう」と思って、症状をメモっているところである。現状、体の痛みはそれほど問題は無いのだが、どうしても「外出して活動的な生活を送る」ことが出来ていない。これが私には不満である。私はまだ72歳、家で寝たきりになるには「早過ぎる」と思っているのだ。もしこれで家から出なくなってしまったら、私の人生「悲しすぎる」ではないか。

ということで、全般的に体調の見直しをはかることが急務だと思った次第である。まず日々の行動に一番影響を与える「気分」を考えると、どうも朝から「どんよりしたまま」で推移して、何と無く出歩く気にならないというのが最近目立っていた。ところが夜9時過ぎから目がパッチリして元気になり、夜中の2時3時になるまで眠くならないのである。完全にフクロウみたいな夜行性動物になってしまった。夜中の3時に布団に入るから、朝はどうしても遅くなる。それに夜間トイレに起きる回数が3時間おきにやってくるので、どうしても「朝までぐっすり」とはいかないのである。それに昨年末から、布団に入って「寝しなにラジオを聞く」のが日課になってしまって、時には一晩中聞いてしまうこともたまにあるという具合で、十分な睡眠が取れない状態である。「困ったなぁ」と思ってはいたが、なかなか治らない。意を決して「朝の6時」に無理やり起きたりしても、その後ウツラウツラして「座ったまま寝てしまう」のでは逆効果ではないだろうか。朝起きたら「太陽の光を浴びる」と言うのも試しては見たが、1日やそこらで簡単に直るものではなさそうだ。そうこうして居るうちにふと考えたら、あれ程好きだった「ゴルフの練習」にも、「1ヶ月近く行ってない」ことに気がついたのだ。これは重症でだ。これらの不調の原因が、偏に「睡眠にある」のは明らかである。もう眠りが浅いと言うような状況ではない。これはもはや「睡眠障害」だと私は断じた。つまり、自律神経の変調によって引き起こされる睡眠の「病気」である。老人の睡眠障害は、諸悪の根源であるとも言えるらしい。

つらつら案ずるに、いままで「早く起きる」ことからリズムを作ろうとして失敗していた。どうもショック療法は無理がある。今度は「早く寝て」睡眠を十分取ってから、徐々に「起きる時間を早くする」というのはどうだろう、と考えている。取り敢えず毎日「必ず10時には布団に入る」と言うことから始めようと思っている。最初はすんなり眠りに入ることが出来ずに、半ば目が冴えたまま布団でモジモジすることもあろうが、とにかく寝る時間だけでも早くすることを1週間くらい続けて、それで効果の程を見てみることにしたい。身体が「10時に寝て7時に起きる」リズムに慣れてくれば、いずれ夏場は「5時頃に起きられる」ようになる「かも」知れない。そうなりゃ良いのだが、とにかくチャレンジしてみよう。

何より5月に「取手桜ヶ丘ゴルフでラウンド」を予定しているが、その集合時間に行くためには「朝5時には起きる」必要があるのだ(おおっ、地獄のように早いではないか!)。何せゴルフでは「スタート時間にティーグラウンド」に立っていなければ、話になんないのである。私にとって老後の趣味は「ゴルフだけ」だというのに、皆と一緒にラウンド出来ない理由が「朝起きられない」からだなんて、死んでも死にきれないじゃないですかぁー。何とかして終日「目一杯ゴルフが楽しめる体」を作らないと、このまま一気に「老化」が進みそうである。おー、怖い怖い!

2、トンガ火山の大爆発
こないだの海底火山の大爆発があって、トンガの被害は甚大だそうだ。トンガというのは日本からは相当離れていて、あまり実感はないけれど、これから「地球規模」の気候に及ぼす影響がありそうだという。専門家によると火山による噴出物が大気中に漂って、この先2、3年の間、太陽の熱を遮ることにより「地球の温度が下がる」懸念があるそうだ。これは大変である。・・・あれ?、ちょっと待って?。こないだまで地球温暖化で大騒ぎしていたのに、今度は地球冷却化が問題なの?。

というわけで、地球の温暖化による気候変動で異常気象が続いている国にとっては、生半可なCO2削減より「冷却効果が期待出来る」のが、海底火山の爆発ではないだろうか。まあ、怪我の功名というか不幸中の幸いというか、トンガの人には申し訳ないけれど「地球温暖化が少しでも遅らせられる」と思えば、悪いことばかりじゃないとも言える。まあ色々と災害についての配慮はしないといけないが、まずは気温がどうなるか、検証である。

3、東京都独自基準って何?
ワイドショーでコロナ重症患者数の発表時に「東京都独自基準では〇〇〜」と断りが入るのはなぜだろうか。物事における基準が「バラバラ」というのは如何なものか、と私はずーっと思っていた。そもそも「基準」なんだから、「全国一律」でなければ情報を共有することが出来なくなってしまうではないか。国の基準と東京都の基準の「どちらが適切」なのか、この際ハッキリ決めてもらいたい。ICUに入ったら重症とか、酸素吸入を必要としたら重症とか、色々と判断基準はあると思うがこれは医療関係者の判断だから、我々の考えている重症・軽症とは違っていて当然である。では重症とはどの程度のことを言うのかといえば、私が思うに患者の状態が「生きるか死ぬか、どちらに転ぶかちょっとヤバイ状況」ってことになるのではないだろうか。これを重症の基準とするならば、東京では「ヤバくなく」て同じ状態の患者が他県に行くと「急にヤバくなる」と言うのは、明らかにおかしい。医療設備の差が多少はあるとしても、患者の状況にはそれ程変わりはない筈である。だからこの際、厚生労働省は「東京都と他の県の言い分」を専門家を交えてしっかり聞いた上で、サッサと「どっちかの基準に統一すべき」である。

それにしてもこんな混乱を引き起こしたまま、平然と全国統一基準と異なる独自基準を発表し続けている東京都って、何様のつもりなんだろうか?。これに違和感を感じないでいる小池都知事の「政治家としての感覚」を、私はそもそも「重症」と考えているのだが。

4、オミクロンのピークは何時?
コロナの猛威が吹き荒れているが、最大関心事は「いつピークアウトが来るか?」である。英米の例を見ると日本では一日10万くらいの新規感染者数でピークアウトするのではないかと「ウスウス」感じている。なので、来週末あたりには「どうやら一山越しそう」な雰囲気ではないだろうか。今回の感染者数の増え方が余りにも急激なので、きっと収束までの期間は「同じように短い」に違いない。もし収束が長引けば・・・なんて考えるだけ恐ろしいが、もし中々収束しなければ「カーブの頂点は100万人単位になってしまう」から、流石にそれは無いだろうと思っている。岸田政権がワクチンの準備不足をやらかしてくれたお蔭で、ワクチンが手に入る「前に」コロナが終わりそう、と言うのがドン臭い日本の政治らしくて大いに笑える。去年の第5波が急激に収束して以来、コロナの蔓延・収束には「政府の対策は全然関係無い」と判ってしまったわけだから、今回もコロナの方で「勝手に収束してくれる」のを待つだけ、が正しいコロナ対策だと言えそうである。それにしても、あいも変わらず「蔓延防止重点措置とか緊急事態宣言」とか、いまだに効果に疑問のある対策しか考えつかない政府・専門家って、なんなの?。

いっそ、イギリスのように「何もしない」やり方のほうが、コロナの感染に関して「よっぽど明確な答え」が出てスッキリすると思うんだけど、どうだろう。そもそもオミクロンに限らず「コロナで死亡する人」は、大体が抵抗力の弱い・免疫力の落ちている人のようである。これは医療の充実を持ってしても、ある意味「防ぎようのない」ことであり、コロナにかかる前に「免疫力が落ちてしまった原因」の方を何とかしなくてはいけなかった人が、たまたまコロナに罹って「死亡した」と考えられるのだ。元気でピンピンしている人が突然コロナにかかって、あっという間に死んでしまった、と言うわけでは決して無いと私は思う(見かけ上はそういう人もいるようだが、数は極々少ないと思う)。

コロナで死ぬ人はコロナにならなければ、「他のことで死んでいた」と考えた方が、現実に近い。

こないだ100歳以上の患者がコロナ新規感染者としてカウントされていた。こういう人は逆に言えば、「今まで生きていること」が奇跡であり、もし不幸にもこの人が亡くなられたとしても「コロナによる死者」に加えることは、私はむしろ「失礼」だと思うのだ。まあ、老人になれば「いつお迎えが来るか」毎日考えない日は無いというから、コロナで病院のベッドに寝ていても「静かに澄み切った心で」その瞬間を待っているんじゃ無いかと、私は想像している(ちょっと勝手すぎるかもね)。こういう後期高齢者がたまたまコロナに罹って運悪く死んでいったとするならば、それがガンであろうと心筋梗塞であろうと誤嚥性肺炎であろうと、結果は変わらないのではないだろうか。結局は「寿命」なんである。一番悔しいのは、まだまだ人生に「やること」が残っていて、バリバリそれに向かって突き進んでいる人が「コロナで無情にも命を絶たれてしまう」ことである。

私ももう72歳、いつ死んでもおかしくない年齢に入ってきた。勿論コロナ対策はしてるけど、コロナに罹らなきゃそれで幸せかというと、そうじゃ無いだろうと思っている。若い人と違って、これから「長くもあり短くもある人生」をどう生きるのか。

コロナで死ぬことを恐れるよりも、「そっちの方が大事な年齢」になって来ていると思う。


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