goo blog サービス終了のお知らせ 

Everyday is a Special Day.

英語、日本のドラマ、日々のあれこれについて熱く語ってます。

思い出の曲

2007-09-16 14:48:47 | Monologue
車を運転するときはいつもラジオをつけている。最新ヒットチャートが流れる局。
いつものように運転していたら、懐かしい曲が流れてきた。
A-haのTake On Me

その曲が流行った頃、私は高校生だった。(思いっきり年がばれるなぁ)
英語もよく分からないくせに、ビルボードヒットチャートの番組を見ていて、ミュージックビデオに出てくるモートンに一目惚れ。もちろん曲も大好きだったし、ミュージックビデオもドラマチックで素敵なの
生まれて初めて買ったレコードはこれだった。(CDじゃなくレコードっていうところも年がばれる~)
そして、私が通っていた高校はイケメン揃いで有名で、そのモートンにそっくりな先輩がいた。毎朝、通学の電車の中で、親友Sちゃんとモートン先輩を探して、きゃーきゃーやっていたっけ。
懐かしいなぁ。
ふと思い立って、ネットを検索したら、A-haは今も活動しているそうだ。

この曲は私の思い出の曲の1つ。
誰でも、その曲を聴くと、懐かしくある情景を思い出すような、「思い出の一曲」があるよね。

もう一つの思い出の曲は「A Lover's Concerto」

以前もここに書いたかも、、、だけど、この曲にも大切な思い出がある。
昔昔、、、すごく大切だった友達がいて、でも、とある理由で、友達は遠くに行くことになった。
もうしばらく会えない、ひょっとしたら一生会えないかもしれない。最後に会った日、友達はそのとき練習していたある楽器で、この曲を演奏してくれた。私へのプレゼントだと言って。
まだ習い始めたばかりで、お世辞にも上手とは言えなかったけど…、私が好きだったその曲を一生懸命、練習してくれたことがうれしくて…
その後、その友達には会えなくなり、連絡も取れなくなった。
この曲を聴くと、あのとき、テレながらも真剣な顔で演奏してくれた友達の横顔が浮かんでくる。友達と過ごした楽しかった日々も。
もう多分、会えないけど、今もどこかで元気にしていてほしいな。
いつもこの曲を聴くと、しみじみとして、ちょっと切なくなる。

これらの曲は思い出に密接に結びついていて、きっとこれからも、聴くたびに、その思い出を鮮やかに思い出すだろう。
切ないけど、なんか生きてるっていいな、と思う。

Crybaby

2007-07-12 05:24:00 | Monologue
私はとにかく涙もろくて、自分でも嫌になってしまう。
子供の頃からそうだった。学年が変わるたび「あー、このクラスのメンバーで同じ教室に集うことはないんだ。。。」としみじみし、ほろりときていた。
卒業式なんかもう大変
田舎の学校だから、小学校を卒業しても、同じ公立の中学でクラスメイトとはまた会えるっていうのに、
「この学校で勉強するのももう最後。。。先生たちにももう会えないんだ」
小学校卒業式から中学入学式までの春休み、布団の中で卒業アルバムを見ながら泣き暮らしていたのを今も覚えている。
子供って言うのは普通、今のことしか考えず、未来のことにワクワクしているんじゃないかと思うけど、私は昔を懐かしみ、しみじみするのがほとんど趣味ってくらいの、懐古趣味なシブイ子供だった。
小学校低学年でいちばん好きだった本が「かなしいはなし」という日本の悲しい民話を集めた物だったというのも、自分のキャラを表してるなぁ、と。
多分、生まれついての性格なんだと思う。母は楽天的で明るい性格だけど、父は私以上に涙もろいところがあるので、似たのかもしれない。

大人になってからもこの涙もろさにはほとほと手を焼いてきた。
職場で誰かが退職するたび、じーんと来て、少しでも仲が良かった人だったりすると、泣くのをこらえるのに必死。
こらえられなくて泣いたことも多々。
自分の退職時なんてもう、、、大泣き
職場100人くらいの前で退職の挨拶をしたときは、前日にどうにか泣かないよういろいろ対策を考えたのに、ダメだった。
同僚や同じ職場だった人に粗品を渡しつつ挨拶に行ったときも、毎回毎回涙ぐんでそのたびトイレに籠もって涙がひくまで待って。。。
あー、恥ずかしい

以前アメリカに住んでいたときも、お別れがたくさんあってそのたびにしみじみしてきた。
日本人、外国人の友達は転勤や勉強で一時的にアメリカに住んでいる人が多く、数年で帰国するわけで、当然別れも多くなる。
そして、自分の帰国時も送別会をしてもらうたび、泣きそうになり、こらえるのが大変だった。いい年して子供みたいに泣くなんて恥ずかしいし、相手も困っちゃうよね。
アメリカ人の友達に送別会をしてもらったときは、本当にいっぱい泣いてしまった。
だって、日本とアメリカ、へたしたらもう二度と会えないかもしれない。そう思ったら、感無量になり。。。
メソメソ泣く私をハグしておでこにちゅーしてくれたけど、きっと泣き虫の子供みたいだったんだと思ういい年なのになぁ

今回、日本からアメリカへ来るときも、心配させるから絶対に泣くまいと思ってたのに、両親の前で泣いてしまった。最後に夫の実家に寄ったので、自分の実家から夫の実家に移動するとき、車の中でずーーーっと泣いてしまった。
あのときは妊娠中でホルモンバランスの変化も激しく、ちょっと普通じゃなかった気もするんだけど。

最近は、別れも経験してないので、大泣きすることはないけど、ドラマを見て泣いたり、日本にいる家族のことを思って時々涙ぐんだり。
母が産後の手伝いに来てくれて、帰ってしまった日は気が狂わんばかりに大泣きしてしまった。
子供の頃は、大人になればきっとこの泣き虫も治ると信じていた。大人になったら、些細なことは気にせず、自分の感情を上手にコントロールして、いつもみんなの前では冷静でいられると思ってた。
でも、実際は。。。
泣き虫というのはどうやら、なかなか治らないようです。一生このままかと思うと、ちょっといやかも。

自分の息子にこの泣き虫が遺伝していませんようにー。男の子なのに泣き虫じゃ困るよね

2007-06-20 23:09:28 | Monologue
今日は珍しく朝から雨。雷も鳴っている。
でも、この町は一日雨、ということがほとんどなくて、午後からは大概、さっきまでの大雨が嘘だったかのように、いつもの太陽光線ガンガンの真夏日になってしまうのだけど。
初夏が雨期のようで、時々こんな日が来る。
滅多にない雨なので、私はこの天気が大好き。家の中でまったりしながら、外の暗い雨を眺めてしみじみ。。。
…今は息子がいて、そうのんびりもしていられないんだけど。

こんな貴重な雨の日には、決まって思い出す出来事がある。
前回、この町に住んでいたとき、こんな雨の日に忘れられないことがあった。
それは、ある悲しい出来事に繋がってしまう思い出。
つい思い出してしまう。
それはとても大切で大切で… でもいろいろあって、失ってしまってもう取り戻せない。
もう考えても仕方のないことなのに、やっぱり思い出してしまう。
なんだか切ないなぁ。
でも、雨を見ながら、そんな気分に浸るのも悪くない。

やりたいこと

2007-06-12 08:16:35 | Monologue
以前、この街に2年弱滞在していたとき、仲良くしていたお友達が遊びに来てくれました。
彼女たちに会うのは1年半ぶりくらいかな。その頃まだ赤ちゃんだったお友達のお子さんはすっかり大きくなっていて、「○○ちゃん、大きくなったねぇ~」と親戚のおばちゃん状態でした。
彼女とは、ここへ来たばかりの頃、仲良くなり、他の3人と一緒に、アウトレットで買い物したり、一緒に家でクラフトしたり、お料理したり。。。
女同士、わいわいきゃーきゃー、楽しかったなぁ。
しばらくしてから、私も学校に行き始め、彼女も育児で忙しくなり、次第になかなか会えなくなってしまったのですが、初めてのアメリカ生活で緊張している頃、一緒に過ごした仲間だったので、思い出深い友達です。

彼女が家に忘れ物をしていったので、携帯電話番号を調べようと、3年前にもらったメールを探していたら、、、その頃、色々な友達とやりとりしていたメールが出てきて、つい読んでしまいました。
ああ、懐かしい。。
外へ出ると周りにいる人が異国人であることに違和感を感じ、いつも緊張していたなぁ。
買い物するにも、そのへんにちょこっといくにも、運転で緊張し、店員さんに話しかけられるとドキドキし…
どこに何のお店があるのかも分からず何もかも手探り状態で、すべての物にワクワクし、毎日が冒険みたいで、楽しかったなぁ。

今はすっかりこの街の生活になれてしまって、新鮮みはあまりありません。去年の12月にこちらに戻ってきたときも、違和感が全然なくて、ここに住んでるのが当たり前みたいな気分で。
居心地が良くて楽な分、ちょっとだれ気味、、、。

でも、今日来てくれたお友達に
「今回は何かやろうとおもっていることはあるの?」
と聞かれ、特に何も考えていなかったことに寂しさを感じました。
前回の赴任時は、「英語を上達させる」という目標のために、自分なりに頑張りました。ESLも一通り行ったし、家でも勉強しました。あらゆる英語関係のアクティビティに参加し、アメリカ人の友達と1対1で会話し、毎日、文字通り朝から晩まで出かけていました。
今は子供がいるからってこともあるけど、育児に追われて精一杯で、それで満足してたけど、、、私自身のためにも何かしたいな、って。
アメリカで暮らすのは多分、これが最後。
せっかくのチャンスだから、何か目標を見つけたいなぁ。

英語はもちろん、、、まだまだなので、頑張らなくちゃ行けませんね
私の場合、リスニングがダメダメなので、なにか見つけてこれを伸ばす方法を考えなくちゃ。
あ。買った英語のDVD、また見ていない。。。
まずは家にいるときも、出来る範囲でやらなくちゃ、ですね

友達

2007-06-04 13:53:18 | Monologue
毎日、息子をストローラーに乗せて、アパート内を回ったり、近くのモールへ行ったりとお散歩しています。その途中、アパートのポストによると、荷物が届いていて、管理オフィスで預かってるとのこと。
行ってみると、大きな小包でした。日本の学生時代の友人から。
中身を見ると、私が好きなAftenoonTeaのバッグと赤ちゃんのおもちゃ。
産後、赤ちゃんの物はたくさんもらって、それはそれでとってもうれしいのだけど、自分への贈り物は初めてだったので、感激でした。
それもわざわざ日本から。。。送料だって、きっと高かっただろうに。
夫に話したら、「そういう友達は大切にした方がいいよ。」って。
彼女は、以前海外に住んでいたときも、誕生日には忘れずにカードを送ってくれて、なんでもないときでも、かわいいカードに心のこもったメッセージを入れて送ってくれました。
海外に住んでいて、物理的に日本と距離が離れているときは、日本からのこんな気遣いがとても心にしみます。私のことを気に掛けてくれてるんだな、って。

この間、アメリカ人の友達と「Friend」についての話になりました。
彼曰く
「"acquaintance"(知り合い)という単語があるけど、これを日常に実際使っているのを聞いたことがない。アメリカ人にとっては、少し会って話しただけでも知っているひとなら"friend"という単語を使う。たとえ、一日前に会って、少し話しただけだとしても、誰かにその人のことを話すときは「ぼくの"friend"がね」となる。アメリカ人にとって、出会って"friend"になる時間はとても短い。僕には"friend"はとても安っぽく感じるんだ。
でも、日本人は違うんでしょう?"知り合い"から"友達"に変わるには少し時間を要する。出会って、いろんな話をして、お互いのことを知ってから"友達"になるんだよね。
そして、"友達"から"親友"になるには、また時間がかかるのでしょう?」

アメリカ人と日本人のfriendlyさについて気づかされる出来事でした。
でも、最近は日本人にとっても「友達」のレベルはとても低くなっているような気がする。
ネットで会って、少しチャットしただけでもう「友達」。何年か前に女子高生の間で流行ったプリクラは、何枚持っているか=友達の多さ=人気度、を測るバロメーターだった。
そして、最近人気のSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)mixiでも、マイミクが多ければ多いほど、その人はmixiの中で顔が広く、人気者、ということになる。
友達が多いってそんなにいいこと?人間性を示すこと?
私にとっては、「友達」は量よりも質だと思うけれどなぁ。

30余年も生きてると、いろんな経験をした。
自分が困難な状況な時、暖かい言葉をくれた人、逃げるように去っていった人。
自分の人生の節目の時、一緒に喜んでくれた人、そのまま避けて音信不通になった人。

女性は、就職したり、結婚したり、出産したり、、、などで自分に近い状況でないと、友達でいられない人が多い。
同じ学校だったり、同じ会社だったり、同じく既婚者、専業主婦、兼業主婦、子供あり主婦、子供なし主婦…同じカテゴリーに属してないと、話が合わないから?
でも、たとえば、兼業主婦から専業主婦など、カテゴリーが変わったら、また新しい友達を捜すの?それまでの友達はもう友達じゃない?

本当の「友達」はそんなの関係ないと思う。それこそ、性別、環境、立場など変わっても、それでもなお、相手のことを思えるのが、本当の友達。
相手が不幸な時は手をさしのべ、幸福な時は一緒に喜ぶ。
私も、そうありたいと思う。

昨日届いたアメリカの育児雑誌に、面白いことが書かれていた。
「子供ができて、育児真っ最中の女性は、24時間、子供のことばかりで、友達も同じ子供がいる女性になりがちだけど、出産する前の友達を大切にすること!
そういう友達と子供以外の話をすることによって、子供を生む前の自分の夢とか楽しみとか思い出すことができ、リフレッシュできる。
そして、子供がいない友達は、子供がいる友達のようにあなたの育児や子供について説教めいた意見を言わず、純粋に子供がかわいい、とか育児頑張ってるね、とか言ってくれ、変なストレスを溜めずつきあえるから」
だって。
そういう意見もあるね。

私は今は、「母」でもあるけど、一人の女性として、出産前の自分の世界も大切にしていきたいな。


本の楽しさ

2007-05-10 04:01:06 | Monologue
日本に帰国していた友達が、赤ちゃん用の日本語の絵本を出産祝いとして持ってきてくれた。
当然、アメリカには英語の絵本しかないので、(取り寄せたりすれば日本語も手にはいるけど)とても嬉しかった。

幼い頃、母は色々な絵本を読み聞かせしてくれた。
欲しい本をたくさん買ってくれたし、母と一緒に幼稚園の図書室の絵本を毎週借りるのが楽しみだったことをよく覚えている。
好きだったのは、滝平二郎さんの絵本。
「花さき山」や「八郎」、教科書にも載っていた「モチモチの木」など。
切り絵の幻想的な絵に、胸がきゅんと切なくなるような少し悲しいお話。
他には、「泣いた赤鬼」。これもとても切ないお話。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」も好きだったなぁ。

母がたくさん本を与えてくれたからか、私は子供の頃とても読書好きな子だった。
今も本を読むのはとても好き。本の中には別の世界があって、どんなに現実に疲れても本の世界に入って、つかの間つらかったり、悲しかったり、つまらなかったりする現実を忘れることができる。

だから、自分の子供も本が好きな子になってほしい。
本の楽しさ、日本語の美しさを私が教えてあげたい。

日本で、塾講師のバイトをしていたとき。
国語が嫌いな小中学生が多いことが悲しかった。驚くほどみんな、国語が出来ないのだ。特に文章問題。
私にとって、国語は得意中の得意科目。本をたくさん読んでいたせいで、国語のテストの文章問題は簡単に思えた。
きっと今の子供たちは、ゲームや携帯電話、テレビなどの方が好きで、読書する習慣がついていないのだと思う。

でも、塾では英語は重視されていて。親も英語教育にはとても熱心で、小学校から英語教室に通っている子供も多かった。
英語よりもまず、母国語の日本語をちゃんと身につけるべきじゃとよく思った。

前回、アメリカに住んだ経験から思うのだけど。
結局、母国語で自分の考えを整理して発言できなければ、英語でも無理なのだ。
日本語で自分の意見をしっかり述べることができれば、あとは単語や言い回しさえ勉強すれば英語でも言うことが出来る。
たとえ、子供の頃から英語教室に通わせてネイティブっぽい発音が身に付いたとしても、日本語で考える力がなければ、英語で発言する内容も薄っぺらになってしまう。
綺麗な発音で内容のない発言、よりもたとえジャパングリッシュのコテコテ日本人発音でも、内容が相手の興味を引くような深い物なら、相手もちゃんと聞きたい気持ちになる。
まず母国語できちんと考えを述べられることが、第二言語を身につける上でも大切だと、私は思う。

だから、アメリカにいるけど、特に自分の子供に英語をたくさん聞かせようとかは思っていない。
来年か再来年には帰国するだろうから、すぐに忘れてしまうだろうし、それよりもまず日本語をしっかり身につけてほしいから。
英語を勉強させるのは、子供自身が興味を持ってからで遅くないんじゃないかな。

それに、アメリカで産まれたので一応アメリカ国籍も持っている赤ちゃん。もし英語を好きになって、アメリカに「住みたい」とか言い出したら、悲しいし~

お母さ~ん

2007-04-25 13:54:15 | Monologue
日本から手伝いに来てくれた母が帰る日まであと数日。
最近、なんとな~く寂しくて憂鬱で、どうしてか原因をたどれば、母が帰ってしまった後、昼間は一人で子育て出来るかどうか心配で。

母はとても明るくて、社交的な性格。一見、どんと構えて大らかなように見えるけど、実は寂しがり屋で小心者な部分もある。
実は、日本にいる父がまた入院している。「時間さえ経てば治る病気だから大丈夫」と母は元気に言い、産後の私のためにアメリカに来てくれた。
入院している父の面倒は弟夫婦が見てくれているのだけど、今日、弟のお嫁さんにメールを送りたい、というので、私のPCを貸した。

夜、母も寝てしまい、赤ちゃんも寝て、のんびりメールをチェックしていると、母がお嫁さんに送ったメールが。
「お父さんのことが心配だけど、考えないようにしています。赤ちゃんは表情豊かになって、離れるのが寂しいです。」
いつも心配性の私の前では、父のことは「心配しなくても大丈夫」って言ってたのに、母もやっぱりすごく心配だったんだ。
そして、赤ちゃん。日本にいたら、いつでも会いに来られるのに、アメリカで出産したせいでしばらく会えなくてゴメンね。。。

私の前ではそんなそぶりを見せず、産後の私に余計な心配をかけないように、明るく振る舞ってくれる母。
本当なら、父のそばにいたかっただろうに。孫に頻繁に会いたかっただろうに。
やっぱり、母は偉大だ。
そんな母がもうすぐ日本に帰って、またしばらく会えなくなっちゃう。
そう思ったら、寂しくなってまた泣いてしまった。
あ~。ホルモンバランスのせいか、最近とっても泣き虫な私。

子供の頃みたいに、「寂しいよ~」って泣きたい気分。
でも、日本に帰る母に心配かけちゃうから、そんなことはできない。
そして、私も母親になったんだから、今度は私が赤ちゃんを守れる強さを持たないと。
このヨワヨワで泣き虫な私にそんな日が来るんでしょうか

主婦に向かない女

2007-02-02 15:27:10 | Monologue
日本にいた頃の私の想像していた「海外赴任奥さま」像は。

お料理、お菓子作りが得意。
家の中は、オシャレでちょっと高めなインテリアで統一し、いつもお掃除完璧。
クロスステッチ、編み物、トールペイントなどのクラフトを習っている。
昼間はお友達を家に招いて、得意の料理でもてなして、おしゃべりしながら趣味のクラフトを楽しむ。
会社の人などを招き月一くらいで自宅でパーティー。
夫のお休み時には長期でリゾートに旅行。

実際に海外に来てみて。
確かに上記のような生活を楽しんでいる方もいます。
しかし、自分は。。。

お料理は最低限。お菓子作り、簡単なレシピでかつ自分が食べたいときのみ作る。
貧乏性のため高い家具などはなんとなく買えず、とりあえず暮らしやすいように装飾。掃除は人が家に来るときしかしっかりやらない。
クラフトは習ったけど、たまにやるのみ。すぐ飽きて意味もなく外出。
家に招いてもたいしたおもてなしはできないので、おいしい物を友達と食べたいときは外食。
料理自慢じゃないので自宅でパーティーはちょっと。
夫はあまりお休みが取れず、取れたときはアウトドアっぽい場所に旅行。

およそ、想像していた赴任奥さんとはかけ離てます。
前回この町に来たときは、家事もおろそかにして、学校に行ったり、友達と遊んでて帰りが遅くて料理も手抜きしまくり。主婦とは思えない生活を送っていました。
海外に来てみて改めて、自分は家にいるのが向かない=専業主婦に向かない=女らしくない人間だと実感しました。
実の母親にも夫にも、考え方、行動が「男みたい」だとよく言われます。もちろん女々しい部分もあるんだけど。外面がいいので、外からはあまり気づかれないようですが。

そのせいか、気の合う友達も男っぽい女性が多いのです。
アメリカで仲良くなったAちゃんは「料理キライなのよね~。家にいるのはつまらないから、働くか大学院に行きたいの。」
Bちゃんは「育児で忙しくて今は無理だけど、少し子供が大きくなったら、学校に行くつもり。また自分の国に戻ったら働くつもり。」
など、家にいるより外に出て働くなり勉強するなりしている方が好き、って人が多い。
日本の友達も、結婚せず仕事に生きてる女友達が多く、主婦して子供を何人も育ててる人はあまり見あたらない。
類は友を呼ぶ、って本当だと思います

と、前置きがながーーーーくなったけど、これから出産する私は、しばらく育児に専念しなければならないわけで、家からも出られないわけで、、、
果たして、やっていけるのかな?いいお母さんになれるのかな?
とかすごく不安になるのです。
これからは自分の都合だけで好きなように生きられないんですよね。
まぁここまで来たら、主婦に向いてない私ですが、やるしかない。
幸い夫はとってもマメで子育てにも協力的な雰囲気なので、家にいるのが嫌になったら、夫に預けて一人買い物にでも行って気分転換しようかな、と思ってます。

また会う日まで

2007-01-21 02:16:32 | Monologue
以前、ここに住んでいたとき仲良くしていた日本人のお友達が帰国することになり、最後にうちで会いました。
私がこちらに着いてすぐ会う約束をしていたのだけど、私の風邪や彼女の体調不良でなかなか会えず、出発前のぎりぎりになってしまった。
彼女はとっても努力家で、アメリカ滞在中にある資格をとるため、コミュニティカレッジでアメリカ人に混じって勉強したり、公共施設で働くボランティアに参加したりとすごく頑張っていた。たった一人で英語でべらべらまくしたてられるアメリカ人の世界に入っていくのは、時には落ち込んだりもあったようだけど。
その結果、英語もかなり上達して、今はたくさんアメリカ人の友達もいる。
個人的にとっても尊敬していたお友達。

彼女が日本に帰国したときも会ったりして、離れてからも仲良くしていたのに、ようやく私がアメリカに戻ってきて、また頻繁に会えると思っていたら、入れ違いになるなんて残念。。。

以前も何度も書いたけれど、アメリカ生活で一番辛いのはこのお別れ。
私が知り合う外国人の友達は、みんなそれぞれ、学業や仕事のためにこの国に滞在しているのであって、目的が果たされたらみんな自分の国に帰っていく。
またアメリカ人であっても同じく、目的があってこの町に滞在している人が多い。アメリカではステップアップのための転職は当たり前だし、そのためには州をまたいでどんどん引っ越していく。
だから折角出会えても、数年するとお別れが待っている。
そして、自分もいつかは帰国するのだから、そのときには確実に、知り合った人たち全員と一度はお別れしなければならない。

出会えて同じ時間を共有して思い出を作れたことは、決して無駄ではないけれど、それまで当たり前のように会って話していた人と、急に会えなくなるのはとても寂しくて辛い経験。
特に私は狭く深く人間関係を作りたい人なので、密度の濃いおつきあいをしていた人と別れるのは、それまでの何かをもがれるような気持ちになる。

アメリカに来て「一期一会」という言葉の本当の意味を知ったような気がする。
いつか別れが来ることが分かっているからこそ、一緒にいられる時間をより大切にしなくちゃいけないのかもしれないね。

うれしい♪

2006-12-26 16:12:24 | Monologue
今日は久々の大雨。とっても寒く引っ越しの荷物まとめなどやってみる。
でもなんだか面倒になり、適当に仕分けして終わり。
まぁ、船便でも一ヶ月後には着くからいいか。。。
................................................

塾で仲良くしていた生徒がメールをくれた。
働いていた塾では英語の先生がもう一人いて、生徒の選択制になっていた。彼女はいつも私のクラスを取ってくれていた。
教えれば教えるほど、めきめき英語の成績が上がっていくのが感じられる生徒で、私もとっても教え甲斐がある子だった。
バレンタインに手作りチョコや、学校で作ったろうそくをわざわざプレゼントしてくれたり、しっかりした気だての良い子、という感じ。
私が辞めた後、彼女も塾を辞めたらしくずっと連絡が取れなくて、お別れもできなかったので気になっていたんだけど。

「アメリカに行っても元気で頑張ってください。先生の授業が大好きでした。前よりもっと英語が好きになりました。」

って書いてあって感激
私の教え方が正しかったのか今もよく分からないけど、英語に興味を持つきっかけになったのなら、こんなにうれしいことはない
こんなふうに目に見えて、自分の仕事の成果が出るのが「教職」のすばらしいところだと思う。「子供」という一人の人間に関わる大切な仕事。
以前OLしていた職場ではここまでダイレクトに自分の成果が見えて充実感を感じることが少なかった。
短い間だったけど、教える仕事に就けて良かったな~と改めて思った。