ランニングを始めてから19年目に突入します。
この間、足については膝痛・転倒による腿の怪我、足首痛とありました。
普通に走り、歩けることのありがたさは、苦しい状況になってはじめてわかったり、思い出されたりします。
昨年は利根川河口からの企画ランは、最終ステージを走れずに悔しい思いをし、アクアラインマラソンは楽しかったのですが、猛烈な足攣りで厳しいランを経験しました。
そんなとき、楽走会仲間のF氏のFacebookで健脚のお守りが出ていたので参考にして、ひょんなことから谷中に「日荷(にちか)上人」という健脚の神様がいらっしゃることを発見!お参りしてきました。
千代田線根津をおりて谷中の町を進み坂を登ります。このあたりはとてもお寺が多いですね。
延壽寺というお寺の中に日荷堂はありました。
同寺HPによると
日荷上人(にちかさま)ものがたり
東京都台東区谷中の延壽寺境内にある『日荷堂』。
門前にも「足病守護 (あしのかみさま) 日荷上人安置之所」と掲げられているように、このお堂には「健脚の神様」、日荷上人が祀られています。
むかしむかし、今から約七百年前のお話
日荷上人は、南北朝時代のお坊様。
出家前は現在の横浜市金沢区六浦あたりに住む裕福な商人であったと言われていますが、残念ながら詳細な資料に乏しく、定かではありません。
しかしながら、上人様の偉業を伝える話は今も語り継がれています。
「健脚の神様」と呼ばれるようになった由縁が、以下のおはなし。
ある夜、六浦妙法 (日荷上人という尊称を授かる前の法名) の夢枕に仁王尊が現れました。
「われは称名寺の仁王だが、改宗して身延山の守護神になりたい。
おまえの力でなんとか身延山に送り届けてほしい」とのお告げでした。
さっそくそのお寺に「仁王をいただきたい」とかけあったのですが、もちろん聞き入れてもらえません。
そこで一策。和尚が囲碁好きということを耳にした妙法は、仁王像を賭けた勝負を挑んだのでした。
なんとか妙法が勝ち、約束どおり仁王を貰おうとするも、和尚は「あれは冗談」と取り合いません。
さらには、「あんな大きい仁王を担ぎ出せる訳がない」とも。
そこで妙法、ある夜のこと。
ひそかに山門から仁王尊二体を担ぎ出し、それらを背負うこと三日三晩。
横浜の地から富士山の裏にある身延山まで、歩き通しに歩き、奉納に成功したのでした。
ことの次第を聞いて身延山の住僧はたいそう驚きました。
現在伝わる「日荷」の尊称は、このときの住僧が授けたものだそうです。
「日」はもちろん、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人から。
「荷」の文字には「荷物」の他にも、「任務」や「責任」といった意味もあります。
その怪力無双と篤い信仰心に感激した住僧が、
妙法の健脚に相応しい名前として考えたものでした。 (以上転載)
お参りしたので、お守りを…と思ったのですが、どうやらお分け頂くところはなく、HPで申し込み後、
祈願して頂いたものを配送して頂けるようで、表題写真のものはそうして頂いたものです。
谷中の散策を楽しむランをしながらお参りをして、そしておいしいものでも食べてなんてランが出来たら楽しそうです。
今回私は出勤前でそそくさと帰ってきてしまいました。(残念)
足の怪我や病気に苦しむ仲間、そのご家族の健康を共に祈って参りました。
皆さん今度是非ご一緒しましょう。
この間、足については膝痛・転倒による腿の怪我、足首痛とありました。
普通に走り、歩けることのありがたさは、苦しい状況になってはじめてわかったり、思い出されたりします。
昨年は利根川河口からの企画ランは、最終ステージを走れずに悔しい思いをし、アクアラインマラソンは楽しかったのですが、猛烈な足攣りで厳しいランを経験しました。
そんなとき、楽走会仲間のF氏のFacebookで健脚のお守りが出ていたので参考にして、ひょんなことから谷中に「日荷(にちか)上人」という健脚の神様がいらっしゃることを発見!お参りしてきました。
千代田線根津をおりて谷中の町を進み坂を登ります。このあたりはとてもお寺が多いですね。
延壽寺というお寺の中に日荷堂はありました。
同寺HPによると
日荷上人(にちかさま)ものがたり
東京都台東区谷中の延壽寺境内にある『日荷堂』。
門前にも「足病守護 (あしのかみさま) 日荷上人安置之所」と掲げられているように、このお堂には「健脚の神様」、日荷上人が祀られています。
むかしむかし、今から約七百年前のお話
日荷上人は、南北朝時代のお坊様。
出家前は現在の横浜市金沢区六浦あたりに住む裕福な商人であったと言われていますが、残念ながら詳細な資料に乏しく、定かではありません。
しかしながら、上人様の偉業を伝える話は今も語り継がれています。
「健脚の神様」と呼ばれるようになった由縁が、以下のおはなし。
ある夜、六浦妙法 (日荷上人という尊称を授かる前の法名) の夢枕に仁王尊が現れました。
「われは称名寺の仁王だが、改宗して身延山の守護神になりたい。
おまえの力でなんとか身延山に送り届けてほしい」とのお告げでした。
さっそくそのお寺に「仁王をいただきたい」とかけあったのですが、もちろん聞き入れてもらえません。
そこで一策。和尚が囲碁好きということを耳にした妙法は、仁王像を賭けた勝負を挑んだのでした。
なんとか妙法が勝ち、約束どおり仁王を貰おうとするも、和尚は「あれは冗談」と取り合いません。
さらには、「あんな大きい仁王を担ぎ出せる訳がない」とも。
そこで妙法、ある夜のこと。
ひそかに山門から仁王尊二体を担ぎ出し、それらを背負うこと三日三晩。
横浜の地から富士山の裏にある身延山まで、歩き通しに歩き、奉納に成功したのでした。
ことの次第を聞いて身延山の住僧はたいそう驚きました。
現在伝わる「日荷」の尊称は、このときの住僧が授けたものだそうです。
「日」はもちろん、日蓮宗の開祖である日蓮大聖人から。
「荷」の文字には「荷物」の他にも、「任務」や「責任」といった意味もあります。
その怪力無双と篤い信仰心に感激した住僧が、
妙法の健脚に相応しい名前として考えたものでした。 (以上転載)
お参りしたので、お守りを…と思ったのですが、どうやらお分け頂くところはなく、HPで申し込み後、
祈願して頂いたものを配送して頂けるようで、表題写真のものはそうして頂いたものです。
谷中の散策を楽しむランをしながらお参りをして、そしておいしいものでも食べてなんてランが出来たら楽しそうです。
今回私は出勤前でそそくさと帰ってきてしまいました。(残念)
足の怪我や病気に苦しむ仲間、そのご家族の健康を共に祈って参りました。
皆さん今度是非ご一緒しましょう。
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