俳句の箱庭 top

お気入俳人の俳句鑑賞します。
多側面から俳句を分類します。
俳句付きイラストを描きます。

俳句の箱庭

「箱庭へ風の粒子の粗く吹く」(透次) ◯浮かんだときが作るとき。作ることに無理はしないように。 ◯各俳人の情報は書籍・ネット他で一般に公開されたものから得ています。各俳人の情報は最新でない場合があります。各俳人の敬称略させていただきます。Tweet句については作者の承諾を得ていませんが、営利目的の要素はありませんのでご了承ください。 ◯「俳句の箱庭」ヽ(^ι_^)ゞノ♪透次

●色彩俳句052・白07・古沢太穂・2011・08-03

2011-08-03 00:34:10 | 色彩俳句

●色彩俳句052・07・古沢太穂・2011・08-03


○「シャツ彼我ひるがえり内灘へ」(古沢太穂01)

季語(蓮の花・夏)

社会性俳句の古沢太穂の句です。石川県河北郡内灘における米 軍基地反対闘争のことを詠み込んでいますが、太穂出身の富山県の隣県の事件です。「彼我(ひが)」とは「相手と自分」という意味ですが、反対闘争へ集結する人たちを白蓮との配合で詠んでいます。

 

古沢太穂(ふるさわたいほ)(1913~2000)

代表句「啄木忌春田へ灯す君らの寮」02

季語(啄木忌・春)

富山県大沢野町生まれ。生家は料理屋兼芸妓置屋。幼くして父を失い、一家は東京から横浜へ。1938年、東京外語専修科ロシア語学科修了。結核のため療養生活に入り療養所で俳句を勧められ、1940年、「馬酔木」を購読。その後、→加藤楸邨の「寒雷」創刊とともに参加。戦後1947年に→赤城さかえらと同人誌「沙羅」を創刊。また新俳句人連盟に参加。1951年、同人誌「道標」を創刊。1972年、「沙羅」と「道標」を合併して「道標」を太穂主宰誌とする。また、1956年、→秋元不死男、→小林康治飯島草炎らとともに横浜俳話会を発足。神奈川新聞の神奈川俳壇選者。

コメント