[1]
はい、それでは「本線」に戻りましょう。どうしてこんなに野球なの? 第三の推測です。
× × × × ×
〈「USAにべったり」にも程がある!!!〉
近年の社会情勢の変化により、最近では少なくなったのかもしれません。でもこの国には、上司が変わるたびに、その上司にあわせて趣味をコロコロ変えるような、いわゆる「C級(あるいはD級、E級、F級……)ゴマすりサラリーマン」とでもいうべき輩がたくさんいます。
「そこまでしろっ!」とはだれからも指示されていない。また、そこまでする必要もまったくない。なのにそういう行動を自動的にとる。そういった安っぽい「無条件降伏人間」がこの国にはいっぱいいます。
わが国がこれほどまでの「ベースボール大好き国家」になった背景の一つとして、「フッフ~ン、この構図もかなりあるぞぉ!」と私は強く感じています。(まあ、私だけじゃないと思いますが)
この場合の「上司」とは、言うまでもなくアメリカ合衆国、USAのことです。ベースボールは「上司がなさっていること」「上司のご趣味」。だから、たとえそれが世界で不評であったとしても、お付き合いしなければならない。そんなふうに勝手に思い込んだのでしょう。「上司」に直接強制されたわけでもないのに、自ら率先して、しかも無自覚に……。
このような性癖がわが国の民に染み込んでいるのは、かなり明白な事実ではないでしょうか?
× × × × ×
わが国日本の米国との付き合い方は明らかにおかしいですね。おかしいから、いまや日本は米国の「基地」、そして「財布」になり果ててしまいました。わが国はまさに「USAの僕」「黄色いUSA」であります。
米ソが対立していた冷戦の時代、わが国が独自の国家戦略など持てず、米国の傘の下でただただ縮こまらざるをえなかったのは、ある程度理解できます。ところが、冷戦が終わってもなお、わが国は健気にもその状態をつづけているように思います。まあ、大きな権力の傍らで、これまた「できるだけ楽をしよう!」という魂胆なのでしょうが、私たち日本人は自分たちの脚でしっかり立つことをやめちゃいました。
たとえですが、アヒルには、卵からかえって最初に見た生き物を親だと思い込む習性(インプリンティング、刷り込み)がありますが、これにも似たようなことが、この日米間にはあるのではないでしょうか? 私はそう思っています。太平洋戦争でわが国は米国と敵対した? うん、あれは一瞬の出来事でしょう。
心ある日本人ならば、この嘆かわしい状況を憂い、日ごろの生活のなかでさまざまな思いをめぐらしていることでしょう。最近、国内の新聞や雑誌などをパラパラめくっても、米国との付き合い方、距離感、そしてわが国の独立国家としてのあり方などを厳しく問う言説が数多く見受けられます。
世界を震撼させる「ハイパー超大国」、地球上のカネと軍事力を一手に掌握しようとする「ヤクザ国家」、核不拡散や地球温暖化防止などといった世界の取り決めを足蹴にする「傲慢帝国」、ありもしない脅威をでっちあげる「自作自演の戦争屋」、……とわれわれはどう向き合えばいいのか? みんな心配なのですね。(つづく)
× × × × ×
はい、それでは「本線」に戻りましょう。どうしてこんなに野球なの? 第三の推測です。
× × × × ×
〈「USAにべったり」にも程がある!!!〉
近年の社会情勢の変化により、最近では少なくなったのかもしれません。でもこの国には、上司が変わるたびに、その上司にあわせて趣味をコロコロ変えるような、いわゆる「C級(あるいはD級、E級、F級……)ゴマすりサラリーマン」とでもいうべき輩がたくさんいます。
「そこまでしろっ!」とはだれからも指示されていない。また、そこまでする必要もまったくない。なのにそういう行動を自動的にとる。そういった安っぽい「無条件降伏人間」がこの国にはいっぱいいます。
わが国がこれほどまでの「ベースボール大好き国家」になった背景の一つとして、「フッフ~ン、この構図もかなりあるぞぉ!」と私は強く感じています。(まあ、私だけじゃないと思いますが)
この場合の「上司」とは、言うまでもなくアメリカ合衆国、USAのことです。ベースボールは「上司がなさっていること」「上司のご趣味」。だから、たとえそれが世界で不評であったとしても、お付き合いしなければならない。そんなふうに勝手に思い込んだのでしょう。「上司」に直接強制されたわけでもないのに、自ら率先して、しかも無自覚に……。
このような性癖がわが国の民に染み込んでいるのは、かなり明白な事実ではないでしょうか?
× × × × ×
わが国日本の米国との付き合い方は明らかにおかしいですね。おかしいから、いまや日本は米国の「基地」、そして「財布」になり果ててしまいました。わが国はまさに「USAの僕」「黄色いUSA」であります。
米ソが対立していた冷戦の時代、わが国が独自の国家戦略など持てず、米国の傘の下でただただ縮こまらざるをえなかったのは、ある程度理解できます。ところが、冷戦が終わってもなお、わが国は健気にもその状態をつづけているように思います。まあ、大きな権力の傍らで、これまた「できるだけ楽をしよう!」という魂胆なのでしょうが、私たち日本人は自分たちの脚でしっかり立つことをやめちゃいました。
たとえですが、アヒルには、卵からかえって最初に見た生き物を親だと思い込む習性(インプリンティング、刷り込み)がありますが、これにも似たようなことが、この日米間にはあるのではないでしょうか? 私はそう思っています。太平洋戦争でわが国は米国と敵対した? うん、あれは一瞬の出来事でしょう。
心ある日本人ならば、この嘆かわしい状況を憂い、日ごろの生活のなかでさまざまな思いをめぐらしていることでしょう。最近、国内の新聞や雑誌などをパラパラめくっても、米国との付き合い方、距離感、そしてわが国の独立国家としてのあり方などを厳しく問う言説が数多く見受けられます。
世界を震撼させる「ハイパー超大国」、地球上のカネと軍事力を一手に掌握しようとする「ヤクザ国家」、核不拡散や地球温暖化防止などといった世界の取り決めを足蹴にする「傲慢帝国」、ありもしない脅威をでっちあげる「自作自演の戦争屋」、……とわれわれはどう向き合えばいいのか? みんな心配なのですね。(つづく)
× × × × ×