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Everyday is a Special Day.

英語、日本のドラマ、日々のあれこれについて熱く語ってます。

時間を有効に

2008-06-25 11:28:28 | Monologue
育児に奮闘?する日々です。子供のペースで生活しているので、毎日が同じスケジュールで進んでいきます。
7:30 起床、子供に離乳食をあげつつ、自分も食事。その後は家事
12:00 子供昼寝。その後は自分の自由時間。自分の昼食。
14:00 子供昼寝から起きる。離乳食をあげ、遊ばせる。掃除など。
15:00 散歩、買い物
16:00 帰宅。夕飯の支度。
18:00 子供に離乳食。自分も夕食。
19:00 お風呂。
21:00 子供を寝かしつける。その後は自由時間と家事。
24:00頃 就寝

これをこなしていると、一日があっという間です。離乳食をあげるとき、少量ずつ口に運んで、時には吐き出されて、、なんてやってると毎回30分くらいかかってしまって。毎日育児で過ぎていきます。
子供の日々の成長を間近で見られるのは楽しいです。今は親として子供のそばにいてあげたい。
でも、私は母親であると同時に一人の人間。自分の世界も持っていたいし、子供が成長したら社会復帰したいな~と思ってます。そのときのために、また自分の気分転換として、自由時間に何か勉強でもしようかな、と思い始めました。

私は心配性で、将来のことを考えあれこれ不安を感じたりします。
極端なことをいえば、今日と同じ状態が明日も明後日も続くとは限らない。自分の命だっていつまであるのか誰にも分からない。
だから、やりたいと思ったら、すぐに行動にうつしたくなります。今できることはさっさとやろう。やりたいことは今すぐに。

で、何かの資格でも取ろうかと考えつきました。目標があると、がんばれるし、やり遂げたあとの達成感はたまらない。将来に少しは役立つかもしれないし。
考えてみたのが、

児童英語教師
でも、7万円もかかるし、すぐに児童英語教師になれるかも分からないし。。まだしばらくは育児に専念したいし。そして、これを始めたら6ヶ月間はきちんと継続して勉強して教材をやり遂げないと資格は取れないしなぁ。

なので、英検準一級にチャレンジしてみようかな、と今は思ってます。
ネットで準一級の単語テストをやってみたら、7割くらいは解けたので、もしかしていけるかも、と思って。そんなに甘くないかもしれないけど、あともう少し単語を暗記して、数ヶ月勉強してみようかなーと。
これなら特に期限はないし、年三回行われているので、自分がいけると思ったら受けてみればいいかな、と。TOEICもいいのですが、これはスコアの有効期限が二年間なのです。今受けても、就職などスコアが必要なときにはもう無効になって受け直さなければならないかもしれない。英検なら一度取得すれば、一生履歴書に書けます。
なんだか燃えてきました。早速週末にテキストを見に行ってきます。
とか、言いつつ、テキスト見て難しくて無理そうなら、やめるかも。

私は倹約家、いえケチ。。。なので、高い受験料は絶対無駄にはしたくないのです。そして、それにかけた勉強時間も。
だからやるなら徹底的にやって一度で合格したい。
このケチ根性で、学生時代やOL時代、秘書検2級、宅建、初級シスアド、などを一回で取りました。どれもそんなに難しい試験ではないけど、宅建は民法など法律の勉強もあって、暗記物も多く、私には大変でした。
でも、一年に一度しか試験がないので、落ちてまた一年間勉強するのは絶対にイヤだったので、半年間、せっせと勉強しました。旅行先にまでテキスト持って行ったなぁ。でもその努力の甲斐あって合格したときは嬉しかったです。
あの充実感、達成感をもう一度!

…ここにわざわざ書いたのは人に見てもらうことによって、後戻りできないようにしようと思ったのですが。
もし、難しそうであきらめたら、笑って見逃してください~

氷室冴子さん死去

2008-06-07 22:27:36 | Monologue
小説家の氷室冴子さんが6月6日、肺ガンでお亡くなりになられたそうです。
ものすごくショックで、PCの前で固まってしまいました。
好きな作家は何人かいますが、自分の人格形成などを含めて、一番大きな影響を受けたのは、間違いなく氷室さんの小説。
中学の頃、コバルト文庫が流行っていて読み始め、ずっとずっと好きでした。新刊が出たらすぐにチェックして買いに行きました。中学、高校のお小遣いをいっぱい費やしました。

代表作は「なんて素敵にジャパネスク」シリーズだと思うのだけど、一番忘れられないのは「シンデレラ迷宮」「シンデレラミステリー」
その頃の自分の悩みとシンクロして、主人公の痛みが自分のことのように思えた。愛読書となった「ジェイン・エア」を読むきっかけになったのもこの小説。
ほとんど全作品持っていて、結婚したとき、他のコバルト文庫は処分したのに、氷室さんのだけはどうしても捨てられず、今も実家に置いてあります。

「なぎさボーイ」シリーズも好きだったなぁ。多恵子のお節介がキライだったのだけど、多恵子の視点から書かれた「多恵子ガール」を読んで印象が変わった。
槇修子は性格が悪くてイヤな女の子なのに、とても魅力的で、そんな小説のキャラクターに会ったのは初めてで忘れられない。

「ヤマトタケル」も大好きな小説。哀しく美しい物語。古事記に興味を持ったのも、この小説からでした。

「恋する女たち」は中学の夏休み、友達のおばあちゃんの家に連れて行ってもらって、そこで読んだなぁ。曼珠沙華は彼岸花のことだと始めて知った。

漫画「ライジング」も大好きだった。劇中劇はどれもすばらしく、中でも「レディ・アンをさがして」は泣いた泣いた。何度も読み返したのでせりふをそらで言えるくらい。氷室さんの小説はせりふがとても的を射ていて印象的だと思う。

「なんて素敵にジャパネスク」は、2の吉野君の話が大好きだった。「人を憎む目は赤く、愛する目は青い」だったかな。忘れられないせりふだ。憎みたいわけではないのに、憎まざるを得ない。切なくて、哀しくて、なんて美しい話なんだろう。

10代の思春期に読んでいたから、自分の考え方に大きな影響を及ぼした。
氷室作品に共通している主人公のキャラクター。たとえば瑠璃姫のような、間違った物は間違っていると言える強さと、一途さ、他人からどう思われても自分を貫く潔さ、がとても魅力的だった。
思春期、学校のことなどで思い悩んだ私を何度となく励ましてくれた。弱いから、悩んでしまうのだけど、それでも瑠璃姫のように強くありたい、あらなければ、と願った。
文章も描写が細やかで日本語として美しく、古典文学にも詳しく、私が国文科に入ったのは、今思うと氷室作品の影響大だったと思う。

2000年になってからはほとんど新作が出なくて、作家は辞めちゃったのかな、なんて思ってたら、こんなことに。。闘病生活を送っていたのかもしれません。
もう二度と氷室さんの新しい小説を読むことができないなんてとてもショック。

実家に帰ったら、とりあえず「シンデレラ迷宮」を取ってきて読み直そうと思う。
大人になった今読んだらまた印象が違うかも。
氷室冴子さん、素敵な小説をたくさんありがとうございました。先生の小説はずっと大切に取っておくつもりです。

不幸と幸福

2008-05-27 23:49:24 | Monologue
いつも愛読してる某巨大掲示板を読むと、よく

「つきあっていた彼が急に音信不通になりました。メールを送っても返事がないし、携帯に電話しても出てくれません。新しい彼女ができたようです。でも、思い切れないので、私は会って話したいです。どうしたらいいでしょうか。」

というような投稿がある。
大体の人の答えは

「音信不通にするというのが彼の出した答え。もうあなたに会いたくないのだから、無理に会ってもお互いイヤな思いをするだけ。もう忘れましょう」

「会って別れを告げずに音信不通にして連絡を絶つなんて最低な男。自分が傷つきたくないだけ。そんな男を追うだけ時間の無駄。早く忘れて新しい彼を探しましょう」

という物。
確かに理性ではそうなのかもしれないけど。
私はちょっと違う意見だ。

投稿者の気の済むようにやってみたら良いと思う。
たとえ、彼に新しい彼女がいて、もうあなたには会いたくないのだとしても、それが分かり切っていたとしても、彼本人の口からそれを聞くまではきっと納得できないだろう。
相手の話を聞かないまま、無理にそのまま忘れる努力をするのは難しい。
別れ話でボロボロに傷ついても、相手から辛い言葉を聞くことになっても、会ってきちんと話した方が良い。

そして、それまで好きだった人なんだから、
「音信不通にするなんて最低!だいっきらい!!」
なんて思いたくないじゃない。つきあっていた彼を否定することは自分の過去を否定することでもある。
音信不通には何か理由があるかもしれないし。なかったとしても、ちゃんと話してあいての考えを聞くことで、折り合いをつけられることも多い。
よく分からないまま、好きだった人を否定したくない。

…なんて考えの私は少数派なのかな。
白黒はっきりつけたい性格なので、どんなに傷ついても真実を知りたいと思ってしまう。うやむやになんてできない、したくない。
それがマイナス方向に作用することもあるけど。

ずっと昔、実際、上記のようなことがあって、上記のように行動したことがある。
彼氏というのではないけど、相手からぷっつり連絡が途絶えてずっともやもやして悩んでいた。
晴天の霹靂のようだった。とても大好きで大切な人だったから、そのままにしたくなくて。何もしない方が楽なのに、それまで苦しくて、傷つくのを覚悟でぶつかって、最後は話すことができた。どちらが悪いわけでもなく、悲しい結末だったけど、その行動には後悔していない。
相手がどう思っていたのか分かったし、どうすることもできないのも分かったから。最後に話せたとき、胸の中のもやもやしていた澱がすっと一カ所に下りていくのを感じた

話は少しずれるけど。
久しぶりにそのことを思い出してみたら。
そのときは悲しい結末を不幸だと思っていたけれど、それが結局、その後得た幸福につながっていることに気づいた。
その結末がなければ、もっと悪い展開を迎えていたかもしれないとも思う。
あのときは、相手の行動に納得いかなくて、後悔を感じたけれど、今になってみれば、相手に感謝したい。そこまで分かっていたのかな、とも思えたり。

改めて、物事はちゃんと進む方向に進んでいくのだと思った。あの結末も、そうなるべくしてそうなったのだと、今は思う。
一見、辛くて悲しいことも長いスパンで見れば、将来の幸福に繋がっている。今は素直にそう思える。
だから、今辛い目にあってる人、そう、その投稿者の人も、彼の音信不通は新しい未来の幸せに繋がる何かなのかもしれない。

…なんて考えられるのも、自分が年を取ったからかなぁ。
でもでも、やっぱり、その相手とまたどこかで出会って笑いあっていろんな話ができたらいいのにな。。。と思う自分もいるのだけど。

苦手なタイプ

2008-05-18 00:22:38 | Monologue
アメリカ時代の友達に会いに横浜に行ってきました。一年ぶりの再会。自分をしっかり持っていて、周りに流されない素敵な友達。
帰国後は、外資系の会社で働いているそうで、子持ち専業主婦の私とは全然立場が違うけど、思い出話とかアメリカと日本の良い、悪い相違点、など、久しぶりに喉が痛くなるほどおしゃべりに熱中してしまいました。
アメリカでの話は、他の友達にすると、ただの自慢話に取られかねないので、こうして腹を割ってアメリカのことを話せる友達は貴重です。

ビュッフェのお店でランチしたのだけど。。食べ過ぎた。ダイエット中なのにぃ家に帰る頃はちょっと胆石の疝痛発作気味でした。反省。

友達と別れた後、息子へのお土産の絵本を探しに本屋をぶらぶらしてたら、人だかりが。富永愛さんの講演会がやってました。
正直、テレビなどで見たときは、なんか変わった顔だよねー。なんて思って特になんとも思ってなかったのですが。
ものすごーく綺麗でした。
ほっそりしたお顔にすーっと通った鼻筋。切れ長のエキゾチックな目。ほっそりとして、すっと伸びた綺麗な手足。お肌なんて透き通るほど白くて陶器みたいでした。照明とか化粧のせいもあるのかな。
やはり、テレビに出るような人は一般の綺麗とは訳が違うなぁ。。なんて、思わぬところで目の保養してしまいました。
.........................................

友達と会った帰り、自分の周りにいる人のことを思い出しつつ、自分の「苦手なタイプ」ってどんなかなぁ?と考えました。
もちろん、自分に敵意があるような意地悪な人は苦手。
そうじゃなくて、悪意とかはないけど、どうしても苦手、というタイプについて。

私の愛読書「生きるヒント」で五木寛之さんがやっぱり、苦手な女性のタイプについて書いていて。
確か、「喜び下手な人」とあったような気がします。
(愛読書なのに、友達に長期貸していて今手元にないのでうろ覚え)
たとえば、相手を喜ばせようとプレゼントなどしたときに、本当は嬉しいのかもしれないけど、嬉しい気持ちを表現しなくて素っ気なかったり、ひねくれてわざと嬉しくないふりをしたり。
そういう人は苦手で、やっぱり、嬉しいときは素直にそれを表現してくれる女性がいい、と書かれてあったような。

私の苦手なタイプもそれに似ているかもしれません。
あまり反応のない人や無表情な人は苦手。
自分は小心者で気にしやさんなので、誰かと一緒にいると、相手が楽しんでるか気になってしまうタイプ。
「私、今変なこと言ったかな。」
「あんなことしていやだったかな」
とか些細なことが気になったり。
そんなとき、一緒にいて楽しそうに笑ったり、話したりしてくれる人なら安心。
大雑把に言えば、多少、好みや性格が違っていても、自分といて楽しそうな人なら誰でも友達になれるかもしれません。
でも逆にいくら好みが似ていても、一緒にてつまらなそうだったり、何か話しても反応がなかったり、無表情だったら、心配になってしまう。
「私嫌われてるのかも。。」とか。

だから、私は、わりと自分の感情をはっきり表に出す人の方が好きです。一緒にいて楽。わがままでもはっきり言ってくれる方がいい。そしたら、自分が合わせられることは合わせるし、できないときは断れるし。
何を考えているか分からない感じのタイプは苦手。
周りの友達を見ても、そういうタイプが多いです。

今は専業主婦だから、日常は夫と子供、家族としか接しないし、プライベートでは好きな友達とだけ会えばいいけど、もし働いていたら、自分の苦手な人が同僚にいるかもしれない。でも、それでもうまくやって仕事を進めないといけないんですよね。
働くのって大変だなぁ。
すっかり無職になれてしまった私は最近しみじみ思ったのでした。
働いている人はそんなストレスにも耐えて、毎日早起きし、家のことも会社のことも済ませて本当に偉い。
って、お気楽専業主婦の私に言われてもあまりうれしくないかも

Qualitiy of Life

2008-04-18 11:30:50 | Monologue
育児の合間の息抜きに見ている掲示板で気になる投稿があった。
「激務な方へ」
今の日本の社会に対し考えさせられる。私はこのトピ主さんの意見に賛成。
働いていた頃だったら、「そんな理想論!」と反論している人たちと同じように思っていたかもしれないけど、アメリカに行ってから考えが変わった。

アメリカでは働くのが人生の直接的目的ではなく、自分の趣味を楽しむためや家族と豊かに過ごすためのお金を稼ぐために働くという考え。
だから、みんな定時になると帰宅する人が多いし、日本のように夜の11時や12時まで残業しない。(もちろん、そうじゃない人もいますが、全体的に)
家に帰って家族と過ごす時間や自分の時間を楽しむことに重点を置く。
みんな趣味を持っているのが当たり前で、その趣味はひとによっては何個もあったり。週末には湖でウォータースポーツを楽しむ人、ラジコンの大会に出る人、などなど、、、アマチュアなのにプロ並みに趣味にお金を掛けている人も多く、みんな楽しそうだった。
アメリカ人の友人に日本の激務なサラリーマンの話をすると「Quality of Life」について話してくれた。人生は短い。死ぬときにどれだけ自分のしたいことをしたか、楽しんだか、精神的な満足度が問題。物質的にお金がたくさんあっても、それを使って楽しめなくちゃ意味がないよね。と。
確かにそうだよな、、としみじみ思った。余暇を自分の好きなように楽しんでいるアメリカ人たちが本当にうらやましかった。生きるって本来こういうのが理想だよな、って。

でも、日本ではそれを実現することは難しい。夫が帰ってくるのは9時過ぎ。子供はもう寝ているから、夜は寝顔しか見られない。うちは夫の勤務先も近いし、今は仕事が落ち着いている時期だから、全然良い方。
世間の日本人サラリーマンは11時や12時に帰るのは当たり前。通勤のために朝は5時起き。2時間近くかけ、通勤ラッシュにもまれて通勤、なんてお父さんもたくさんいるだろう。
そして、会社に行くと、早く帰ると仕事していない人っぽいイメージがあるから、たとえ仕事が忙しくなくても定時に帰るのは憚られる。
私が働いていた頃もそういう人をよく見た。残業していると、のんびりおしゃべりしながらいつまでも残っている人。。暇なら早く帰って子供と遊んであげたらいいのに、と思ったけど、周りの目とかもあったのだろう。あとは残業代稼ぎとか

仕事は大切だけど、仕事のために家庭や自分の身体を犠牲にするのってどうなんだろう。はっきり言ってしまえば、どんな仕事でもその人の代わりはいる。でも、子供にはお父さんはただ一人、妻には夫はただ一人。自分を犠牲にしたって会社なんて責任取ってくれない。
日本では家庭を顧みず仕事に生きる男がかっこいいみたいな美学があるけど、、それがサラリーマンのストレスを生んでいるような気がする。

もちろん、早く帰りたくてもいろんな事情でそうできない人もいるだろうし、転職することも難しい人もいるのはわかってるけどね。すでにできあがってる社会通念は根強いし。
でも、激務で日々の仕事でストレスを感じ、それが今の自殺とか犯罪を生んでいるような気がする。他人に優しくなれないのも自分が仕事で疲れているから。
すぐには無理だろうけど、日本ももっと自分を大切にQuality of Lifeを考えるような働き方になればいいのになぁと思う。

2008-03-30 23:21:42 | Monologue
以前読んだ本で「Y」というのがあった。Yの字を見ると、人生の分岐点のよう。右に行くか、左に行くか、で、未来、その後の人生がまったく違ったものになる。

今日は働いていたときの親友が家に遊びに来てくれました。帰国後初。1年半ぶりくらいかな?彼女たちとは入社当時に知り合ったのでもう20年近くのつきあい。
大人になってから気心の知れた友達を作るのは難しいけど、彼女たちとはよく旅行に行ったり、会社のクラブの合宿に行ったり。。同じ時間を長く共有したので、お互いの良いところも悪いところも知った気の置けない友達です。
私以外の二人はまだ働いているのだけど。会社では仕事以外にいろんなストレスの原因があるようです。
特に女性同士の関係。他人を陥れるためにあれこれ策を練って実行、、、でも、普段はとてもそんなことしそうな人に見えないナイスな態度だったり。聞いていて背筋が寒くなりました。
私が退職した一因も、アメリカ以外にそれが関係していたりもするんだけど。
働いていると、職場や社内の人間関係は大事です。人間関係が悪くなると仕事もうまくいかなくなることもあるし、一日の大半を過ごすのだから、人間関係が良い方が良いに決まってる。
でもそのためにいろいろな人とうまくやっていかなくてはいけないわけで。ストレスも溜まるよね。
でも、私が働いていた会社はいわゆる大企業なので、福利厚生は最高。年々、育児休暇制度などが充実して、私が勤めていた頃よりも信じられないほどよくなっているそうです。今なら、私も会社を辞めずに夫のいるアメリカに行けたかもしれないなぁ。。
アメリカに行かなければ今もそういう制度を利用してうまく働いて、お金をもらって、働くママだったのかも。

でも「Y」の時点で選んでしまったから、もう、あとには戻れない。
退職してアメリカに行ったからこそ、違った価値観を持つことができて、それまでとは違う考え方ができるようになりました。ものの見方は格段に広がったと思います。
そして、アメリカでのたくさんの素敵な出会い。日本でずっと同じ会社で働いていたら出会うことがなかったでしょう。それまで出会った人たちは、同じ学校、同じ会社、どうしても似たような境遇で同じような考え方をする人が多かった。でもアメリカで出会った人たちは、まったくタイプが違う人も多く、彼らから、たくさんの物をもらいました。
たった?3年間のアメリカ生活だったけど、私の人生、それに対する考え方とかものすごく変わりました。
だから、「Y」地点で選んだ道は間違ってなかったと言える。
ま、隣の芝生は時々青く見えるのです。

これからの未来もその選択を後悔する日が来ないよう、自信を持って進んでいくしかないです。さー、明日からまた頑張るぞ。
これを読んでくれてるあなたも、自分の選択は正しい!っていつも自信をもっていてくださいね

「しあわせ」ってそういうことなんじゃないかと思う今日この頃。

「キミはともだち」 平井堅

2008-03-12 23:07:18 | Monologue
「何かやらなくちゃ」みたいな焦りはとりあえず英語勉強に持ってくことにしました。iKow!の教材を一日2つくらいやり単語学習、Gyaoでドラマ「Friends」を一作ずつ見てリスニングをやることにしました。車に乗るときはTOEICの模擬問題のCDを聴きながら運転するつもり。
で、そのうちTOEICを久々に受けてみようかと思ってます。子供がいるので、いつになるかはまだ未定ですが。
せっかくアメリカで英語がのびた気がしたのに、また下がっていくのは悲しいので。
............................

Gyaoで音楽のビデオクリップを見て気晴らしが最近の日課。
今日は平井堅の曲をいくつか聴きました。
平井堅の声は本当に聖らかできれい。聴いていると、脳内にアルファ波が出ている気がします。
好きな曲はいろいろあるけど、一番好きなのは「キミはともだち」。この曲の歌詞にはすごく思い入れがあって、一時期は聴くのも辛くずっと封印してました。
でも久々に聴きたくなって、youtubeで検索したら出てきました。
初めてビデオクリップを見たんだけど、これすごく泣けます。歌詞と音楽にぴったりアニメーションが合っていて、感動。
今ならGyaoでも聴くことができます。こっちの方が画像はきれい。

アメリカに行ってから、車の中ではいつもラジオを聴いていて、すっかり洋楽ファンになってしまいました。
でも落ち込んでるときや、悩んでるときは、耳を澄ませて歌詞をじっくり聴ける日本の音楽が良い。
最近はやりの曲にはもうまったくついていけないけど、(年齢+アメリカに数年いたため)昔から好きなアーチストの曲は、アメリカでも心をいやしてくれました。
音楽は偉大。
息子にもいろんな音楽を聴かせて、音楽が好きな子になってほしいな。

「キミはともだち」 平井堅



かえりたい

2008-03-10 23:25:43 | Monologue
昨夜は息子が何度も起きたので、そのたびに抱っこして寝かしつけ、、もうヘトヘト。
私一人だったら眠いときはいくらでも寝られるのに、、、息子は決して私を一人で寝かしてはくれない
横になってると、いたずらしようとして机に頭をぶつけて泣いたり、ハイハイして物の隙間にはさまって出られなくなって騒いだり。
眠いのに眠れない。。。ツライっ。

でも、絵本を読んであげると最近はわかってきたみたいで、にこにこ笑ったり、遊び歌を歌ってくすぐるときゃっきゃっと笑ったり。とってもかわいい。親ばかな私は家の中だしーと、「かわいいねー」と一人言いまくり本当に目の中に入れても痛くないとはこのことか。そんなときは天使だけど、夜中に泣きやまないときは悪魔に見えるー
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息子の写真を整理していたら、アメリカで撮った写真がたくさんあった。
友達と撮った写真、あの町の観光地で撮った写真。。。
もう懐かしくて胸がキュンとした。
楽しかったな。帰りたいよー。
アメリカにいたときの方が、心から楽しんで自分らしくいられたような気がしている。
もちろん、限られた期間だから楽しいんであって、永遠にアメリカで暮らすとなると覚悟も違うし、会社の補助なしにアメリカに住むには苦労もたくさんあるわけで。
駐在という立場で短期間だからだと言うことはわかってるけど、アメリカにいる間はすごく楽しかった。
アメリカ人の友達がいつも「人生は長生きすればいいってものじゃなく問題は「Quality of Life」だよ」って言っていた。私の場合、アメリカにいたときの方が充実していたように思う。
今は楽だけど、毎日育児だけで過ぎちゃって、一日が終わると「人生これでいいのか」みたいに思ったり。欲張りな私は「お母さん」でいるだけじゃ物足りないんだよね。

アメリカを懐かしんでばかりいても仕方ない。もう戻れないんだから、とりあえず前に進まないと。
そう思っても、つい過去を愛でて郷愁に浸ったり。
ぷちカルチャーショックなのかもしれない。時間とともに解決するとは思うけどね。

こんなときはあの言葉
「どこにいても私は私」
そう。自分次第で人生を変えていけるんだ。今は育児で余裕がないけど、もう少し落ち着いたら新しい目的を何か探したいな。

神さま

2008-01-22 14:24:26 | Monologue
今日はいつも行っていた教会ESLの先生とランチ、その後ドイツ人の友達とお茶、と忙しい日でした。
教会の先生たちには先週クラスがあったときにお別れを言ったのだけど、その後メールが来て、ランチのお誘いが。引っ越しで忙しいのだけど、お世話になったし断るのもなんだよなーと思って出かけました。
でも、なんで急に個人的にランチ?なんかこういうシチュエーションって以前もなかった?
とイヤーな予感もしたのだけど。
ランチをご馳走してもらって、いろんな雑談をした後、なんとなーく話がキリスト教関係に。教会でのESLの時もふつうの英語の勉強とバイブルスタディの時間があったのですが、そのときは聖書について勉強する、って感じでいろいろ意見を求められたけど、適当に流したりしていました。
でも、今日は先生が急に「日本語の冊子を持ってきたの」と言って、見せてくれたのはキリスト教の教えについてサマライズされた冊子。
なんとなく悲しい気分になりました。先生が優しかったのは私が信者になりそうだから?最終手段はキリスト教を広めるため?

あなたは神様はいると思う?
と聞かれたので、「いると思うときと、いないと思うとき、半々」
と答えました。
だって、世の中にはものすごく悪いことをしても捕まらずのうのうと生きていたり、人をだましたり欺いたりする悪人が成功して大金を手に入れて悠々と暮らしていたりする。
心が清く正しく神様を信じて質素な生活をしていても、身内に不幸が起きたり、自分が病気になったりする。
本当に神様がいて信じたら幸せになれるのであれば、そんなことは起きないはずだと思う。
なんて言ったらきっと、先生は、お金がなくても病気であっても、信じることで心が満ち足りて幸せな気持ちでいられる、と言うかもしれないけど、、
私には、それは神様がいない証拠のように思える。もしいるなら、正しくまじめによいことをした人がみな幸せになれるようにしてほしい。神様がいたらいいのに、ってよく思うけど。

ほかにもいろいろ考えることはあったけれど、食事をご馳走してくれたし、親切にしてくれたのは事実なので、話は最後まで聞いて否定も特にせず、質問されても興味なさげに「よくわかりません」で通した。そうしたら、最後はあきらめたのか、話を変えてふつうにお別れした。
先生たちは本当に親切で、無料でESLを開いてくれて。。でもよく考えれば、いや、よく考えなくても、やっぱり目的は布教活動なんだよね。
で、悪気があるわけでもなく、心からキリスト教を信じていて、それを広めることが自分たちの使命だと思っている。
聖書にはいいこともたくさん書いてあるし、お話として読んでおもしろい部分もあるから、「興味深かった」とかリップサービスも入って言ってしまった私のことを、「布教の価値あり」と踏んだのかもしれない。
日本人的曖昧な態度はよくないね。はっきり、私は「キリスト教信者にはなれない」って態度を見せるべきだったかな。でも無料のESLに言ってたんだから、布教活動を受けるくらいは仕方ないか。

私はふつうの日本人のように、特定の宗教は信じていないけど、漠然とした神様を信じて畏れるような倫理感みたいなものはもちろんある。
私の中の神様は宗教に関係なく、いいことをした人を救ってくれて、悪いことをした人は罰が当たる。何かするときも、その神様に背くような行為はしないようにしている。
神様はいるんだろうか。いたらみんなもっと幸せになれると思うんだけどな。

Unspoken Understanding

2007-10-22 06:15:21 | Monologue
昨日、久しぶりにアメリカ人の友達(DCに行って戻ってきた)に会いました。
彼はインターナショナルリレーションシップとかに興味があって、よく海外で暮らすことについて話題になります。彼自身もいつか日本で働いてみたいそうだし。
で、「キミはアメリカに住んで、いろんな意味で何か変化があった?」と聞かれました。
アメリカに来たのは3年前。ここでの暮らしもトータルで約3年。
まったく違う国でそれまでの生活をまっさらにリセットし、新しい生活へ。
環境では、多くの変化があり、特に自分の考え方や性格は、すごく変わったと思います。
この間、働いていたときの社内報を見ていて、ふと思ったのが、
「あー、私も数年前はこの会社で10年以上も働いていたんだなぁ。毎日、同じ会社に行って、同僚に会って、同じような暮らしをずっと続けていたんだよな」
会社でこの社内報を眺めていた頃は、まさか自分がアメリカに住むとは思っていなかった。
今は、アメリカで出産して育児して、アメリカ人、そのほかの国の人、ここで出会った日本人、たくさんの友達がいて、外国語で生活している。当時は、考えられなかったよなぁ。

自分の性格の変化として。
以前よりフレンドリーになったと思う。
生まれつきの性格としては引っ込み思案で怖がり、人見知りをする方でした。子供の頃は通信簿に「もっと積極的になりましょう」と毎回書かれていたし。学年があがりクラスが変わるたび、新しい環境に馴染むのに時間がかかり、友達を作るのにも苦労し。
でも、今は初めて会った人でも、気にせず話しかけられるし、誰とでもうまくやっていける方だと思います。いろんな人から「フレンドリー」と言われます。
初めてここに来たときは、無理して笑顔を作って、いろんな人と仲良くしようと頑張ってたんだけど、それがいつの間にか無理せずに自然に出来るようになり、そのまま定着した感じ。
性格を変えるのはなかなか難しいと言うけれど、海外に暮らすとかの大きな変化があると、否応なく自分を変えざるを得ないというか。
以前は「他人が自分をどう思うか」を気にしすぎていたけど、あまり人の心の裏まで考えない人が多いアメリカ人に影響され、私も「どう思われてもいいやー」と思えるようになりました。
これは年をとったせいもあると思う。世の中にはどんなに頑張っていい人になっても、私を嫌いな人は必ずいるだろうし、それはもうどうにも出来ないことだから、良い意味であきらめがよくなったというか。
他人を気にして、やりたいことを我慢する方が勿体ないと思うようになりました。もちろん他人に迷惑をかけない範囲でだけどね。

そこから派生して。
日本人の「暗黙の了解」みたいなのが苦手になってしまいました。
よく、暇なときに、日本の某大手掲示板を見ているのだけど。

「友達と出かけて、自分が車を出したとき、友達が「駐車料金払うよ」と言ってくれました。でも、「いいよ。気にしないで」と答えたら、「ああ、そう」とすぐに引っ込めました。
本当は自分が車を出すことが不満だったし、駐車料金も払ってほしかったので、こちらが言わなくても、相手から気を遣って払って欲しかった。こんな友達とはもうフェードアウトした方がいいでしょうか」

というような悩み相談がありました。
これを読んで、違和感を感じました。そんなに払って欲しいなら、友達が駐車料金を申し出た時に「ありがとう」と受け取れば良かったと思うし、不満に思うことがあるなら、何も言わずフェードアウトする前に、正直に友達に話してみたらいいと思う。だって友達だったんでしょう?

でも、他の人の意見では、「日本人のマナーとしては、駐車料金を払うと言って、「いいよ」と言われても、あともう一回か二回、「ええ、そんな。払わせて」と言うべき」というのがあって。
ああ、日本人のマナーって大変だなぁと思ってしまいました。
よくレストランのレジなどで、おばちゃんたちが「ここは私が払うわ。」「いえいえ、私が」みたいな形式上のもめ事?
相手を思いやって先に行動するのが、日本人の良さかもしれないけど、何も言わないで、勝手に心の中で相手に怒って、そのままフェードアウトしてしまったら、相手もなんだか分からないし、自分も嫌な気持ちが残るだけ。

その点、アメリカは「Yes,No」ははっきりさせる文化なので、楽に感じることもあります。
アメリカ人や他国人の友達に何か頼まれて、それが自分にとって無理だったり、負担になるなら、「ごめんね。無理なの。」と断っても、相手もあっさりしたもので、「そう、わかった」で以上、おしまい。
日本人同士だと、はっきり断れず、曖昧に答えたり、嫌々OKして、後から相手に、こちらの嫌な気持ちを察してよ、と不満に思ったり。他の誰かにそのひとの愚痴をもらしたり。
そういうのが、なんだか面倒になってしまった今日この頃。
心の中で、相手をイヤに思ってしまうくらいなら、最初から断ればいいのになぁって思ってしまう。

会社で働いてたときは、同僚の仕事ぶりに疑問を感じても、周りとの和を大事にし、本人になんて決して言えなかったし、その分、そのフラストレーションを友達と愚痴ったりしてはらしてました。
私もいかにも日本人、だったし、相手にはっきり言えないシチュエーションがあるというのは分かるのだけど。
それでも、相手のことがとことん嫌いになって、自分もストレスを感じてしまうくらいなら、その前に相手に伝えた方が前向きなんじゃないかな、と最近は思います。

相手の言葉を額面どおり受け取っちゃダメで、心の奥まで読まなくちゃいけない。日本のすばらしい文化の1つだけど、ちょっと面倒だ~

…というようなことを友達と話していて。
日本とアメリカのラブストーリーの違いについての話になりました。
私はアメリカのラブストーリーはあまり好きじゃありません。
ハリウッド映画のラブストーリーって、ある日いきなり恋におちて、すぐに両思いになり、急に何か起きてお別れ…みたいなのが多くないですか。
私は二人が恋に落ちるまでの課程とか丁寧に描いた日本のものの方が好き。たとえば、ずっと片思いだったのが少しずつ両思いに変わる、、とか。
…と話したら、片思い=unrequited love(報われない恋)は、アメリカではあまり存在しない、と。
だって、アメリカは「Yes,No」はっきりさせる文化。自分の気持ちも正直に相手にすぐ表現する。だから、「彼が私を好きなのかよく分からない。相手の気持ちが読めない」なんてシチュエーション、起こりにくいんだよね。
日本でそのような「片思い」が発生しやすいのは、今まで書いたように、本当は断りたいのに断れなかったり、好きなのに嫌いなフリしたり、、、という私が面倒くさがってる文化のせい。

そう思うと、「ここは私が!」みたいな日本の面倒くさいやりとりも、風雅で独特なもので、やっぱり素敵だな、と思ったりして???