じつは以前もチラッと書いたのだけど、この一年くらい井田真木子さんというライターの書いた文章にはまっている。
主著は絶版になっているものが多いため、せっせと古本を集め、インタビューや短い文章の入っている本、どうしても入手不能だった『湯河原温泉芸者一代記』などは近所の図書館で借りて読んだりして、結構資料が集まってきた感じ。ただ、集めることにエネルギーを使ってしまって、まだ読みきっていないのが現状なのだけど…。
読んでいて感心するのは、非常に押さえた筆致ながらかなりの情報量のある文章で、しかもこの文章の背後には、さらに文字になっていない情報も相当数あるはずだと思われること。つまり、不用意に読み飛ばせない文章なんですよね。だからなかなか読みきれない。(半分いい訳。)
その一方で、これほど“自分”というものを巧妙に消しているノン・フィクションはないということ。にもかかわらず、その作品はまさにどこを取っても「井田印」。他の追随を許さない個性を発揮している。その意味では、個人を出すことが個性でないことを教えてくれる好例だといえる。
わたしが個人的に見過ごせない文章だと思ったのは、『ノンフィクションを書く!』というノンフィクションライターのインタビュー集に収められたインタビューと、『ケーススタディー村上春樹』に収められた、「アンダーグラウンド」の書評。前者では数学的ともいえる文章作法が披瀝され、後者では「村上春樹氏の方法」と題して村上氏の手法に冷ややかなメスを入れつつ、暗に自分の「井田真木子の方法」を読み手に想像させる内容になっている。
言いたい事はまだまだあるけど、そのうち追って書くつもり。私の駄文ぐらいでも彼女の名著が復刊される一助になればいいのだけど・・・。
主著は絶版になっているものが多いため、せっせと古本を集め、インタビューや短い文章の入っている本、どうしても入手不能だった『湯河原温泉芸者一代記』などは近所の図書館で借りて読んだりして、結構資料が集まってきた感じ。ただ、集めることにエネルギーを使ってしまって、まだ読みきっていないのが現状なのだけど…。
読んでいて感心するのは、非常に押さえた筆致ながらかなりの情報量のある文章で、しかもこの文章の背後には、さらに文字になっていない情報も相当数あるはずだと思われること。つまり、不用意に読み飛ばせない文章なんですよね。だからなかなか読みきれない。(半分いい訳。)
その一方で、これほど“自分”というものを巧妙に消しているノン・フィクションはないということ。にもかかわらず、その作品はまさにどこを取っても「井田印」。他の追随を許さない個性を発揮している。その意味では、個人を出すことが個性でないことを教えてくれる好例だといえる。
わたしが個人的に見過ごせない文章だと思ったのは、『ノンフィクションを書く!』というノンフィクションライターのインタビュー集に収められたインタビューと、『ケーススタディー村上春樹』に収められた、「アンダーグラウンド」の書評。前者では数学的ともいえる文章作法が披瀝され、後者では「村上春樹氏の方法」と題して村上氏の手法に冷ややかなメスを入れつつ、暗に自分の「井田真木子の方法」を読み手に想像させる内容になっている。
言いたい事はまだまだあるけど、そのうち追って書くつもり。私の駄文ぐらいでも彼女の名著が復刊される一助になればいいのだけど・・・。
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ドロドロしそうな素材も彼女の手にかかると。
取材対象と一定の距離を保つのはルポの基本。
勿体ないですね。
名著「プロレス少女伝説」も入手困難なんですよね。(古本で手に入れましたが。)神取が音頭をとって全集出版!なんてないですよね、きっと。
しかし、家田荘子はなかなか絶版にならないのに!と思っているのはわたしだけかな?