明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気づき(6)暇なので

2019-07-28 22:30:13 | ニュース
1、今週のセンチュリー21レディスは実力者が全英に大挙していっているので、「ライオンの食べ残しをハイエナが争う」といった展開になっていて、それはそれで見どころがあった。一つ気になったのは、CSのゴルフネットワークの解説者菅野仁美プロの「話し方」である。彼女の話し方は、ベラベラと喋って解説者に必要な「簡潔に言う」ことが全然出来ていない。解説者には色んなタイプがいるにしても、これは「視聴者にとっては苦痛」とも言える。彼女は言いたいことを最初っから説明しながら最後まで一気にしゃべるので、実況アナウンサーが質問する隙きがないのである 。彼女は自分の言っていることが「間違いない」と信じ切っているのだろうが、視聴者に解説者が言っていることを「正しいかどうか考える時間」を与えない話しぶりは、視聴者との対話を拒む独りよがりの独白であり不快ですらあるのだ。テレビの向こう側とは言え、視聴者も「対話(コミュニケーション)の相手」である。一つの事実例えば「スイングのターゲットラインは、プロは踵を基準に決めるんですね」と彼女が言った時、視聴者は「へぇーっ、そうなんだ。なんで?」と思う。それを考えて解説者は「しばしの間」を置かなければいけない。視聴者が「なんで?」と思った瞬間、解説者は「だってつま先に合わせたら、開く加減で10ヤードくらいはすぐ狂ってしまいますから」と言えば、「なるほど!」と膝を打つ面白い「質疑応答」が生まれるわけである。それを最初っから最後まで「ズラズラーっと」息もつかせず喋ってしまったら、視聴者はどう思うだろうか。それに比べると、今度全英女子オープンを解説する岡本綾子は巧みである。視聴者を飽きさせない話術が素晴らしい。私は比嘉真美子が「爽やかに負けた」去年のリベンジを果たすのか、そのドラマに期待して見ようと思っているが、岡本綾子の解説にも「全英を楽しむために」大いに期待している。

2、民放の「たけしのTVタックル」から。魔の3回生新潟選出の石崎議員が秘書への暴行・虐待で事情聴取という問題。この手の人間は「口のきき方」をみればすぐ分かるのだ。自分を強い人間・凄い人間・偉い人間だと勘違いしている典型である。正しく自分を評価出来ていれば、社会におけるその人の立場・役割が持っている力を「自分の個人的能力と混同する」ことはしないものである。「業務上の発言」であるべき時に言い方が「個人的な口調」になっている場合、この人は「混同している」と見て間違いない。もし自分を第三者の目で見直す機会があれば、自分の発言を「仕事としての言葉で置き換えてみる」ことで、実態が明らかになって来るのである。石崎議員の例で言うならば、秘書がFAXを間違えて送った時「どうして間違えたんだ」と質問すれば良い。「答えがボーッとしていた」であれば、「FAXは間違えて許されるべきものではない。だから二度と間違わないような防止策を講じない限り君には任せられないよ」と改善方法を聞けばよいのだ。あるいは「健康上の理由であれば、医師に診断してもらって詳細を報告するように」でも良い。この秘書が使えないと判断したら首にすればよいのである。どこからも「死ねよ云々の言葉」は出てこない。つまり石崎議員の言葉からは、事態の改善・解決についての意見は「一切出てこない」のである。もちろん議員も人間であるから、「カッと」なるのも致し方ない所は多少はあるだろう。石崎議員の場合はそれが「自身の優越感と表裏一体」になってしまって、そういう無能な秘書を奴隷のように使い倒している自分に、むしろ「快感を感じている」とも思える。でなければサッサと首にして、暴言・虐待などしている暇があるなら「もっと有能な秘書」を雇うべきなのだ。だが私のワイドショーからの情報だけ見ている立場で言えば、相当数の人間が「やってられねぇや」と辞めているそうである。秘書を使う器量もないボンクラとなれば、早晩石崎議員は「辞めざるを得ない」だろう。立場・役職を傘に来て恫喝パワハラするような情けない男は、人々の上に立つ資格がないのは当たり前である。ついでだが「吉本問題」についてやっていたので一言。天皇の親戚とかなんかの変な奴「竹田恒泰」が、宮迫・亮の問題にコメントして「うそ」ついたことが一番の問題と言っていた。まあ、世間の心情的には「尤も」だとも言える。日本人は「嘘をつくこと」について「ものすごくウルサイ」のは確かだ。外国のテレビドラマなどを見ていると、嘘をついたかどうかはそんなに問題ではなくて、「嘘をつかざるを得ない背景の事情」を重視する。こっちの方が実態解明には大事だと思うのだが、日本人には、嘘をついた人が「許せない」らしい。普段は山ほど嘘をついている人たちなのに、「こと有名人のプライベート」になると「ひたすら真実を要求」するのは何故なんだろうか。他人のことがそんなに気になるってのも、病気の一つかもしれない。つまり「神経性の知りたがり病」である。これは相手の個人的な生活を脅かしてまでも真実を知りたがる「一種の病」といえる。知ったからどうととか、知らなければ困るとかではなく、ひたすら「知ることが正義」というのだから困っちゃう。フライデーやフラッシュなどのゴシップ週刊誌はこの手の「噂の真実」で飯を食っているから無くなっては困るのだろうが、もういい加減に「黙って放っとく」わけにはいかないのかと思う。

3、噂の東京マガジンから噂の現場
宇都宮を通る高速道に「大谷スマートインター」を作る件で大揉めに揉めているらしい。いくら説明しても理解できない工事計画を「住民の反対を押し切って」推し進めている市の一方的な政策に「疑問をぶつけたテレビ局」が、ややテレビ的に作り込んだレポートを放送した。市側の意見は「ちょっと」映像で映し出されていたが、問題の解決には全く寄与していないのでテレビ側の完勝である。まあ、完勝と言ったからといって工事が止まるわけではないのだが。市側の説明は無論「子供でもわかる言い訳を並べたゴマカシ」なのだが、こういう態度を平気で押し通す担当者の「馬鹿さ加減」は、ほとんど「芸術の域」になっている。住民や地域の活性化という理由は単なる体裁で、本当は「もっと別の理由」があるのだ。この工事には、53億円という巨額の費用が充てられるという。これは警察が調査するべき話ではないだろうか。しかし警察も「公権力のお仲間」である。建設業者・土木業者が絡んで、市長や担当部長課長レベルの「欲と金」に塗れた匂いがプンプンするではないか。。我々庶民は、所詮は搾取される側の存在なのである。やはり選挙で叩くしかないであろう。

4、日曜劇場ノーサイド予告編
出演者が楽しそうなのでつい見てしまったが、大泉洋がまじめなサラリーマン・上川達也がちょっと敵役の上司と、普段の役回りと真逆の演技が面白そうである。それで早速「夜の放送」を予約録画した。この手の、つぶれそうな企業を一発逆転する社員達のヒューマン・ドラマというのは、「下町ロケット」以来定番化していて、概ね「ステレオタイプの人間が大袈裟なこと言いまくる」という「低レベルの芝居」が大半である。普段なら絶対見ないのだが、「大泉洋」の役作りに期待して「一回だけ」見ることにした。何かテレビ番組を見ようとする場合、その殆どが「主役」の魅力で決まってしまう。やはりエンターテイメント作品の場合は制作費を含めて、全体経費のうちの「相当部分のギャラ」を主役がごっそりもっていくというのも仕方ないかもね。

5、CSゴルフネットワークで「ギア猿」
今回はスプーンを選ぶってんで、博多華丸がテーラーメイド・ピン・コブラ・キャロウェイ・ゼクシオと試してみていたが、中でも一番「飛距離が出た」のはJGRだった。ネットのレビューでも「飛ぶ飛ぶ」と評判はすこぶる良いのだ。私の知り合いの間でも「JGRは凄い飛ぶらしい」と噂になっている。本当だろうか。私はゴルフクラブを買う場合は「タイトリスト」と決めているので、他のブランドに目移りしそうになっても「頑なに」タイトリストで新製品が出るのを待つことにしている。なぜストイックにそんなにタイトリストばかりに限定しているのかと言えば、色んなメーカーの製品を「やたらと買わなくて良いから」である。ブランドを1つにしてなければ、各社から毎年のように出る新製品の「我が社で過去一番の飛び」と言う謳い文句に、抵抗できるほど意志が強くないのだ。結果、お金がいくらあっても足りない事態に陥るのは目に見えているではないか。だからタイトリストしか買わない、と言うか「買えない」と言うのが正しい。それでもタイトリスト社は名門ブランドであるから、大抵の要求には答えてくれる。ヘッドスピードが年や病気で落ちた時には、「そういう人向きのドンピシャの製品を用意して」くれているので、困ると言うことは全然ない(私もVG3と言うのを使っていた)。だが、やっぱりタイトリストを使う以上は、「ちゃんとした普通の筋力の男性用」製品が使いたいじゃないですか。それでアイアンは「AP3」と言う最新型の、「中空のカッコいいもの」に一新した(結局は飛び系なのだが)。やはりタイトリストはデザインが男心をくすぐる魅力がある。夜に一人、部屋で「蛍光灯に反射するアイアンブレードのフォルム」を眺めていると、無性にナデナデしたくなるのは何故なんだろう?・・・。と、コレクション自慢はいい加減にしておくとして、キャロウェイのエピックフラッシュとかピンのG410とかの名器を抑えて見事第一位(あくまで華丸のチョイス)に輝いたのは、コブラの「F9」であった。裏側のソール部分に「2本のレール」がくっついている、「バフラー以来」の昔ながらのコブラ伝統の1本である。素人はこういう「わかりやすい工夫」に弱いのだ。つまり、この製品には〇〇機能が付いているので云々ですよ、っていうアレである。テーラーメイドはこのての新アイディアが得意である。キャロウェイもジュエルブレイクとかいう「2本の隠し柱」が驚異の飛びを実現!と大いに売りまくった。私はこういう「宣伝文句」には余り惑わされないように我慢している。しかし今回の「JGR」には、ちょっと心が動いたのは事実だ。でも彼らのいうことを毎回聞いていたら、「どんだけ飛ぶんだよ!」ってくらい飛距離が伸びまくって、「終いにゃ350ヤード」くらいに飛距離が伸びていても決して不思議ではない。昔は気に入ったものを大事に使って、やたらに取っ替え引っ替えしたりはしなかったもんである(お金もなかった・・・グスン)。しかし今では我々も「ギア談義に花を咲かせる」ぐらいしか楽しみがなくなってしまったのは辛い。金と暇が出来た代わりに、筋肉と俊敏性が無くなったせいである。悲しい哉、これが世の中の定めってか、ああ無情也!!!

6、最近売出しの臼井麗香って、何なの?
今週の女子ツアーのセンチュリー21トーナメントでトップ争いをしていた「外見からしてヤンキー」モロ出しの女子選手である。まるで「暴走族の特攻服」みたいな出で立ちの「バカでっかいリボン」を風になびかせてグリーンを闊歩する姿は、私に言わせれば「違和感」でしかない。女子のトーナメントであるからウェアで観客を魅了するのも一つのイメージ戦略ではあろう。だが臼井麗香のような選手が増えると、下品で騒ぎ立てるヤンキーのファンが増えるのである。私は東京で開催されるツアーにはたまに行くことがあるのだが、試合そっちのけの下劣な応援フィーバーにはホトホト辟易することが最近多くなった。人を外見で評価してはいけない、という「ご立派な」意見もあるとは思うが、臼井麗香のファッションは「どうにも」いただけないのだ。原英莉花や青木瀬令奈といった、センスの良いアスリートを感じさせて尚且女性らしい節度のある服装を見るにつけ、臼井麗香の「ファッションというレベルを超えたヤンキー御用達」の格好は、もう「出場禁止レベル」の服装である。これじゃあツアー会場が、暴走族の「集会所」と化したかの錯覚に陥っても、不思議ではない。LPGAは即刻「まともなウェア」に着替えるよう勧告すべきであろう。私は、選手は爽やかで動きが俊敏に見えるウェアを着るべきだと思う。その選手がティーグランドに颯爽と立つ姿を想像すると、何か観客の期待を超えた奇跡を見せてくれるんじゃないか、そういう可能性を感じさせる選手が「ゴルフ界の人気」を支えていると言っても過言ではない。臼井麗香を引き合いに出して申し訳ないが、これからの女子ゴルフ発展のためにも、「もうちょっと上品な服装」を指導してくれないかな、と思うのは老人の僻みであろうか。とっくに消滅したと思った暴走族ファッションが、今度はゴルフのツアー会場で堂々と演技してるのを見ることになるとは時代も変わったもんである。

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