第1回のせっかくの企画、事情により不参加になっていました。
楽走会の公式な第1回ランはこちら
では、その4日後に一人でルートを辿ったレポートを、私の個人的感想を織り交ぜてレポートします。
冒頭写真はJR成田線の新木駅。私達家族が東京から引っ越してきたとき、新木駅は屋根も駅舎もない無人の駅で、こんな立派ではなかった。手前の空き地には地元農家の方のたばこ屋があり、「担ぎ屋」といって東京に現金収入を得るために出稼ぎに行っているおばあさんがいた。
この方とうちの母が親しくなり、手伝ってあげたり、お礼に食べ物や野菜をもらったと聞いた。
新木駅すぐ近くの気象台記念公園は退職後の父の散歩コースで、ココがどうして気象台記念公園という名前なのかは、あまり考えたことがなかったので、今回新しい発見。
国道356号線(成田街道)を行くと、ファミレスのあったところがまだ残っていた。ここは「ステラ」というチェーンでない単体のファミレスで、家族でもいったし、父母のダンス仲間の社交の場でもあった。閉鎖したあともドラマ撮影に使っていたそうだ。
先に進む。
布佐に近づくところに宮ノ森公園が。こちらもこちらに近接する竹内神社も地元なのに行ったことのないところで、今回のコース設定に感謝!
356号線に出て、栄橋方面に行くため、陸橋に登る。
上がるとすぐに栄橋からの利根川が見えてくる。この風景は長年見てきた故郷の風景だ。
雄大な利根川は心が落ち着く。
利根川右岸を走って行く。
かつての利根川楽走会平和祈念マラソンコースの桜並木がある。かつて植樹されたものが今はこんなに育った。楽走会の歴史も長い年月が刻まれたことがこの木からも分かる。暑くなり梅雨が明けるとの朝の天気予報だったが、この木陰を走る頃は少し風もありなんとか凌げた。
桜の清聴にも感謝。
そして小貝川に入る。随分合流点から遡ってから0キロ地点があり、みんななんで?となるが、私の推測ではかつてはココあたりが合流点だったのでは?
だんだん中州のようなところが伸びてこのようになったのだ(なんの根拠もない推測)
そしてこの辺は戸田井橋。ココを右に曲がったところにあった打ちっぱなしゴルフ場は兄とよく行ったところだ。
暑さが増す中、目に入ったのが小貝川のかつて流路の三日月湖。我孫子の利根川の古利根沼と同じようなことのようだが、ココは初めて来た。
そして、このあたりは昭和56年の小貝川決壊地点という碑があった。
私達が引っ越ししてきたその年のことで、対岸とは言え、川の増水と決壊という出来事は当時ショッキングだった。
三日月湖を東へ迂回するように走ると湖?池?のところに公園があり、ラスト数キロの前の休憩。
水道があり、水浴びして暑さを凌ぐ。そしてその先のコンビニで再度冷たい飲み物を買った。暑さが尋常でない感じになって少し危険を感じてきた。
程なく、ゴールの竜ヶ崎駅へ到着。
駅の綺麗なトイレで着替えさせていただいて、電車に乗って帰路につく。
正確にはディーゼルなので電車ではないが、快適な一両の電車(笑)であった。
「竜ケ崎コロッケ」というのが最近の名物らしく、電車の中のつり革がこんな感じとは!
さて、いよいよ還暦祝いを受けることになった私です。楽しい企画を考えてくれる仲間に感謝しつつ、ゴールまで走りきりたいです。
いいコースをありがとうございました。15キロほどのランでした。
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では、その4日後に一人でルートを辿ったレポートを、私の個人的感想を織り交ぜてレポートします。
冒頭写真はJR成田線の新木駅。私達家族が東京から引っ越してきたとき、新木駅は屋根も駅舎もない無人の駅で、こんな立派ではなかった。手前の空き地には地元農家の方のたばこ屋があり、「担ぎ屋」といって東京に現金収入を得るために出稼ぎに行っているおばあさんがいた。
この方とうちの母が親しくなり、手伝ってあげたり、お礼に食べ物や野菜をもらったと聞いた。
新木駅すぐ近くの気象台記念公園は退職後の父の散歩コースで、ココがどうして気象台記念公園という名前なのかは、あまり考えたことがなかったので、今回新しい発見。
国道356号線(成田街道)を行くと、ファミレスのあったところがまだ残っていた。ここは「ステラ」というチェーンでない単体のファミレスで、家族でもいったし、父母のダンス仲間の社交の場でもあった。閉鎖したあともドラマ撮影に使っていたそうだ。
先に進む。
布佐に近づくところに宮ノ森公園が。こちらもこちらに近接する竹内神社も地元なのに行ったことのないところで、今回のコース設定に感謝!
356号線に出て、栄橋方面に行くため、陸橋に登る。
上がるとすぐに栄橋からの利根川が見えてくる。この風景は長年見てきた故郷の風景だ。
雄大な利根川は心が落ち着く。
利根川右岸を走って行く。
かつての利根川楽走会平和祈念マラソンコースの桜並木がある。かつて植樹されたものが今はこんなに育った。楽走会の歴史も長い年月が刻まれたことがこの木からも分かる。暑くなり梅雨が明けるとの朝の天気予報だったが、この木陰を走る頃は少し風もありなんとか凌げた。
桜の清聴にも感謝。
そして小貝川に入る。随分合流点から遡ってから0キロ地点があり、みんななんで?となるが、私の推測ではかつてはココあたりが合流点だったのでは?
だんだん中州のようなところが伸びてこのようになったのだ(なんの根拠もない推測)
そしてこの辺は戸田井橋。ココを右に曲がったところにあった打ちっぱなしゴルフ場は兄とよく行ったところだ。
暑さが増す中、目に入ったのが小貝川のかつて流路の三日月湖。我孫子の利根川の古利根沼と同じようなことのようだが、ココは初めて来た。
そして、このあたりは昭和56年の小貝川決壊地点という碑があった。
私達が引っ越ししてきたその年のことで、対岸とは言え、川の増水と決壊という出来事は当時ショッキングだった。
三日月湖を東へ迂回するように走ると湖?池?のところに公園があり、ラスト数キロの前の休憩。
水道があり、水浴びして暑さを凌ぐ。そしてその先のコンビニで再度冷たい飲み物を買った。暑さが尋常でない感じになって少し危険を感じてきた。
程なく、ゴールの竜ヶ崎駅へ到着。
駅の綺麗なトイレで着替えさせていただいて、電車に乗って帰路につく。
正確にはディーゼルなので電車ではないが、快適な一両の電車(笑)であった。
「竜ケ崎コロッケ」というのが最近の名物らしく、電車の中のつり革がこんな感じとは!
さて、いよいよ還暦祝いを受けることになった私です。楽しい企画を考えてくれる仲間に感謝しつつ、ゴールまで走りきりたいです。
いいコースをありがとうございました。15キロほどのランでした。
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